3.“どう”についてのこと

 こちらの驚きなどつゆも知らずに、ラジオではメールが読み上げられていく。


〈彼女は他の大学にいるため、今度会いに行こうと考えています。もしもあの二文字のメッセージが、彼女が何かしらの助けを求めている暗号で、それにまだ自身が気づけていないのだとしたら。そんなドラマみたいなこと起きているとは思えないですし、考えたくもないですが、嫌でも心配になります。何はともあれ、変なことに巻き込まれていないことを祈るばかりです……ということです。マスオカさん〉


〈いやぁ、確かにちょいと妙な感じがするね、モリモトちゃん。てか、リスナーの言ってることからすると、もはや事件な気がしちゃうんだけど〉


〈ちょっとぉ、話を勝手に壮大にしないで下さい。奇妙な言葉を送ってさ、相手が混乱してるうちに、どさくさに紛れて別れようと思っただけなのかもしれませんよ〉


〈おぉう、ズバッと男心を抉ってくるね〉


〈男側がたいして問題無いと思ってても、女側は案外そうとは捉えてない、なんてパターンよくありますから。それに、このリスナーさん、遊んでそうですし〉


〈いやいや、リスナーさんからのメールだから。なかなかに失礼なこと言わないで。ていうか、そんなの、文面だけじゃ分からないでしょ?〉


〈分かりますよ。軽さが漂ってきます。端々にもう、ぷんぷんと〉


〈ぷんぷんと?〉


〈ええ。ぷんぷんぷんぷんと〉


 そんな悪口を言われている波止中は、というと、ガッツポーズを高く上げていた。

「えっ、マジ? メール通ったの、やったぁ!」と、喜びの声を上げている。耳には届いていない様子。


「えっ、何。このラジオ、聞いてたの?」片桐は両目を開く。


「ええ」頷いて示す波止中。「この番組、採用されると割と良いものが貰えるんで、メールテーマに合ったことが身近で起きたら、送るようにしてんすよ。で、丁度いいメールテーマだったんで送ったんす。本当は先月ぐらいに、読まれるかどうかは分かるはずだったんですけど……都内で起きた停電、覚えてます?」


 波止中の問いかけに、片桐は「そりゃ、あれだけ騒ぎになりゃあね」と返す。


 都内某所で地震が発生。その震源が近かったことも影響し、都内に供給する発電所が異常検知をしたのだ。そのせいで、緊急停止してしまい、二時間近く、都内の広い地域で電気が止まってしまったというもの。美波も光莉も同じそれを脳内に浮かべていた。


「そう。その時のメールテーマが今日のだったんですけど、特別番組に切り替わってしまって」


「つまり、本当はその時にやるはずだったメールテーマを今日に持ち越して、やっているわけね」


「そういうことです。だから、やっとなんっす。読まれるかどうかやっと今日分かるってなって」波止中はポケットに手を入れた。「実はさっき浜音さんに声かけられるまでも……よいしょっと」


 見せてきたのは、ポケットに入れてあったワイヤレスイヤホンだった。


「聞いてたんです、マスモリを」


 それぞれに思う。ファンはこのラジオのことを、マスモリ、と呼ぶのか、と片桐。略してるというほどではない長さだけど、と光莉。


「この際だから聞くけれど、どう、って文字は、どんな風で送られてきたの?」片桐は続ける。


「いやもう本当に、どう、とだけ。その一言だけ送られてきてるんすよ」


「その画面、見てみてもいいかな」美波が口を開いた。響きによどみはなかった。


「あ、ああ。いいよ」


 慣れた手つきで出したスマートフォンを操作する。ラジオ経由でとはいえ、ひと通りのことは聞かれてしまったからなのだろう。波止中はさっきまで喋るのすら渋っていたというのに、今度は普通に、むしろ晒すように話し始めた。


「これだ。はい」


 見せてきたのは、無料メッセージと通話アプリのトーク画面。先月の29日付のこと。


「確かに、どう、だけだね」


 美波は口をとんがらせた。送られてきていたのは、紛れもなく、ひらがな二文字であった。


「そうなんだよ。正直電話することが多くて。ていうか、そればっかで。だから、こういうメッセージで送るっていうのは、逆にあんましてなくて。それがきたのも、突然でさ」


 確かにその前を確認してみると、通話履歴のマークばかりで、あまりメッセージは使っていない。メッセージは短文が目につくが、とはいえ、二文字だけ、というのは、他に見当たらなかった。


「あまりにも短いし、意味不明だし。だから、さっきラジオでも言ってた通り、もしかして向こうが何か送ろうとして、間違えてこれだけで送っちゃったんじゃないかって俺思ったんだ」


「君がタイミング良いか悪いか、彼女が消す前に既読しちゃたから、向こうが消すに消せなくなって、そのまま……ってことね?」片桐は片眉を上げた。


「そうです」こくりと頷く波止中。


「けど、もしそうなら、ごめん間違った、とかなんとか、送るんじゃないか? それだけにはしておかないでしょう」


「やっぱ、そうっすよねぇ……」


 タイミングの良し悪しを言われているのに何も思っていなさそうな波止中に、光莉は幸せな鈍感さであると羨ましさすら感じていた。


「彼女さんはどんな方だったの?」


 続いて尋ねたのは、光莉。まずは探れるところから情報を得なければ。その一心であったため、光莉にはもはや尋ねることに対しての躊躇いはなかった。


「なんていうか、理系ならではで、こうサバサバしてましたね」


 言わずにいられない光莉。「理系だからってイコール、サバサバじゃないんじゃないかな」と、不機嫌な顔になる。


 その表情を見て、波止中は「あっ、いや、言い方完全に間違えました。あの、えっと、逆。冷静っ。逆に、落ち着いているんです、逆に」と、動揺で逆を連呼する。


「その、彼女は謎解きとか好きで、新しい企画やイベントがあると、よく一緒に遊びに行ってました。そん時にですね、制限時間が迫って、辺りがこう赤ランプが付いてアラーム音とか鳴ってたとしても、淡々と冷静に解けちゃうような感じで。周りのことは気にしないっていうか……はい、すみませんでした」


 必死に取り繕うとしたが、言葉は尻すぼみに力を失っていった。あわせて光莉を見ていた目線も落ちていく。


 沈黙がコインランドリーを包む。なんとも空気が重い。


「そういや、会いには行ったの?」


 いたたまれずに、片桐が話題を変えた。


「あっはい、行きました、直接。けど、大学が大学なので、会わせてくれなくて」


「というと?」片桐は腕を組む。


「彼女、女子大なんですよ」


「あー、なるへそね」片桐は何度か小さく頷いた。「セキュリティ的な意味合いでね」


「なので、入ることも教えてもらうことも難しく。ならばと、逆に、彼女の友人に連絡してみたんです」


「んで?」


「一応、友人づたいに話すことはできました」


「おおぉ」片桐は大袈裟に反応してみせた。「無事なら、よかったよかった」


「で?」


「もちろん、聞きましたよ。なんで連絡してるのに返事くれないのかって。あと、もちろん、“どう”ってどんな意味なのかって」


「それで? 彼女はなんて??」光莉が続く。


 少し俯いて、エヘンと咳払いをする波止中。顔を上げた時の目つきがどこか冷ややかなのは、これからする物真似のせいだろう。


「考えれば分かるけれど、学ばなかったあなたには難しいと思う。ただ伝えたいことは伝えた。分からなければ、それまで。別にそれで構わないし、って……」


 状況から察するに、その伝えたことというのは、どう、のこと。しかし、それ以外、何を言いたいのか分からない。何故そんな謎めいた言い方をしたのか、と光莉は思考を巡らすも、雲は晴れない。


「あれがあなたとの最後の連絡だから、と……」


「それってそのぉー……」


 光莉は言葉尻を伸ばしながら、苦い表情を浮かべる。それは言おうか言うまいか悩んでいたがゆえのもの。


 しかし、片桐には関係ない。光莉の言葉に対して続け様に、「フラれた、というやつですな。残念」と冷酷に言い放った。光莉は思わず険しい顔で、片桐に勢いよく顔を向けた。


「えっ!?」気づいてなかったのか、波止中は酷く驚いた表情を見せた。


「いや、もうどっからどう見てもでしょうが」


 片眉を上げる片桐。その口調は心なしか、波止中に引っ張られ、軽くなっている気が光莉にはしていた。


「えぇ……」本当に考えもしなかった、という戸惑いの表情を浮かべる波止中。


「実は理由は、浮気がバレてた、とかなんじゃないの〜?」片桐は不敵に口の端を上げる。


「してないっすよ。マジでしてないっす。こう見えても、彼女一途っす」


 こう見えてることは自負しているのか、光莉はそう心で呟いた。


「とにかく、俺はまだ信じてるんです、彼女のこと」


 その言葉で光莉と片桐は確信した。彼はまだ未練タラタラである、と。


「あの、どう、の一言は、いや一言だからこそ、彼女が俺にだけ伝えたい、強いメッセージなんじゃないかって思ってるんです。逆に」


「ほうほう」と一応の反応を示す片桐の頬は強張っていた。それもそのはず。ここまで来ると、一途というかもはやストーカー的であったからだ。怖さを感じていたのである。


「そう考えたら、俺。あの、どう、という言葉が、どう・・も頭を離れなくて……」


「おっ、ダジャレ?」嬉々とする片桐。


「誰がどう・・聞いても、ダジャレじゃないですよ……」


 呆れ顔の光莉だが、片桐はお構いなし。挙句には、「おぉ、重ねるねぇ」という始末。だめだこりゃ、と光莉は視線を逸らして、再びの無視をきめこむ。


「何も付けてない……」


 ぼそりと皆に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、美波は呟いた。


 光莉は美波へと視線を向ける。美波はスマートフォンの画面をじっと見つめていた。

 少し険しさのこもった双眼は、いつもの如く、まさにゾーンに入っている時のそれであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る