Family - 家族(4)
「全ての記憶……」
考え込むように首を斜めにしたかと思うと、遥はハッと顔を上げ、まるで絵画や彫刻を眺めるような視線を私に向ける。
「記憶を取り戻した少女は、何もかもが手遅れであることを悟っていた。なぜなら、母の死が目前に迫っていることを少女は知っていたから。知ることのなかった母の姿を知ってしまった少女は、幼き日に自分が失ったものの大きさに気付き、再び大切なものを失う未来に恐怖し、あんなことを願わなければと悔い、同じ過ちを繰り返した自分の愚かさを深く呪った……」
「その子の気持ち、私もなんとなくわかるよ。正直、父さんと同じ警察官の道を進んだ今になって思う。職場ではどんな人だったのか、どんなことを考えて日々を送っていたのか、私や母さんのことをどう思っていたのか……。それは知りたくても、もう知ることは出来ない。父さんを死なせないことが出来るチャンスがあるのなら、私もきっとそうしたと思う……。でも、自分にそれが出来たはずなのに出来なかったって考えると…………きっと辛いだろうね……」
両足がまるで自らの意思を持ったかのように、私が前に進むことを固く拒むものの、ここで踏み出さなければ、この状況を甘んじて受け入れてしまう自分がいる――そんな焦燥に駆られた私は、強風に抗うように、重々としたその一歩をなんとか踏み出すことに成功する。
「……話はここで終わり。二人にはちゃんとした別れを言えてなかったから、ずっと心残りではあったけど、今度はちゃんと言うよ」
私は最後の言葉を告げようと口を開く。
その直後、背中越しに投げ掛けられたその言葉によって、私は心臓を貫かれるような衝撃を受けることになった。
「――
「――!?」
聞くに久しく、そして懐かしくもあるその語感を耳にした私は、条件反射によって思わず振り返り、声の主に視線を向けた。
「かなちゃん……。私ね、この子の名前を
突然の申告に驚きこそしたものの、ここで動揺など見せてしまってはせっかくの英断が元の木阿弥になってしまうと、私は拳を強く握り、なんとか自分を律して平静を装う。
そして、それと同時に湧いた興味と関心を話の流れのままに遥へ伝える。
「……ひとつ訊かせて。どうして、その子にその名前を付けようと思ったの?」
私が食いつくであろうことを予知していたかのように、遥は待ってましたとばかりに胸を張り、その理由を淡々と語り始める。
「公園でその子を見掛けた私は、声を掛けようか迷ってた。そんな私のところに、一枚の桜の花びらが風に飛んで流されてきたの。私はそれを見てふと思い立って、たくさんの桜の花びらを集めて、寝ているその子にかけた。きっといつかその子が目を覚ましたとき、桜のベッドで寝ていたらさぞ驚くだろうなーって想像しながら。それで、それが話のきっかけになるんじゃないかなー……なんて思ってた」
「とんでもなく迷惑な自作自演だな……それ……」
私たちが出会ったあの時、私が桜のベッドで寝ていた理由は、桜の花びらが風に流されて偶然積もったものではなく、遥が故意に私に掛けていたという事実が数年越しに判明し、今さらながらに私は呆れ果てる。
「私もそうだったように、新しい季節の訪れを告げる春の桜は、見た人に次の一歩を踏み出す勇気をくれる。きっとそのお陰で、今の私たちがあるんだろうって思うの。なかなか咲かない蕾も、いつか必ず花開く――それってつまり、いろんな人とっての希望だと思うの。だからこの子には、春の桜みたいに、みんなに勇気を与えるきっかけのような――“希望”みたいな存在になってほしいなーって」
「希望……」
せっかく踏み出した一歩をあっさりと引き戻し、踵を返すように遥のもとまで歩み寄ると、私はしゃがみ込み、その腹部にそっと触れた。
「……随分と重々しい名前を背負わされちゃったな。同情する」
小さなその命に語りかけていると、遥は耳打ちするように私の耳元まで顔を寄せ、そして小さく呟いた。
「ち・な・み・に。それだけが理由じゃないよー?
「!?」
私のことを見つめながら遥はニッコリと笑顔を浮かべ、そして包み込むように優しく抱き締めたかと思うと、私の頭部をしきりに撫で始めた。
「そういうわけだから、今くらいは甘えてくれてもいいと思うんだけどなー? 子供は少しくらい我儘言っても良いって、大昔から決まってるんだよー?」
「私は子供じゃ……ないわけでもないけど、恥ずいから……!!」
「もー、そんなに照れなくても良いのにー♪ うちの子はかわいいなー♪」
視界の端に困惑した表情で私たちを見つめる伊吹少年が映り、過剰なスキンシップを繰り出す魔手から逃れるように、私は遥の手からすり抜ける。
「え~っと……なんで突然二人はじゃれついてるワケ……? さっきまでの重苦しい雰囲気は?? 私だけ全然話が見えてないんですけど???」
これ好機と、困惑した様子で私たちを眺める伊吹少年の背後に回り、私は物影に身を隠すようにその背中にピッタリ張り付く。
「先生……?」
「実は、私の父親は身重の母を残して突然の事故で亡くなって、実の母も私を産んでから数年後に持病が悪化して命を落とした。天涯孤独となった私を引き取ってくれたのは、血の繋がりが無い母の妹で、当時、その人は歳も随分若くて働き盛りではあったけれど、姉の忘れ形見だからと仕事と育児を両立させながら、私のことを本当の娘のように大切に育てくれた。そのお陰もあって、私は人並みくらいには成長することが出来た。これが10秒でわかる私の生い立ち」
早口で自分の生い立ちと境遇を語り終えると、伊吹少年は
「今のって……作り話じゃない……? “私”ってことは……先生……記憶が戻ってるの……?」
「ああ。記憶を取り戻して、私は自分がすべきことを思い出した。だから、私はここに留まるわけにはいかなくなった。それがここを去る理由じゃダメ?」
私は肯定するように小さく頷き返すと、伊吹少年は少しだけ戸惑う様子を見せつつも、背中越しながらに首を横に振った。
「ダメもなにも、私が言いたかったのは黙って勝手に行くなってこと。ハル姉の命を救ってくれたことには感謝してるけど、その恩人が勝手にいなくなったらこっちが心配するでしょ? それに、私に進む道を示して背中を押してくれたのは先生だ。先生が進むべき道を思い出したっていうのなら、私はその邪魔になるつもりはないし、ハル姉が言っていたように、私もそれを手助けしたい」
その表情こそ見ることが出来なかったものの、その声色から察するに、その言動には迷いの一つも無いように思われた。
それを肯定と受け取った私は人知れず小さく頷き、溜め込んだ感情を吐き出すように口を開く。
「ありがとう、少年。それじゃあ、感謝ついでにもう一つ。今の私は育ててくれたその人に気持ちを伝えることは出来ないし、伝えられたとしても恥ずかしくて面と向かっては言えないと思う。だから、ちょっと耳を貸してほしい」
「私もう少年って歳じゃないんだけど……? そもそも女だし……。っていうか、耳……? 何する気……?」
引っ付いていた背中から離れ、顔を近づけるよう私が手招きをすると、伊吹少年は渋々といった様子で私に耳を近づける。
そうして差し出された耳元に、私はそっと囁く。
「……今まで育ててくれてありがとう。これから生まれてくる遥の子供にも、同じくらいの愛情を注いでもらえると嬉しい」
「それってどういう……? 意味が――」
「バイバイ。それと、ゴメン。これが最後の親不孝だから、許して。
手を伸ばし、伊吹少年の両目を覆うように右手で塞ぐ。
「……な!?」
――バタン。
「伊吹……!?」
私の手が触れた直後、伊吹少年は気を失ったように脱力し、崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだ。
「大丈夫、心配しないで。ちょっと
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