彼女はリポーター

そうざ

She is a Reporter

 毎朝の事だが、電車の時間に遅れそうな俺にそこそこ美人のリポーターがマイクを向けて来た。

『日本ジョーシキ調査隊』という鉢巻をしたリポーターは、『海豚』と記されたフリップボードを掲げながら溌剌とした口調で質問をする。

「さて、この漢字は何と読むのでしょ~っ」

 この手のクイズに飽き飽きしていた俺は、イルカ、と即答して駅へ急いだ。


 鮨詰めになりながら電車に揺られていると、俺の眼前ににゅっとマイクが突き出た。

 くだんのリポーターは乗客に埋もれながら俺に問うた。

「現在の介護保険制度について、どう思われますか?」

 俺は呆れながらも当たり障りなく、抜本的な見直しが必要だと思います、と回答した。リポーターの『知りたい! 日本の困りゴト』というのぼりは揉みくちゃになっていた。


 デスクで仕事をしていると、『突撃! オフィスの昼ご飯』というプラカードを携えた例のリポーターが真っ直ぐ俺の方へ駆け寄って来た。

「いつも昼食代に幾らくらい使われてますか? やっぱりワンコインですか?」

 周りの同僚は俺達のやり取りを見て見ぬ振りをし、厄介なのに掴っちゃったねぇ、ご愁傷様、と言わんばかりに薄笑いを浮かべている。


 退社後、俺はカノジョとの約束場所へ一目散に向かっていた。

 四六時中リポーターに追い掛け回されている俺のストレスは、ピークに達していた。だから、早速カノジョをホテルに連れ込んだ。カノジョの方もやる気満々だったらしく、ベッドに横たわるや否や俺の股間に顔を埋めた。

「すごぉい、いつもより硬~い……あれ?」

 ほんのり赤味を帯びていた顔色を元に戻したカノジョは、右手に掴んだ物を俺の眼前に引っ張り上げた。それは、見慣れた一本のマイクだった。マイクには、カノジョとは別の女の手が一緒に付いて来た。

 言うまでもなく、リポーターだ。『今時カップル・愛のカタチ大調査』という派手な襷を肩から掛けている。

 カノジョは一頻ひとしきり驚きくった後、自分勝手に悪い方に状況判断したらしく、泣き怒りながらホテルを出て行ってしまった。

 当然、俺はカノジョを追い掛けようとしたが、その前にリポーターに向かって叫んでやった。

「お前はリポーターなんかじゃないっ、単なるストーカーだっ!」

 リポーターは、信じられない、という顔をして走り去ってしまった。


 後日、俺はカノジョに身の潔白を主張した。あのストーカー紛いのリポーターは飽くまでもリポーターであって俺と特別な関係にある訳ではない、リポーターは赤の他人だろうと初対面だろうと不特定多数にずけずけと話し掛けるものだ、やけに親し気に見えたのもリポーターの気性と言うか役目柄と言うか兎に角そんな人種なのだから仕方がない、と力説した。

 しかし、カノジョは聞く耳を持ってくれなかった。俺は連日、カノジョのマンションに押し掛け、土下座で弁解した。玄関の前に何時間も座り込み、主張を続けた。

 そんな俺に、カノジョは言い放った。

「好い加減にしてよっ、このストーカーっ!」


 俺は奈落の底へ真っ逆様に堕ちた。うらぶれた気分で夜な夜な繁華街をうろつき、酒をあおってはあっと言う間に酔い潰れ、公園で酔い覚ましをするのが日課になった。

 自分で言うのも何だが、俺はそれなりに彼氏だ。浮気も粗相もしない清廉潔白の身なのに、レポーターに付き纏われているというだけで疑いの目を向けられるなんて、偏見そのものだ。

 ベンチにもたれて途方に暮れていると、俺の視界に人影が入って来た。そこにマイクを持ったリポーターが遠慮勝ちに佇んでいた。

 暫く姿を見せなかったのは、リポーターなりに気を遣っていたからだろうか。ほんの数週間振りに対面したリポーターに、俺は妙な懐かしさを覚えていた。

 リポーターはマイクを俺に向けると、怖ず怖ずと口を開いた。

「破局は本当なんでしょうか?」

「ノーコメント」

「今のお気持ちは?」

「ノーコメント」

「私がカノジョさんに事情を説明しましょうか?」

「……」

 確かにリポーターが直接説明をすれば、カノジョも納得して寄りを戻してくれるかも知れない。だが、俺はもう全てどうでも良くなっていた。自暴自棄という奴だ。

 リポーターはもう言葉を見付けられないようで、月明りの下、俯いたまま立ちすくんでいる。やがて、小さく嗚咽のような声を発し始めた。

 本当にこの女が毎日ハイテンションで俺を追い掛けていたリポーターだろうか。今、目の前で泣いているのは、何処にでも居る普通の女だ。

 気が付くと、俺はリポーターに愛おしさにも似た不思議な感覚を抱いていた。これまではそこそこの美人だと思っていたが、よくよく見ると中々の美人である事にも気が付いた。リポーターになる前はアイドル歌手でもやっていたのかも知れない。

 これまでに何人かの女と親密になったが、振り返ってみるに、彼女くらい俺の他愛のない意見をしっかりと受け止めてくれる人は居なかった。明るく快活に物怖じせずに接し、何処へでも突撃する行動力もある。

 俺は、大変な誤解をしていたのかも知れない。

 彼女が持っていた台本の表紙には『緊急告白スペシャル! 言いたくても言えなかった気持ちを告白してみませんか?』と記されている。もしかして、リポートは建て前で、遠回しに俺に愛の告白をし続けていたのではないのか。

 俺は、マイクを握る彼女の手に自分の手を重ねた。


 ――と言う訳で、俺達は目出度めでたく結婚した。


 祝日のその日、俺は昼前にようやく目を覚ました。家の中はいつも通り静かだった。

 今日も女房は何処かへリポートをしに行ったのだろう。

 女房は結婚直後から俺にマイクを向けなくなった。当然の事ながら、身内になってしまった俺はもうリポートの対象ではなくなってしまったのだ。

 飛び切りの笑顔を振り撒き、絵に描いたようなハイテンションで何処ぞの馬の骨にマイクを向ける女房の姿を想像しながら、俺は遅い朝食を一人で頬張った。

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