【捌】協力者
この上なく羊羹カステラに感動している様子のゆら子にお土産用の羊羹カステラを持たせて別れた後、正弥はその足で警察署に来ていた。
目当ての人物が早番の日なら、そろそろ勤務時間が終わる頃である。もし、遅番や休日なら伝言を頼むつもりだった。
「よう、正弥! こんなところでどうした?」
だから、受付で取次ぎを頼もうとしたところに当の本人が現れたのは運がよかったと言えるだろう。既に顔なじみである受付の女性も、心得たように頷くと正弥を小洒落た男の元へと送り出した。
「緊急、ってわけじゃなさそうだな。店に何かあったらご子息サマが悠長にやって来る訳ないし。と、なると……どこぞのご令嬢に袖にされたとか?」
「それは君だろう」
放っておけばいつまでも喋っていそうな男に、正弥は嘆息した。
だが、この男――
「なるほど。傷心中の友人を慰めに来てくれたのか。では、今日の酒はお前のおごりだな」
「君が振られる度におごっていたら、毎回僕のおごりになってしまうよ」
「……流石に傷つくぞ」
じっとりとした目で見て来る友人に、言葉ではああ言いつつも全く傷付いてなどいないことを指摘しそうになった正弥は思いとどまった。軽口を言いに来たわけではないし、何より拗ねられると面倒臭い。
彼が女性に対して、来る者拒まず去る者追わずなのはいつものことだ。自分から口説きに行くところを見た事はないが、とっつきやすいのか向こうから寄って来ては想像と違ったと逃げられる。当人も本気ではないらしく、それで終わり……と、毎回そんな感じだ。気にしてやるだけ損である。
「まぁ、悪かったよ。それより相談があるんだ」
「真面目な話か?」
スッと空気が引き締まるのを感じて、正弥は心持ち姿勢を正した。
寛次郎は基本的にふざけた男だが、警官としては優秀だと聞いている。仕事姿を見たことがなかった正弥は、噂に聞くばかりだった友人の意外な一面を知って密かに感心した。
「……ああ。ここでもいいが、せっかくだしおごるよ」
「おっ、いいねぇ! 近くに良い酒を置いてるところがあるんだ」
すぐさま元の態度に戻り歩き出した寛次郎の背中に、正弥は肩を竦めた。
――――
寛次郎おすすめの店に入ったふたりは、個室へ案内された。よく利用しているのか、寛次郎は店員とも気安い様子で、今日のおすすめと正弥の意見を聞くなり手早く注文を済ませてしまった。
料理を待つ間、正弥はゆら子の頼みを掻い摘んで寛次郎に聞かせた。いつもは騒がしい男だが、内容が内容なだけに寛次郎も真面目な顔で頷くばかりだ。
「失礼いたします」
ちょうど正弥が話し終わったところで料理と酒が届き、ふたりの前に広げられていく。その間、いつもの調子に戻った寛次郎は、「ここの煮物は絶品だ」とか「刺身は今日採れたものを厳選して仕入れている」「酒は店主の好みが反映されていて云々」など、賑やかしくしながら、初めて訪れた友人に店の良いところを紹介していった。店員の女性も気前よく並べられる褒め言葉に「ええ、ええ」と相槌を打ち、時折冗談も交えつつ仕事をこなすと機嫌良く去って行く。
酒を注いでやろうとした寛次郎は、友人が不思議そうに自分を見ていることに気が付いた。徳利を向けると、正弥はつられてお猪口を差し出す。
「どうした?」
「よくもまぁ、一瞬で切り替えられると思って。……警察の仕事には、愛想も必要なのかい?」
「ん? うーん、まぁないよりはいいだろう。相手をしなきゃならない奴は千差万別だ。有利に立ちたいなら、一面だけではやっていけないのさ」
「上手くやっているようで安心したよ」
実のところ、正弥は寛次郎が警察に入ると言い出した時、長く続かないだろうと思っていた。この友人は、友人としては信頼できる男ではあったが、五人兄弟の末っ子として生まれたために
「道楽でやってるわけじゃないからな、今は」
にやりと笑って余計なことを付け加えた寛次郎に、正弥がため息を吐くと、呆れられた当の本人は悪びれる様子もなく冗談だと手を振った。そのまま、お猪口に残った酒を煽る。つられて、正弥もお猪口に口を付けた。
「旨いだろ?」
「うん、甘くていい味だ」
人好きのする笑みを浮かべた後で、寛次郎は真面目な顔に戻った。
「それで、櫻木家のお嬢様からの頼み事の件だが」
「どうしてもとは言わないよ、勝手な頼みだということはわかっているからね。それに、君はあの頃、まだ警察に勤めていなかっただろうし」
「当時の資料を当たったり、先輩方に話を聞くくらいなら構わないが……」
言葉を濁しながら、寛次郎は酒が継ぎ足されたお猪口をくるくると意味もなく回した。
寛次郎は、水谷絹子が嫌いだった。
人相にはその人の本質がにじみ出る。それは顔の造形による美醜に関係なく気質が反映されたものだ。寛次郎から見て、絹子のそれは、傲慢さと短慮で周囲を不幸にするものだった。
現に、彼の親友は絹子の死後も義理立てし続けている。大した感情もない癖に“縁があった”というだけで縛られ続けているのは不幸以外の何物でもない。
「絹子さんが関係しているから引き受けたわけじゃないよ。引き受けたら偶々彼女が関係していただけで」
「ふーん」
「今更、彼女のことを蒸し返したいわけじゃない。ゆら子ちゃんが思い詰めた様子だったから放っておけなかったんだ」
面白くなさそうに聞いていた寛次郎は、途中から興味を取り戻すとしたり顔で頷いた。
「つまり、その子に惚れたのか」
「どうして君はすぐにそういう話に繋げたがるんだ?」
「四年前……あの事故があってから仕事ばかりだっただろ? 自分のことは蔑ろにしたままでさ。これでも心配してたんだぞ」
「それは……」
正弥は言いかけた言葉を飲み込んで首を振った。
仕事にばかり打ち込んでいたのは、絹子が原因ではない。髪の短い女が記憶の彼方で微笑む。この世の悍ましいものなど何も知らないかのように。
お猪口に手を伸ばすと、正弥は慌てて酒を飲み干した。少し、苦く感じたのは気のせいじゃない。
怪訝そうな顔をしている友人に何か言われる前に、正弥は絞り出すように告げる。
「ともかく、そういうんじゃないんだ」
思い詰めた様子に、寛次郎はそれ以上踏み込むことを諦めた。話を聞くことは得意な癖に、自分のことを話すのは苦手で、下手に踏み込まれるとわずかに見せる本音さえ隠してしまうのが、正弥という男だった。
「調べられるだけ調べてみるよ。その……ゆら子ちゃん、だっけ? お嬢さんの話も聞いてみたいから時間を作ってもらうように言っておいてくれ」
「うん、助かるよ」
「さて、話もまとまったしせっかくの料理と酒を楽しもう。近況も聞きたいからな」
明るく話題を変えた寛次郎に、酒を注がれて正弥は意識的に口元を緩めた。
近況を聞きたいと言いながら、際限なく話し続ける寛次郎の話に耳を傾ける。気が落ちている時に、その賑やかさは有難かった。
ふたりは酒と料理が無くなるまで、他愛のない話で時間を埋めた。
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