2.拡散された虚実-フェイク-

「いや、マァジで助かった、浜音さん」


 男性は千円のお釣りとなった硬貨を荒くポケットに突っ込んだ。


「普段使わないからさ、ここ現金しかダメって知らなくて。逆に持ってきてなくて。今度のゼミの時、返すから」


「か、返すのはいつでも大丈夫だから」


 美波は目線を落とすと、動いて眼鏡がずれる。そのままおもむろに直す。


 美波に危険があるといけない。親心で、光莉と片桐は一応余計かもしれないが、二人のそばへと寄っていた。


「繰り返しになるけども、つまり」と、最初に口を開いたのは片桐のほうであった。「二人は同じ大学の文学部同士。そんでもって、ゼミが一緒なんだね?」


「ええ、気づいた時マジでビビりました。まさかこんなとこで会うなんて思ってなかったんで」


「わ、私も、まさかハトナカ君だとはお、思わなかった」


「あっ、そうだ。俺、はとなかって言います。波に止まる中央と書いて、波止中はとなかっす」


 遅ればせながら名乗ってきたので、片桐も光莉も、「どうも、片桐です」「衛藤です」と返した。


「うっす、よろしくどうもっす」


 この返事の仕方と首を前に出して軽く肩をすくめるような仕草をする波止中。


 光莉はふと隣を見る。片桐が表情を幾分引き攣らせているのに気づいた。どうやら片桐も同じ気持ちを抱いているようだ。


 片桐に関しては誰がどう見ても明らかに歳上だというのに、返答はどうも軽い。

 前向きに言い換えれば、気さく、と呼ぶのかもしれないが、相性の問題か光莉にはどうもそう捉えることができなかった。まとう雰囲気からして悪い人ではないとは思うのだが、苦手な部類ではある。


「あっ、そういえば」波止中は何かを思い出し、美波に目線を向けた。「大学から連絡って来た? 例の、無闇に取材受けるなってやつ」


「えっ、いや……来てないよ」心当たりのない顔をしている。


 波止中はその反応から何かを察し、「あれ? 年次の必修科目の教授って、サカセンだよね??」と問うた。


「ううん、違う」


 教授のニックネームが共通言語として成立しているのが、二人が学生であると、光莉は感じていた。学生時代、自身も同じように名前を略した先生がいたことを光莉は思い出し、懐かしむ。


「あれ、そうだっけ。あっそうだったんだ。じゃあ、来てないか」


「連絡って、何かあったの?」


「ほら、結構話題になってる、サカセンへの動画」


「え、なんだろう……」


 ニックネームが付くくらいだ、さぞかし愛されているのだろう。送る言葉が何かだろうか。二人の会話を横目に、光莉はしみじみと小さく頷く。


「あれだよ、あいつに悪口言ってる動画」


 違った、光莉はすぐさま脳内訂正する。どうやら、嫌われてる方だったよう。確かに、嫌いな教師にもニックネームを付けたりするパターンもあったな、と今更ながらに思い出す光莉。


「見たことは?」


「ない」


「逆に、聞いたことは?」


 逆、ではないだろう。光莉と片桐は声にはしないが、脳裏を同時によぎっていた。


「も、ない」


「ああ……じゃあ、ちょっと見てみる?」波止中はおもむろにスマホを取り出し、慣れた手つきで操作する。「ええっと確か……あっこれだこれだ。最初の、ちょっと前のやつだけど」


 美波に続き、光莉と片桐も顔を寄せた。


 発言や写真動画を投稿できるSNSの、ある人物の投稿した動画を波止中は見せてきた。

 その人物のアカウント名は、伊果いはてよう。投稿されたのは一ヶ月ほど前である。


 波止中は何も真ん中にある、三角形の再生ボタンをおもむろに押した。


 流れ始めたのは、黒ニットのタートルネックセーターを着た女子大生の動画。大きな窓ガラスを背にして座っている。カメラがテーブルらしきところに置かれているのだろう、視線は少し落ちており、カメラ目線になっている。いわゆる自撮りのような状態。

 外の暗さから、そして画面の右端にある棚のようなところに置かれた黒地に赤い時間表示の特徴的なデジタル時計から、時間帯は夜であるというのが分かった。

 全体的に暗さを感じるのは、黒が多いからだろう。


 カメラに向かって、斜めに若干見下ろすような角度で映っているその女性は話し始める。内容はサカセンという教授が過去に起こした様々なハラスメントについてのこと。自分ではなく、被害に遭った他の誰かのことについて、淡々と語っている。


「これっていうのは、その、内部告発的な?」光莉は呟く。


「はい」頷く波止中。


 語られるその内容は強過ぎる人格否定な言葉を浴びせられた、というものから、存在を無視。明らかな差別的対応など、それらは多岐にわたる。


「この動画、な、なんか変じゃありませんか」


 動画の中の違和感に、眉をひそめる美波。それは、編集点が多いというところだけではなかった。


「確かになんだろう、この言い知れない気持ち悪さは」


 片桐は眉をひそめた。光莉も語らずも同様の感想を持っていた。


 まず、音声。顔の表情と声の抑揚が合っていない。まるで他の場面から切り取って繋ぎ合わせたような違和感を感じる。加えて、発言の端々で口だけ動いて音声が聞こえない時や、口が動かず音声だけ聞こえてくる時がある。

 そして、動作。まばたきのタイミングも繰り返し間が悪かったり、頭や身体の揺れ方もはっきりと必要以上に左右に揺れていたり、カメラを見ている目はただ真っ直ぐ前を見ていて、表情は口以外これでもかというぐらい固まっている。人間の普通の動きのそれとは明確に異なっている。


「多分、これが、AIが作った動画だからじゃないっすかね」


「なにそれ、そんなの技術があるの?」戸惑いをみせる片桐。だからこそ、置いていかれないように、とすぐ問いかけた。


「ええ」答えたのは光莉。「AIがインターネットにある膨大な情報をもとに、人間が指示した動画や画像を自動で作ってくれるんです。最近はタレント雇うよりも安いし早くにできるからって、そういうAI生成のものを広告塔にして使う企業もあるぐらいで」


「ほぇ~。今の時代、そんなことが」感嘆の声の中に混じる慄き。「便利なんだろうけど、僕なんか古い人間はどうも怖いと思っちゃうなぁ~」


 どんな技術も使う人次第で利器にも兵器にもなる諸刃の剣である。多分世界のどこかで誰かしらが一度は考えたことがあるであろうことを思い浮かべながら、「存在しない人を思うがままに作り出せちゃいますからね」と話す光莉。

 その言葉に波止中は慌てて「あっいや」と反応した。「違くて」


「違う?」


「はい。これ、映ってるの、本人なんすよ」


「……は?」


「その……その動画に映っている人は、実在する人物なんです」


 その言葉の真意に光莉が気づくのは少し遅かった。光莉は虚空を見上げ、整理してから尋ねた。


「え、この動画の映ってる人って、本当にいる人なの?」


「そうなんです。いる人の顔を勝手に使われてる感じなんすよ」


 光莉は以前、実在する著名人とそっくりに作ったフェイク動画内で、卑猥な言葉などを言わせて、名誉毀損行為を行なっていた人物が逮捕された、というニュースが、会社から駅までにある大型ビジョンで流れていたのを思い出していた。ならば、AIが全てを作り出す、というわけではなく、元からあるものに付け加えるということもできるということだ。


「元いる人の顔を使って、AIが当てはめたというんですかね、そうして作った動画らしいっす」


「てことはつまり、どちらかというと、いわゆる、ディープフェイク動画の分類になるのかな」


「多分」波止中は頷き交じりに、話を続ける。「しかもですね、なんかフェイク動画かどうかを調べられる有名なサイトがあって、そこで調べたらしいんですけど、この動画なんか凄い精巧に出来てるらしくって、そこですら偽物とは断定できない、って判断されたみたいで」


「みたい?」


 片桐が尋ねると、波止中は「はい、誰かが調べたらしいっす。動画投稿に紐付いたコメントにも、よく出来たフェイク動画だって、書いてありました」と淡々と応える。


 動画の画面から元の投稿画面へ移る。投稿画面には動画の他に、「動画内で話すことは全て真実です」という一言の文言と「ハッシュタグディープフェイク」「ハッシュタグフェイク動画」が付け加えられていた。

 その効果もあってか、さらに下部にどれ位の人が閲覧したかなどについての情報が表示されているのだが、知り合いに拡散する矢印で囲まれたマークのものは数百、共感している人数を示すハートマークのものは数千、閲覧数はまもなく十万件に達するところだった。


「随分、バズってるのね」光莉は感嘆の声を上げる。


「ええ、かなり」波止中は頷きながら応えた。


 美波は「あの」とか細い声と手を小さく上げる。「さっき、この動画を、最初のやつ、って言ってたけど」


「そう。さっき見せたのが最初に投稿された動画。んで、少し前に五本目が投稿されて」波止中はスマホをしまい、話を続けた。「けどそれまでは、二、三日間隔ぐらいで投稿されてたんだけど、それ以降は逆にぱたりと投稿がなくなって。もう一週間ぐらいは経ったかな」


「なんで、同じ種類の動画だと?」


「全員、サカセンのことを告発する動画だったんだよね。それに、みんなおんなじ黒いニットのタートルネック着てたりとか、背景がおんなじ場所だったりとか、共通してたのがほとんどだったんだ」


「成る程」美波は頷いてみせた。


「じゃあ、その先週ぐらいに出た五本目で、投稿は終わったってこと?」光莉は眉間に皺を軽く寄せた。


「終わったというべきか、止まったというべきか……どっちにしても、収まりつつはあるんすけどね」


「随分と含みのある言い方だね」片桐は問いかける。


「いやぁ、実はその五本目なんですけど、映ってるの俺の友達なんすよ」


「なんとっ」片桐は大袈裟に反応する。


「びっくりしますよね。俺も最初は驚きました。それに、この動画のせいで、迷惑被りまくりで。そいつ、今、結婚式で、式が終わる時とかに流す動画の撮影と編集のバイトをしてるんすけど、これのせいで、出勤しづらくなってるみたいで。やっぱ仕事柄、人目に触れるので、変に注目されちゃうみたいで」


「この教授も被害者だけど、それを責める友達も、実は被害者だった、ってことか。とんだ火の粉を被ってしまったもんだ」


 片桐は淡々と呟くも、言われてみればそう。別にその部分は実在する人を使わなくてもいいわけだ、と各々が納得する。


 波止中は煮え切らない表情だった。「やっぱこういう被害に遭うのって、悪いことしてる奴がなるべきっすよね」


 思うところがあるのか、ふつふつと湧き起こる怒りを吐露する波止中。


「その友達と、仲良いんだね」


「え?」


「いや、悪いことしてる奴が、とかなんとか言ってたから」


「はい。仲良いですし、根が優しくて、性格の良い奴なんです。相談すれば色々親身になってくれますし。こう話聞く時も他人事じゃなくて、まるで自分のことのように心配したりしてくれる優しい奴なんです。この前だって、俺の彼女の……」


 そこまで言ったところで、波止中は、はっとした表情に切り替わった。余計なこと言ってしまった、そういう表情である。


「いや、なんでも無いっす。うっす」すくめるように首を動かす波止中であった。


 光莉はやはり気にはなった。だが、彼女、というワードと、その後のはっとした表情から察するに、そこから先に繋がる事が良い方向ではないことが、そしてあまり踏み入らないほうがいいと思った。だから、それ以上は口にしなかった。


「なになに? なんの彼女が?」


 しかし、片桐は土足でお構いなし。ずかずかずけずけと、踏みいった。


「あっ、いや、その……」どうにか濁せないかと模索する波止中。


〈さぁ続いてはこの方。ラジオネーム、まめでっぽうさん。マスオカさんとモリモトさん、こんばんわ〉


〈こんばんわー〉


〈最近のことなのですが、自分には付き合って一年ちょっとの彼女がいます〉


 突如としてラジオから聞こえる、メールを読み上げるモリモトの声。さっきまでは聞こえてこなかったのに、今はよく聞こえる。

 何故か。答えは単純だ。店の中が静かになったせいである。


〈そんな彼女からこの前、メッセージアプリで、「どう」と一言だけが送られてきました。あまりに唐突なことで、もしかしたらもっと長文を送ろうとしてたら、間違えて送ってしまったのかと思い、暫くそのままにしていました。ですが、待てど暮せど、音沙汰はなく〉


 では、何故静かになったのか。片桐から会話を振られた人物が黙ってしまったからだ。


〈なので、こちらから連絡をしてみました。しかし、返信は来ません。既読にすらなりません。それからというもの、彼女はメッセージへの返信どころか、こちらからの電話にすら出てくれず、完全に音信不通となり、連絡が取れなくなってしまったのです〉


 波止中は口を半開きにしていた。その目は流れているラジオに真っ直ぐ向いている。


〈夏には海に行ったり、音楽フェスで踊ったり、町のお祭りに行ったり、少し前には謎解きイベントに一緒に参加したり。つい先日まで会っていましたし、仲は良かったはずなのに。彼女の身に一体何があったのでしょうか〉


「あれ? なんで急に黙っちゃったの、波止中くん??」


 辛抱たまらず口を開いたのは、ここも片桐。


 驚いた顔のまま、波止中。「これ、俺のです」


「は?」片桐は少しばかり甲高い声を発した。


 そして、波止中は視線を皆に向けた。「俺が投稿したメールです、これ」


「「「……えっ?」」」


 これでもかというほど、三人の反応はぴったり一緒だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る