Fake - 偽り(4)

 残っていたお茶を一気に飲み干すと、私は部屋の出口へと向かう。


「これは先達者としてのアドバイス。家で勉強しているだけでは学べないことも多いし、学生生活でしか得られない経験もたくさんある。本気で警察官を目指すなら、まずは学校に行って社会勉強をしながら人を知り、友達を作り、交友関係を広げておくことをお勧めする。そして、キミが信用に足る人間になり、その人たちのことをキミが信じたのなら、その人たちはきっとキミの力になってくれるよ。……なんて偉そうに語ったところで、私が言っても説得力無いだろうし、キミはキミなりの答えを出すといい」

「待って」


 告げたいことをだけを告げ、話の流れにまかせてこっそり退散しようとした私の思惑はものの見事に外れ、気が付けば制服女子は私の手首をガッシリと掴んで離そうとはしてくれない様子で、私は少々ながら焦りを覚える。


「……また?」

「私、まだ報酬を払ってないよ?」

「それならもう貰ってる。おいしいお茶、ご馳走様。そういうわけだから帰らせて――」

「待って待って待って!? そういうわけにはいかないよ!?」

「いや、私はそれで構わないんだけど……。それとも、まだ私に何かさせたいことがある……とかかな?」


 これほどまでに懇願する以上、この場に引き留める理由が他に何かある――そう察した私は覚悟を決めつつも、包み隠さずに聞き返す。


「記憶喪失の話! これからどこに帰るつもりなの!? というか、記憶喪失からっぽさんは行くあて無いんだよね!?」

「あー……そっちか……。まあ、行くあてなんか無くても、人間なんとかなったりするもんだよ? まま放浪旅っていうのも悪くないって、よく言うじゃない?」


 強張った肩の力を抜き、あしらうように私が答えると、逆に手首を掴むその手には更に力が込められ、制服女子は引き留めんとする意思を強く誇示する。


記憶喪失からっぽさんがどうしてもそうしたいって言うのなら引き留めないけど……もしも行くあてが無いのなら、暫くの間でいいから、伊吹いぶきの家庭教師をしてくれないかな?」

「……はあ?」


 その言葉の意味を一瞬理解できなかった私の思考回路は、条件反射的に疑問の声を発した。


「お部屋は空いてるし、三食寝床付きでお給金もお支払いします! 私のお小遣いからなので、ちょっとになっちゃうけど……」

「ちょっ!? はるかさん!? 何を言って……こんな怪しい奴うちに住ませる気か!? というか、俺に家庭教師なんて……」

「う~ん……。ちょっと聞いておきたいんだけど、なんで私? 伊吹いぶき少年の言うように私、素性も知れないし、自分でも結構怪しい奴だと思うんだけど……?」


 制服女子は考え込むように腕を組み、天井を見上げると、要領を得ないといった様子で眉をハの字にした。


「う~ん……なんていうか……その……記憶喪失からっぽさんのことが他人とは思えなくて……」

「他人とは思えない……?」

「あの場所で記憶喪失からっぽさんを見つけたときも、なんというか……どうしても放っておけなかったというか……。きっと私たち家族には記憶喪失からっぽさんが必要……そんな気がしたから……。それが理由かな?」

「理由って……。理由でもなんでもなく、ただの直感……」

「でもでも! そういうのって運命とかと同じだと思うんだよね!? 」

「必要……運命……か」


 制服少女が並べ立てる言葉に、自分でも理解できない違和感を抱きながらも、私は掴まれた手をそっと振り解き、ドアノブに手を掛ける。


「せっかくの申し出だけど、私は誰かに迷惑を掛けたくないし、関わり合いを持とうとも思っていない。でも、あなたに負けず劣らず、私は図々しくて我儘わがままでもある」



◇◇◇



「――マイナデスという女性たちは、デュオニュソスというワインと豊穣を司る神を強く信奉するあまりに理性を失い、酒に溺れ、性に乱れ、血を求め、人を襲う狂人と化した。その伝承によってマイナデスは、酩酊・狂気・腐食・同性愛の象徴として後世に伝えられた……か。神話とはいえ、どこにでもそういう輩は生まれるもんなんだな」


 夜の闇に舞う桜の花弁がひらひらと雪のように舞う中、花びらのベッドに背を預けながら読書を嗜んでいると、草葉を踏みしめながら自分に接近する物音を感知した私の意識は条件反射的にそちらへ向けられる。


「その足音は……ペリメか。予定日とはいえ、ちょっと働きすぎじゃない?」

「お心遣いは感謝致しますが、あなたから任務失敗の報告を聞くことになるなど想定しておりませんでしたので、急ぎ駆けつけた次第です」


 満月から少しばかり欠けた月を見上げながら私が問い掛けると、闇の中から姿を現した人影は、他の誰でもなく私に告げ、私は聞き慣れた声によって警戒を解く。


「それは悪いことした。今回は成り行きで潜入することになったから、仕方なかった……と言いたいところだけど、私は『作戦は失敗した』って報告しただけ」


 読んでいた本を大きく放り投げると、ペリメは慣れたようにそれをキャッチし、その表紙を見て少しだけ驚いた表情を浮かべた。


「危険そうではあるけど、さすがに今回はハズレかな? こっそり拝借したけど、気付いてもいないでしょうし、仮に気付かれても騒ぎ立てたりはされないと思う。書斎の本棚にしれっと置いてあったし、厳重に管理されてるふうでもなかったから、たぶんそれが何なのかを知らないんだと思う。というわけで、それは私からの餞別」

「私の早とちりのようで失礼致しました。しかしながら、ひとつ気に掛かることがありましたので僭越ながらお伺いします。……とは?」


 安定の返答に対し、私は予め用意しておいた答えを返す。


「手切れ金って意味。私、組織を抜けることにしたから」

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