2.洗濯しない来訪者

「ありがとございやしたぁ〜」


 男性店員の少し上ずった声を聞きながら、光莉はコンビニを出た。袋はもらわず、アイスは手で持っている。


 今日買ったのは、片手で吸って飲んで食べられるタイプのもの。味はオーソドックスに、バニラ。

 いわゆるスタンダードというべき商品。殆どのコンビニやスーパーで、オールシーズン、いつでも買うことができる。


 これを選んだのは、別に新作のアイスがなかったから、というわけではなかった。

 もはや旬と表現しても過言ではない夏場の時期である今はむしろ、アイスの新商品のバリエーションがいつもよりも多いほどだ。物珍しいものから、かつて人気を馳せた復刻版、コンビニ限定まで各社様々な種類のアイスが所狭しと並べられている。

 それに、まとめて買うと安くなる、というキャンペーンのポップアップが、コンビニの出入口やレジのカウンターに飾られていることからも分かる通り、いわゆる、新しいものや珍しいものでも売れる時期、が、今。


 種類の豊富さに、アイス好きの光莉にとっては、目移ろいばかりしてしまい、悩みは次から次へと増えるばかり。絶えることがない。

 常日頃から悩みに悩んでいるそんな光莉が、結局のところ、オールシーズンいつでも食べられるようなアイスを買った。

 その理由はなんなのか。簡単な話。ただ単に、ささる限定のものがなかった。たったのそれだけである。

 補足すれば、今日はカップアイスの気分ではない。だから、吸うタイプのアイスを買った。こちらもたったのそれだけである。


 光莉は時折アイスを持つ手を入れ替えながら、コインランドリーへと向かっていた。


 コンビニのアイスのショーケースはよく冷えている。そのため、アイス自体はまだかなり硬い状態だった。

 揉むと飲みやすくなると商品の裏に書いてあるが、揉める状態にすらまだなっていない。ならば当然、吸って出てくるまでにもなっていない。そうなると、食べられるのは、コインランドリーに戻って、さらにはそこで少し待ってからだ。時間はかからかもしれないが、洗濯が終わるまでには、最悪駆け足になるかもしれないが、食べ切れはするだろう。


 しかし、このタイプのアイスは果たして、飲むという表現が正しいのか、食べるという表現が正しいのか。なんなら、アイス自体、食べるという表現が正しいのか。

 光莉は昔から考えていたが、一向に結論の出ない疑問点であると、頭を抱えていた。

 おそらく、人の考え方次第、というのが結論なのだろうが、それを言ってしまえば元も子もない。それで、はい、おしまい。だが、それはそれで味気のない。つまらないことだ。


 おそらく日常生活を送る上で不急だからと蓋をされてしまうようなことに思いを馳せながら、光莉はコインランドリーへと戻っていく。


 自動ドアを開けようと、マットレスに踏み込もうとする足。だがすぐに止めて、引っ込めた。

 ガラス越しにいつもとは違う、カウンターの近くで片桐が誰かと会話している、という初めての風景が広がっていたからだ。

 これまでの数ヶ月、光莉や美波以外で話している人物を、見たことがなかった。片桐のその奇抜な格好ゆえ、話しかける人すらも見たことがなかった。

 なのに今日は、コインランドリーでは今、スーツ姿の男、しかも二人と片桐が喋っている。まさに異様である。


 どんな人物だろうか、光莉は遠巻きに凝視する。


 一人は、濃い紺色のスリムタイプのスーツと黒の革靴で身を包んでいる。ネクタイは結んでいない。

 少し伸びた黒髪と凛々しい顔立ちから三十代前後だろう、と思っていた。身長は片桐よりもずっと高く、おそらく百九十センチほどありそうだった。


 もう一人は、肘まで捲り上げた青いワイシャツと明るい茶の革靴。同じくネクタイはしていない。

 短く刈り上げているため若々しく感じるが、白髪が黒髪とほぼ同じ位の割合を占めていること、顔に皺が点在していることから、年齢は四十代から五十代程であろうと推測。

 身長は片桐と同じくらいではあるが、いかり肩なことでガタイはよさそうに見えた。


 光莉は外からこっそり観察していると、ふとある二つのことに気がついた。

 一つ目は、スーツの男たちが何も持っていないということ。

 二つ目は、スーツの男たちが片桐のことを囲むようにして、その上時折間を詰める素振りをして、立っていること。まるで、逃げないように、二人で包囲網を作っているかのよう。


 そのことが単なる勘違いではないと証明するのは、あの小柄な女性と五十代半ばぐらいの男性の、残りのコインランドリー利用客の姿であった。片桐たちのほうを物珍しそうに、少々不安げな顔で見ている仕草は、光莉に根拠の裏付けをしてくれていた。

 それに片桐の、困った、勘弁してくれ、という表情もある。誰がどう見ても話している、という風には見えず、それこそ詰問している、ようにしか見えない。


 コンビニに出向いていたのは、ほんの五分ぐらい。そんな短い時間で、一体何があったというのか。


 もはやガラスを隔ててもその入ることすら憚られるほどの雰囲気。光莉は不安な気持ちを抱えたまま、マットレスの上に立った。


 少し重めの音で、自動ドアが開く。その音で気づいたのか、片桐は視線を向けてきた。

 途端に、「あっ」という声を上げ、ぱぁと表情が明るくなった。

 片桐の笑顔は、今この状況下では、嫌な悪い予感しか光莉はしていなかった。


「待ってましたぁ!」


 外れて欲しい予感が的中。光莉は悟った。これは巻き込まれるぞ、と。


 片桐は近づいてきて、光莉の肩に手を置いた。


「エトっちゃん、頼むよ。僕のことを、僕の人柄をこの人たちに話してやってくれないか」


 スーツの男たちと、光莉は目が合う。眉間に皺を寄せた険しい表情に、嫌な気持ちがさらに増す。


「は?」意味の分からないことを言い出したことに、戸惑いを隠せない光莉。


「この方と、お知り合いですか?」スーツの男は光莉へ声をかけてきた。


 まずは状況を把握せねば。


「ええまあ。なんというか、その……洗濯仲間、とでも言いますか」


「洗濯、仲間?」眉をひそめ、訝しげな表情の二人。


「は、はい……」自分でも変なことを言っているなというのは、光莉も薄々感じていた。


「ああ、失礼。我々は別に、怪しい者ではなくて、こういう者でして」


 スーツの男たちは、内側の胸ポケットから、慣れた手つきで、縦型二つ折りの黒い物を取り出し、広げた。


 広げたそれの上側には胸から上辺りが映った制服姿の写真と階級と名前、下側には記章があり、何より目を引くのは、その下部に弧を描くようにして刻まれている、警視庁、の文字。


 初めて見た光莉。だが、それが本物の、警察手帳・・・・であると、光莉はどこか確信できた。


「警察の、方?」


「刑事さんなんだって。捜査三課の」片桐は得ていた情報を耳打ちで知らせる。「あっ、窃盗事件を専門に扱う部署の人たち」


等々力とどろきと申します」年齢のいった男性のほうが先に名乗った。


「同じく、櫻木さくらぎです」続いて、若いほうが。


 光莉は二つの警察手帳を物珍しそうにじっと見て、等々力の顔へ視線を移す。「刑事さんってことは、何か事件でもあったんですか?」


「最近、この付近で起きてます、空き巣事件について、ご存知でしょうか」


 櫻木は警察手帳をしまいながら、光莉にそう尋ねた。


「はい。アタシもこの辺りに住んでるので」


 ここ最近この近辺で、白昼堂々の犯行にもかかわらず、留守で誰もいない一軒家やマンションの一室へ盗みに入り金品を奪う、空き巣事件が多発していた。

 連日新聞やニュースで日夜報じられ、ネットでは某SNSでは度々トレンド入りするなど、かなりの騒ぎになっている。


 何故単なる空き巣事件が世間の注目を集めているか。

 それは、被害者宅の付近で被害に遭った時刻の前後に、怪しい人物を見たという証言が、ただの一件も無い、という不可思議な事実があったから。

 つまり、犯人が捕まっていないどころか、犯人の目撃証言が一つも出てきていない、ということなのである。


 有力な目撃証言もなく、さらには現場から指紋も見つかっていないために、連続性のある事件であるというのに、警察は何一つ手がかりを得られていない、という状況。

 模倣犯がいるのではないか、という見方もされた時があったが、手口が類似している点、また警察がマスコミに公表していない事がいずれの被害でも起きていることから、現在では同一犯なのはほぼ間違いない、ともはや証明されている状態だ。

 やたらと盗まずに盗む物を選別する特徴から、ネットでは、実はこれまで事件かすらされず、勿論捕まったこともない、生きる伝説みたいな人物が犯人なのではないか、と言う人物もいた。警察に疑われることすらなく、犯行を重ねる犯人を称賛する一部偏った人間さえもいる。


 駅を挟んだ反対口側含め、警察官が朝晩関係なくパトロールをしているのを、通勤途中に目にしており、その事件の重大さや深刻さを警察がどう捉えているかも、光莉は素人ながらに伝わっていた。


「でも、それが片桐さんと何の繋がりが?」


「ほう」等々力は不敵に笑みを浮かべ、片桐に視線を向けた。「あんた、片桐、って名前なんだな」


「え?」眉が上がる光莉。


 一瞬意味が理解できなかったが、すぐそばの片桐が余計なことを、という表情を浮かべていたことで、気づくことができた。片桐は刑事に名乗っていなかった、のだ。


 何を意図してなのかは分からないが、言わなかった言いたくなかった理由が片桐にはあったのだろう。そんなことが脳裏をよぎった瞬間に光莉は、しまったぁ、と口を半開きにしながら、いたたまれずに片桐から目を逸らした。


 そこで、光莉は一つの可能性を浮かべた。嫌な予想であるが、もしそうであれば名乗らなかったことも、詰め寄っていたことも納得がいった。


 光莉は櫻木に恐る恐る視線を向ける。「もしかして、片桐さんが犯人なんですか?」


「き、決めつけないでよ!」片桐が隣で即座に反応した。「疑われてるの、僕」


「あっ、すみません。疑われてるのでしょうか、片桐さんは」


 光莉の改めた問いかけに、櫻木は口を開くも、言葉を詰まらせた。そして、「ケンさん」と等々力に目を移した。

 その表情で分かったのか、等々力は小さく舌打ちをして、「好きにしろ」と応えた。


 櫻木は頷くと、光莉を見た。「はい、そういうことです」


「そんな……」


「だからさっきから言ってますでしょう」片桐は割って入ってくる。「僕はやってないんです、空き巣なんて」


 戸惑いと悲しみを帯びた表情の片桐。その表情も、そして何より片桐が嘘をついているようには思えなかった。

 世捨て人を名乗っていることもあってか、確かに少し価値観は異なるところや変な人だなと思う部分も多々あった。

 だが、犯罪までをおかすような人間には見えなかった。たった数ヶ月の付き合いではあるのだが、光莉はそう思えてならなかった。


 光莉は辺りに視線を向ける。


 刑事二人は当然疑っているし、他にいるコインランドリーの利用者の二人はちらちらと見てきてはいるが、割って入ってこようとは当然のことだがしない。


 俯く光莉。今、この場に片桐さんの味方は他にいない。となれば、手を差し伸べられるのは、一人しかいない。


 光莉は柔らかくなりつつあったアイスを、カウンターに置いた。光莉なりに決めた覚悟、その証であった。


「刑事さん」


 光莉は自身の持つ眼力を最大限まで、つりそうになるまで強く、目を向けた。


「片桐さんを疑う根拠はなんなのでしょうか?」

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