6.不可解な悪意

「ええっと、どこまで話したんだっけか」片桐はそう言って、目線を斜めに上げた。


「えー、確かですね……」


 思い出そうと眉間に皺を寄せる光莉。そばでは、美波が斜めに視線を落としていた。

 当の本人である涙止中は、あんぐりと口を開き、目線が真上に向いていた。思い出そうと必死なのか、ふざけているのか、はたから分かりづらい見た目であった。


「あっ」ようやく思い出す光莉。「動画をアップされた被害者が友達で、その彼は良い人間、ってな、話だったんじゃなかったでしたっけ?」


「あっそうです」美波が続く。「それで、投稿されたのは五人目で、それ以降は投稿されていないって話をしていた記憶が」


「あー、そういえば、そうだったね」片桐は波止中を見た。「ちなみにだけど、この投稿している、伊果いはてようっていう人、学生や学校関係者には?」


「いなかったすね」


「だよね。いたらこんなにまで苦労せずに犯人捕まってるか。愚問でした、ごめんなさい」


 次に口を開いたのは光莉。「なら、フェイク動画で勝手に使われた人たちに、何か共通点は?」


「それが、無いんすよ」


 波止中は余計に分からなくなってしまうと理解していながらも、そう答えた。だからか、表情は眉の寄った困り顔であった。


「知り合いの友達と知り合いだった〜みたいなことはあるらしいっすけど、まあ大学のサークルとか入っていれば、それなりにあることですからね」


 片桐は視線を頭上へ向けた。


「ま……告発する相手は変わらないわけだし、ま、別に誰でもよかったのかね」


 無差別なのだとすれば、動画に映る人たちはやはり不運だとしか言いようがない。心中を察した光莉は、口をぎゅっと閉じた。


「しかし、犯人は何故、実在する人物の顔を用いたのでしょうか」美波は顎に片手を添えた。


 答えたのは片桐。「そりゃあ、撹乱させることが目的なんじゃない? 誰が投稿したのか分からなくさせるためにさ」


「だとすれば、自動生成した偽物のほうがよいのではないでしょうか。この世に存在しない人間が映っているわけですから、それこそ関係性などから突き止められたりはしにくいはず。なのに、犯人は実在している人の顔を用いて、ディープフェイクという方法をわざわざ選んだ」


 言われてみれば確かに、と皆が納得の表情を浮かべる。


「確か、こういったディープフェイクを作るには動画や写真、音声データなど基となるデータが無いといけなかったはずです。ならまず、作る前段階で集めるという作業が必要ですから、手間も時間もかかります。当然それにかかるリスクも増えるはずです。ネットでもリアルな世界でも、集める行為をすればするほど、痕跡が残る可能性がありますからね。犯人は匿名で行なってますし、今の今まで姿を現していないとなると、当然正体だってバレたくはないと思っているはずなのに、そんな危険を冒している、というのが、私にはどうも腑に落ちなくて……」


「てことは、ミナっちゃん」片桐はぶっきらぼうに頭をかいた。「そこに犯人の意図があるんじゃないか、って考えてるの?」


「かもしれません。まだそこまではなんとも」


「そういえばなんですけど」光莉は小さく手を挙げた。「この一連の件に、警察って関わってないのかな。ほら、こういうのって、名誉毀損とか、肖像権侵害とか、そういうので訴えられたりするんじゃない?」


「確かにそうだ」片桐が続ける。「被害届とかは?」


「いやぁ、どうなんだろ。そういう話は今んとこ……あっでも、サカセン自身は出したいけど、大学側が止めてる的な〜話は噂でちらっと。まあ、動画の内容が告発ってことなんで、詳しく調べられちゃ、色々とマズイんじゃないですかね、はい」


 急に淀みなく喋り出す波止中。どこか自信あり気。


「なら、動画で勝手に使われてる人たちはどうなの?」


「も、みたいっす」


「えっ、五人とも?」


「とも」


 つまり、この騒動にかかわる人は皆、被害届等を出していない、ということ。光莉は少し視線を落とす。「ここまでのことされてるのに、なんでなんだろう……」


「これ以上、騒がれるのが嫌みたいですよ。精神的に参っちゃってんじゃないっすかね」


 片桐はワンカップを傾けた。「ま、早く風化して、忘れ去りたい、って理由なのかね」


「一応、大学側は色々と調査を進めてはいるらしいですよ。動画に映ってる人らへの聞き取りとか」


「ほうほう」納得したように片桐は数回頷いた。「にしても、よくご存じで」


「俺、サカセンの講義取ってますんでね。それなりに情報入ってくんすよ」


「あっ、そうだったね。忘れた」


 忘れてた、といえば……光莉はある疑問点を思い出した。


「今更なんですけど、投稿が止まっているっていう話、あったじゃないですか。それって、止めたんじゃなくて、出来なくなった、ってことなんじゃなかったりしないですかね?」


 耳を傾ける美波。「と、申しますと?」


「ほら、今のところはなりをひそめてる、のような。頃合いを見て、また出てくるつもりなんじゃないかなって」


「成る程」美波はしみじみと頷いてみせた。「確かに、そういう考え方もありますね」


「じゃあ、これからもまだ投稿されるかもしれない、ということっすか?」波止中が額に皺を作る。「マジか……だったら、どうにかしないと可哀想だな……どうすればいいんだろ」


 本当に心配そうに悩んでいる様子。相変わらず軽さはあるのだが、優しい性格だということは確かなよう。


「もしかして」片桐は何か閃いたように背筋を伸ばし、皆それぞれに目線をやった。「さっきミナっちゃんがリスクと釣り合わないって話をしてたけど、教授に対して恨んでるんじゃなくて、本当はこの動画に映ってる人たちのことを恨んでるんじゃないかな?」


 片桐の推論が始まる。


「さっき投稿が止まってるって聞いた時、ふと投稿をしなくなったのは目的の五人へ恨みを果たせたから、なんじゃないかって閃いたんだ。となれば、この子たちに恨みを持つ誰かが仕組んだことって考えられるでしょう。その教授を選んだのも、単位を落とさせるため、みたいな」


「いや、映ってる人の中には講義受けてない人もいますよ」波止中が終止符を打った。


「あっえっ、そうなの?」


「それどころか、そもそも理系の奴すらいます」


「文系の教授だったな……理系だと、その講義を受けることは?」


「無いっすね。確実に。全くの別分野なので。選択できる科目の中にすら含まれてないっす」


 美波は苦い顔で、申し訳なさそうに話し始める。「私もその可能性は考慮したのですが、であると、わざわざこんな告発の内容でなくても、教授への単純な悪口だとか、そういう前準備が必要のないものでいいのでは、と」


 続く光莉。「それに、片桐さんも言ってたじゃないですか。勝手に使われた彼彼女らは被害者だって。だから、講義を受けてる人が映っていたとしても、それで、例えば単位を落とされたり、退学になったりすることはないでしょう」


「あっいや、それに関しては分かんないっすよ」波止中は苦々しい顔でそう言った。「あいつ、ちょっとズレてるっていうか、思考回路イカれてるんで」


 波止中はどこか思い出しながらの表情で話を続ける。


「なんか気に入らない学生がいると、授業中でも関係なくつっかかってきて、最悪教室追い出されますからね」


「それは学生側が何か悪いことしたとかではなく?」


「色々あるんですけど、例えば、着信とかメールの受信音とか、そういうので音が鳴ると、講義の邪魔だから出て行けぇー、単位などやらないからもう来るなぁー!、とか罵声を浴びせるんです」


 キーの異様に高い金切り声は、ヒステリックそのものである。


「マナーモードに切り替え忘れただけですよ? 着信の時は話したわけでもなく、すぐ切ったっていうのに。そういう奴なので、一度決めてかかったり偏見をもたれたら、何されるか分かんないっす。執拗でねちっこくて。幸い俺は被害に遭ってなくてはたからですけど、誰がどう見てもあれはイジメっすよ。そんなこと平気でして平然といる、ハラスメントの権化みたいな野郎です。中には精神病んで自主退学した人もいるぐらいでしたから」


「そこまでいくと流石に酷いな……」片桐は顔をしかめた。


「だから実のところ、今回の動画はうちら学生の間では、ザマァみろって感じになってるんです。悪事がようやく明るみになった、っていうか。動画は止まってますけど、当然騒ぎにはなってきてますんで」


 波止中のその言い方は、サカセンのことを好きな人が、本当に人っ子一人いないということが、十分に伝わってくる言い方であった。


「そんなに酷かったなら、尚更なんでこれまで明るみにはならなかったんだろうね」


 三人以外、コインランドリーには誰もいないというのに、何故か波止中は顔を寄せてきた。


「サカセン、理事長の親戚なんすよ。だから、色々やらかしても水面下で都度揉み消されてしまって。どうせ他の大学じゃ雇ってすらくれないから、うちの大学で延々と居座ってるらしいんすよ」


 恨みつらみを凝縮した伝え方。直接に被害を受けたわけではない彼ですらこうなのだから、その酷さは相当のものであったと伺えた。


「だとしたら、被害者とはいえ、こんな動画で目をつけられると、後々は面倒になるよな……」


 片桐の呟きに、光莉は改めて、動画に使われた人は可哀想だ、と頭の中で呟いた。


「となるとやはり、この五人を陥れることが真の狙いなんですかね」


「そんな気も、僕にはするんだけどね」


 波止中の話で、片桐の推論がより現実味を帯びてきた。


 光莉は波止中に視線を向ける。「でも、この五人同士は友人だとか同じサークルだとか、そういう共通点は無いんだったよね?」


「はい」


「だとすると、何が……」


「いや、エトっちゃん」片桐が手を伸ばし、静止させる。「そうとは限らないよ?」


「え?」


「五人が関わる一つのきっかけで、この動画を投稿しているとは限らない。五人それぞれ別で関わった五つのきっかけがあったのだとしたら?」


「それなら、確かに五人同士に関わりがなくてもおかしくないですね」


「でしょぉ?」片桐は不敵に微笑んだ。何故不敵なのか、光莉には分からない。「あくまでこの動画は手段でしかなかったんだよ」


「ごめん、もう一度映像を見てもいい?」片桐の話には構わない美波。一人、波止中に尋ねた。


「あ、ああ」画面を開いてスマートフォンを渡す波止中。


「やっぱり、その動画が何か手がかりに?」


 光莉が声をかける。「あ、あれ僕の話はいずこへ?」という声については、無視をして。


「直接的なものかは分かりませんが、この動画、私には腑に落ちなくて」


「腑に、落ちない?」


「ええ、五本の動画全て確認しまして。隠れていた違和感については見つけられたのですが」


「えっ??」


 予想外の、そしてあっけらかんと、淡々とした答えに、光莉は驚きの声を上げた。

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