Family - 家族(2)

「――まったく……。目の前で生命の誕生を目の当たりにすることにならなくて良かったよ……ホント。心臓が持たないから、そういうサプライズは勘弁……」

「心配掛けてごめんねー? 私もはじめてだからー」


 リビングにある二人掛けのソファーへ遥を誘導し終え、落ち着く暇もなくあれやこれやと私があたふたしていると、遥はなぜか陣痛が止まったと主張し、そんなことがあるのかと思いつつも、私はホッと胸を撫で下ろした。

 しかしながら、そんな遥を放って立ち去るなどということが心配性の塊である私に出来るわけもなく、私は流されるまま、様子を見守るように付き添っている次第だった。


「まあ、驚かせた私にも責任はあるみたいだし、乗り掛かった船だから、少しくらいは付き合うよ。ちょっと台所借りる。その様子じゃ料理させるのも心配だし」

「え? お昼ごはん作ってくれるの? やったー♪ 久しぶりにかなちゃんの手料理が食べられるー♪」


 リビングの壁掛け時計を確認すると、二本の針は真上を少し通り過ぎたあたりを示しており、私の腹時計が正しいことを示していたのだが、自分の腹が減ったついでに恩着せがましく料理を作り、他人の家の食材で腹を満たして一石二鳥……などと考えていたわけでは決してない。


「あんまり期待しないで。というか、元メイドの私が言うのもなんだけど、私の料理ってそんなに美味しくないと思うんだけど……?」

「私は好きだよー? 伊吹の料理とちょっと似てる味がするのかなー? 焦げた感じの苦味とか、唐突な酸味と辛味が絶妙なんだよねー♪」

「妊婦が食べられるようなものを作れるよう、努力はさせてもらう……」


 自分の料理の腕が誉められたものではないということを自覚しつつも、冷蔵庫を開けて中身を確認し、妊婦に食べさせても良さそうな食材が何なのかを一つ一つ遥に確認しながら、まな板の上にそれらを並べてゆく。

 そして、何を作るのかを決めたあと、慣れたように包丁を取り出し、まな板に乗った材料たちを手早く切り刻みはじめると、静まった空間内にトントントンという音だけが響き渡り、時の流れから隔絶された緩やかな時間を堪能しながら、私は黙々と料理を作ってゆく。

 

「あ。言い忘れてたけど、さっきの発言はダメだよー? かなちゃんは私たちの家族で、ここはかなちゃんの家だから、帰ってくるのも、家のものを使うのも遠慮なんかいらないんだよー?」


 他人様の家で勝手知ったるようにテキパキと料理を作る自分に気付いて驚き、私はようやく自分が「帰ってきた」ことを自覚する。



 ………



「まんぷく、まんぷくー♪ ご馳走さまでしたー」


 可もなく不可もない程度の出来の料理を自分の腹に収めていると、早々に料理を平らげた遥は満足そうにポッコリと膨らんだ自分のお腹をさすっていた。

 その様子を見て、お腹の子は誰の子なのだろうと気にはしたものの、遥との関係を断ち、5年もの間姿をくらましていた私が聞くことではなかろうと、出掛かった疑問を料理とともに消化してゆく。


「かなちゃん。ふたつお願いがあるんだー」

「唐突だな……? 先に言っておくけど、またここに居て欲しいなんて言われても無理だから」

「え~? やっぱりダメかー。この子も産まれることだし、今度はベビーシッターでも頼もうかと思ったんだけどなー」

「私を何だと思ってるんだ……。便利屋じゃないぞ、私は」

「あ、そうだ♪ ちょっと触ってみる? さっきから興味ありそうに私のお腹見てたよねー?」

「べ、別にそういう目で見てたわけじゃない……けど、興味はあるかも……。触っていいの……?」

「もちろんだよー♪ 減るものじゃないからねー♪ せっかくだから音も聞いてみるー? かなちゃんならサービスするよー?」


 丸々と膨らんだ腹部へと恐る恐るながらに手を伸ばし、手のひらでそっと触れると、硬いながらも軟らかいというボールのような感触に少々驚きながら、興味に惹かれるように耳を当てる。


「……うおっ!?」


 私の耳が触れたその瞬間、水中で聞くようなくぐもった音とともに、私の耳を押し返すような反応があり、私は未体験の感覚に思わず声を上げながら飛び退く。


「こ、コイツ……動くぞ……!?」

「……? それはそうだよー? 生きてるんだから、動かなくちゃ困りますよー? ねー?」


 再び腹部に耳を当てながら両目を閉じ、聴覚に全神経を集中しているうちに、まるで自分が水の中に漂っているかのような感覚に包まれ、私は暫くの間、懐かしくも心地良いその感覚に身を委ねる。


「本当にこの中で……生きてるんだな……。この子の名前はもう決まってるの?」

「そうそう、そこでもうひとつのお願いなんだけどー。かなちゃんにこの子の名前を付けてほしいなーって?」


 別のことに気を取られていた私は、さらりと言った遥の言葉にすぐさま反応することが出来ず、数秒後、叩き起こされるようにハッと顔を上げ、遥の顔を見上げた。


「わ、私が……名前を付ける……? 何で……? というか、ネーミングセンスには自信があるって前に言ってなかったか?」

「私はそう思ってるんだけど、周りの人にはなんだか不評みたいなんだよねー……。だから、結構悩んでるんだけど決まらなくて……。今日かなちゃんに会えたのも何かの機会だと思うから、再会した記念に名前を付けてもらえたらなーって思って♪」

「そんな旅行のお土産渡すテンションで言われても……。大体、ペットに名前を付けるのとはワケが違うんだぞ? それを私なんかが……」


 断ろうとする私の手をぎゅっと握り返し、遥は首を大きく横に振った。


「かなちゃんお願いしてるんだよー? こんなこと、誰にでも簡単に頼んだりなんかしないよー?」


 いつもながらの優しい笑みではあるものの、声のトーンは真剣そのもので、私は観念するようにため息を漏らす。


「はあ……仕方ない……。メイドを勝手に辞めた件もあるし……今回は特別。ただし、私は名前を考えるだけで、名付けるのは遥。それでいい?」

「うん、いいよー。それじゃあ、レッツ・シンキングターイム♪」


 人様の運命を左右してしまうであろう大役を、フラッと立ち寄っただけの私がおいそれと請けるわけにもいかないだろうと、私は責任転嫁可能な条件をさらりと付け加え、この場を適当に切り抜けることを早々に決める。


「あ! ちなみに、男の子か女の子かもまだ判ってなくて、だから困ってるんだー。生まれたときに付けられる名前って、その人である証みたいなものでしょー? だから、男の子か女の子かで名前を変えるのって、その子のことを見ていないような気がするんだよねー?」

「それじゃあ私と同じ彼方かなたでいいんじゃないか? 男女どっちでもいけそうだし、遥と彼方でちょうどいいんでしょ?」

「ブッブー。それはダメですー」

「……なんで?」

「かなちゃんは私達の家族だって言ったでしょー? 同じ名前の人が家に居たら混乱しちゃうよー?」

「そこは私が居る前提なのか。それじゃあ、ポチとかタマとか……ハナとかサクラなんてのはどう?」

「ペットじゃないんだよー? 真剣に考えてくださいー。それにそれって、前に私が提案したやつだよねー? パクリも許しませんー」


 適当に済ませたいという私の気持ちを全て悟っているかのように、遥はそれを許さないとばかりに私の案をことごとく否定し、時間だけが過ぎていった。

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