2.Fake - 偽り

Fake - 偽り(1)

「お前……はるか姉さんに……何をしたッ!?」


 まるで野生の狼のように吠え散らす少年に対して、私はまったく動じないどころか、むしろその様子が滑稽に思えてしまい、堪らずに声を出して笑う。


「……あっはははは! キミのお姉さん、とんだお間抜けさんだよねー? 忍び込もうとしてた人間を、ご親切に子猫拾うみたいに招き入れてたりして。こっちは獲物を狩ろうとしている虎だっていうのに♪」


 嘲り笑い、煽り言葉を付け足すたび、少年はその眼光に一層の凄みを増しながら歯軋りをギリリと鳴らし、今にも噛み付かんばかりの攻撃的な視線を私に浴びせ続ける。

 悪意と敵意が交差する一触即発といった状況でありながらも気に掛けることなく、そのまま問答無用とばかりに室内へズカズカと踏み込み、私は部屋の中を観察するように視線を泳がせる。

 室内は壁に立ち並ぶ本棚と高級そうな机が奥に一つあるくらいで、とりわけ目立つものはなく、それは私室と呼ぶよりは書斎と呼称するほうが相応しい様相をしていたため、私は一つの疑問を投げ掛ける。


「へぇ~……。天文学、地学、経営学に統計学に心理学、それに量子力学……六法全書……? 図書館並のラインナップだけど、中学生に上がりたての人間が読むにしては、難しい本ばっかりだねー?」

「や……やめ……っ!」


 整然と並べられていた本を、一冊一冊手にとっては落としと繰り返して地面に散乱させてゆくと、その度に少年の肩はピクリと揺れ、その様子をつぶさに観察しながらも私はそれを継続し続ける。


「こんな本が自分の部屋にあるってことは、キミは頭が良いのかな? それともここは……とか?」

「……っ!?」

「おや? ビンゴ? キミの部屋じゃないということは……もしかしてもしかするとこの部屋にあったりしてー? 隠し財産ちゃん♪」


 本棚に残った本を雪崩のように次々に落として空っぽにしてゆくと、少年は呼吸を荒くしながら私の手首を掴んだ。


「もうやめろっ!? こんなところに、そんなもんがあるわけないだろ!?」

「そうかなー? お姉さん言ってたよ? キミは一人で何かを抱え込んでるようだって? 実は両親の再婚なんて全部建前で、学校にも行かずにキミが部屋に引き篭もっているのは、……なんてことも十分考えられるよね?」

「馬鹿言うな……っ!? そんなことあるわけ……!」


 捕まれた手を振りほどき、無礼千万を承知で高級そうな机へ腰を乗せる。


「あっ。そうなると、お姉さんは何も知らされてなかったってことになるのか。それじゃあ隠し財産について吐きようがなかったね……これはちょっと可哀想なことをしちゃったかなー? といっても、もう手遅れではあるんだけど♪」


 包丁に残る赤くこびりついたそれを、舌で丁寧に舐め取ってゆくと、少年はガックリと俯きながら肩を震わせた。

 その瞳は涙で潤みながらも、怒りに満ち満ちた、殺意すら感じさせる眼光を放っていた。


「くだらない……! くだらないくだらないくだらない……っ!! そんなくだらない妄想で人を……はるか姉さんを……! お前みたいなのが居るから……っ!!」


 ――パシン!


 次の瞬間、私に近寄ってきた少年の左足が動き、そのつま先が狙い澄ませたように私の手首を下から射抜く――そして、私の手にあったはずの包丁はその衝撃によって宙空を舞った。

 間髪入れずに少年の両手が私の喉首へと食い込み、私の体は机上に押し倒され、小柄な容姿に似合わないほどの握力は、怒りの度合いを示すかのように私の首を締め上げてゆく。


「良い動き……それに、見かけによらず怪力だね、キミ……? その力で私を殺す? さっきの私の忠告、忘れたのかな?」

「お前みたいな悪人の言葉なんて知るもんか……! これは正当防衛だ……!!」

「それじゃあ、自分の行動は正しいと? 復讐心にまみれたその手で私を殺めれば、キミは私と同じ人殺しになる。それがキミのなりたい姿なの?」

「……っ!?」

「冷静に考えてみなよ? 血も繋がっていない赤の他人がどうなろうと、自室に引き篭もっているキミには関係ない。キミが手を汚す必要なんかない……そうじゃない?」

「違う……っ!! 姉さんは……はるか姉さんは、いつだって俺のことを心配してくれていた……っ! 本当の家族みたいに……!! 俺の行動がみんなに悲しい想いをさせているなんてことも分かってる……! でも、今のままじゃ駄目だ……俺がもっとしっかりしないと……いや……しっかりしていればお前なんかに……っ!!!」


 首を締め上げる力が一層増したことで、あと一押しだろうと私が確信したその直後、開け放たれた扉の向こうからその声が聞こえたことで、私の中に動揺が走る。


「あの~……二人とも……こんなところで何やってるの?」


 想定外の人物の登場に、私と少年は目を見開きながら硬直する。


「は、はるか……さん……? なんで……? け、怪我は!?」

「え、え~っと……怪我って何のこと? このとおり元気モリモリー……みたいな?」

「元気モリモリって……」


 突き飛ばすように私を押し退けた少年は、一目散に制服女子のもとへと駆け寄って安否を気遣うものの、当の気遣われた本人は状況が飲み込めないと言いたげな表情を浮かべながら困惑しており、まるで喜劇の一コマのような状況に私の口角は自然と吊り上がった。


「よ……良かった……。本当に……」


 緊張の糸が切れてしまったのか、少年はその場で床にへたり込み、私は乱れた衣服を整えながら上体を起こして、机から飛び降りる。

 その動きを察知した少年はすぐさま振り返ると、立ち塞がるように制服女子の前に立ち、近くに落ちていた包丁を拾い上げてその切っ先を私に向ける。


「く……来るな! はるかさんは下がってて!!」


 私は少年のその言葉に同意するように、ウンウンと頷き返す。


本当にそれほんそれよ、まったく……。せっかくあとちょっとだったっていうのに。気になっても顔を出さないでって、釘を刺しておいたはずなんですけどねー、依頼主さん?」

「え……えっと、それはだって……。大きな音とか伊吹いぶきの叫ぶような声が聞こえたから、何してるのかな~って気になっちゃって……。てへへっ♪」


 雑談でもするような普通すぎるやりとりに疑問を抱いたのか、少年はなんともいえない複雑な表情を浮かべ、私たちの顔を見比べるかのように二度見し、そして最後に大きく首を傾げた。


「依頼……主……? あとちょっと……?」

「キミが最初に言ったように、これは茶番劇だったってこと」

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