Family - 家族(5)
僅か五年足らずで立派な成長を果たしていた体をなんとか抱え上げ、私がソファーへと運ぶその途中、その動向を見守っていた遥がポツリと呟く。
「それ……魔法……? 私の記憶も……消しちゃうの……?」
振り返ると、思い詰めたような、不安と悲しみが入り混じったような神妙な面持ちで視線を向ける遥が視界に入り、居た堪れなくなった私は要らぬ不安を取り払うべく口を開く。
「記憶っていうのはその人の経験で、取り替えの利かない大切なもの……。だから、本来奪ったり消したりは他人がしてはいけないこと。私だって記憶喪失経験者だから、結構大変だって身をもって知ってるし、極力消したくはない。伊吹少年にこの姿を覚えてもらっていると色々と都合が悪いから、今回は特別」
「それってつまり……私の記憶を消したりはしないってこと……? ホッ……! よかったー……」
安堵するように胸を撫で下ろすと、遥は寝息を立てる伊吹少年の隣にそっと座り、その頭部を膝に乗せて撫ではじめた。
それだけで二人の関係性が以前から変化していることが窺え、私は内心で安堵する。
「でも、かなちゃんのことで昔話が出来ないのは残念だなー……。あ。私はかなちゃんのことずっと覚えてるから安心しててねー?」
「……覚えていたところで、何にもならない。私のことは早く忘れたほうがいいよ」
突き放すように私がそう答えると、遥は唇と尖らせ、不満をあらわにしていた。
「……なに?」
「それは嘘。本心じゃないよねー? 前に言ったでしょー? 私は
その言葉は、俄かには信じ難かった――それは、遥が嘘を見破ることができるということではなく、遥であれば嘘を見破る力を有している可能性が十二分にあり得るという意味だった。
「遥のこと……私は信用してるよ……。今のところ、
それだけ告げると、遥は何故かとても嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……さっきの物語の少女は、こんなこと考えてたんじゃないかなー? 自分がここにいたら、これから生まれてくる自分や未来に悪影響を与えてしまうかもしれない。だから、この場を早く立ち去ろう、そして自分のことは早く忘れてもらおうって。でも、お母さんがこれから死んじゃうってわかっているからこそ、少女は残された時間を一緒に過ごしたいなー……とも思っていた。違うかなー?」
こちらが直接的な表現を敢えて避けていることを悟っているのか、遥は物語りという形式に乗る形で私に探りを入れてきたが、その内容はまさしく私が先ほどまで考えていたことと一致しており、これ以上の誤魔化しや探り合いは無駄だと考え至った私は、暫く迷った末に堅く結んでいた口を開ける。
「失う前に、もっともっと思い出が欲しい……このまま時間が止まればいいのに……叶うのなら、失いたくない……。私も我儘……いや……強欲だった……。どちらか一方を選ばなければいけないようなとき、どんな手段を使ってでも両方を選べるように……そして皆が幸せになるように、私は最後の最後まで諦めないようにしてきた……。だけど、今回ばかりは……ダメなんだ……。私がそれを選べば、皆が悲しい思いをするから……」
私に遥の運命を変えるだけの力はないし、もし出来るのであれば遥には生きていてほしい――それが私の願望であり本音だった。
しかし、仮に運命を変えるだけの力が私にあり、遥を死の運命から救うことが出来た場合、私がこの時代を訪れたきっかけは無くなり、今の私がどうなってしまうのかも予想がつかなくなるうえに、親友を助けるという本来の目的を果たせなくなる可能性がある――それ故に未来を大きく変えるような行動は危険であると言えた。
言い換えれば、私と遥が出会ったところで何も変わらないし、何も変えられないなかった――つまり、最初から
「私は……遥を救いたい……。でも、私には運命を変えることもできないし……救うことも出来ない……。だから……私には何も出来ない…………。だから…………ごめん………………」
沸々と湧き出る感情を必死に抑え込むように奥歯を噛み締めているうち、何かが私の頬をなぞった。
それは羽のようにサラリとしていながら、陽光のように優しくて温かい、遥の細い手だった。
「かなちゃんは何でも一人で出来るけど、何でも自分で背負い込み過ぎなのかなー……?」
私の胸中など見透かしていると言わんばかりに、遥は眩しいくらい優しく明るい笑顔を作り、私の頭を撫でた。
「でも、かなちゃんの本音を聞けて、私安心したよー♪ 私はラッキーだねー♪」
自分の死が迫っていることを悟ったばかりながら、それを悟られまいと気丈に振舞っている――最初、私はそう思っていた。
しかし、その表情や口調からも、本当に心の底から喜んでいるようにしか思えず、疑問を抱いた私はすかさず問い掛ける。
「ラッキー……?」
「この子の成長を見届けられないのはすごーく残念ではあるけど、出会えるはずのなかったかなちゃんに出会うことは出来たし、かなちゃんの成長も見られたし……。これは奇跡としか言いようがないと思わないかなー? これが運命の悪戯だって言うのなら、私は果報者だよー?」
そんな考え方もあるのかと私が感心していると、遥はゆっくりと立ち上がり、なぜか私の背を押した。
「……?」
「かなちゃんは大切なお友達を助けにここまで来たんだよねー? だったら、こんなところで道草食ってる場合じゃないよー? ほらほらー♪」
「いや、その子も私もまだ生まれてないし……」
「自分で何でも背負い込んじゃうかなちゃんには、かなちゃんを支えてくれるような信頼できる人が絶対に必要だと思うんだー。だから、その子は絶対に救わなくちゃ! そのために全力で頑張って!! 準備を万全にしておけば、大抵のことは上手くいくものだよー!!」
「それはそうだし、初めからそのつもりで来てるんだけど……。まあ、記憶喪失になったお陰で、随分と無駄な時間を使っちゃったってことは否定できないけど……」
「あー!? 無駄なんかじゃないよー? 少なくとも、私たちと一緒に過ごした時間は有意義だったでしょー?」
「自分でそれを言うか……」
「あ!? そうだ!? かなちゃん、ちょっと玄関で待っててー!!」
リビングのドアを開け放ったところで、遥は思い出したように大きな声を上げ、一人でそそくさと上階へ上がっていった。
「あっ!? ちょっ……!? またこのパターン……」
◇◇◇
仕方なしに玄関で待ちぼうけを食らっていると、慌しい音を立てながら二階から降りてくる影を確認して私は顔を上げる。
「おっ待たせー♪ コレッ! 前にかなちゃんに似合うと思って買っておいたんだー♪」
「ハンチングキャップ……? どこかで見たよう……な?」
それをまじまじと眺めている暇もなく、私の頭部へと強引に装着させられ、私の目の前は突如まっくらになった。
「さっきはああ言ったけど、かなちゃんがここに居ちゃいけない理由なんて一つも無いんだよー? かなちゃんはこの家の子なんだし、疲れちゃったり辛くなったりしたら、いつだって帰ってきていいんだからねー?」
「はいはい……。わかったわかった」
私がこの場所に戻る気が一切ないことを悟っていた遥は、そのことを承知の上でその言葉を選んだのだろうと私はすぐに察した。
「二度と戻れない」のではなく「戻れるけど戻らない」という状況を用意することによって、戻らないことで気負う必要は無くなり、その効果を裏付けるように、先刻まであった“ここに留まりたい”という気持ちは私の中から薄れ、足が重くなるようなことはなくなっていた。
それ故、雑念や未練が芽生えぬうちにと、キャップを深く被り直し、靴を履き、玄関扉の前に立ち、私は急くようにドアノブへと手を掛ける。
「それじゃ、遥……。バイバ――」
そう告げて最後に遥のことを一瞥すると、飛び抜けて不機嫌そうに顔を膨らませる遥の姿が目に入り、私は思わずその場で固まった。
「かなちゃん、違うでしょー!? 私はね、『行ってらっしゃい』と『おかえりなさい』の数が多いほど、人は幸せになれると思ってるんだよー!? さっきも言ったけど、ここはかなちゃんの家なんだよー!? 何度言わせるのー!?」
「それって……」
問い返す間もなく、遥は差し伸べるように私に手を伸ばし、解答を求めるように手のひらを天に向ける。
「はい♪ というわけで、やり直しー♪」
少々呆れて溜息を吐きつつも、最後くらいは致し方ないと、要望に沿うべく言葉を選ぶ。
「それじゃ……行ってきます」
習慣による条件反射なのか、私の口からは自然とその言葉が出た。
しかしながら、言った直後に気恥ずかしくなった私は、照れ隠しするようにドアを強めに開け放つ。
「うん! 行ってらっしゃい!
不思議な感覚に驚いて振り返ると、私のことを見送るように、にこやかに手を振る遥の姿がそこにあった。
その光景に見覚えは無いし、誰かに送り出される状況も多くはなかったはずにもかかわらず、なぜだかその光景が懐かしいと私は思った。
「まったく……。母親ってやつには敵わない……」
人生で最後に見るであろう母の姿を、目と記憶に深く刻み込みながら、“希望”に至るための“勇気”の一歩を、私は確かに踏み出す。
イニシャライズ・エフ 片倉真人 @katakura_makoto
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