3.丁度いいところに

「目撃者がいたんです」


 そう発したのは、櫻木であった。


 等々力が「おいっ」と荒い声をかける。それが、それ以上話すな、ということを意味していると気づいた櫻木は、「す、すみません」と慌てて口をつぐんだ。


「あれ? でも確か、目撃証言って、無かったはずじゃ……」


 光莉がネットか何かで見た情報をもとにそう返すと、櫻木はまるで何事も無かったかのように「実は、最近起きた一件では出たんですよ」と続けた。


 はぁ、とため息をつく等々力。そして、首の後ろを掻いた。

 さりげなくにしてはあまりにも大き過ぎる呼吸音に、櫻木はしまったという表情を浮かべた。


 それを察した等々力は「もういい。バスケの好きにしろ」と、目配せせずに手を払った。


「あっいや、その……すみません、ありがとうございます」


 気まずい顔で片桐は、光莉へ視線を戻した。


「直近に起きた一件ではですね、犯行時刻に現場の近くで不審な人物を見た、という被害者宅の近所の人からの目撃証言を得られましてね」


「けど、目撃したってのは最近の、その一回だけでしたよね?」片桐は口を結ぶ。「一人ぐらいで、犯人と疑われちゃぁなぁ……」


「いえ、目撃した方は多数いらっしゃいます。一人ではありません。だからこそ、我々警察もこうして動いているんです」


「あぁ、そうですか。すみません」片桐はぺこりと頭を下げた。


「なんで片桐さんが? 目撃者から、直接名前が出たんですか?」


「いえ。かいつまんでお話ししますと、うちの刑事が聞き込みをしている際に、主には近所に住む住人の方々ですが、犯行時刻の前後に現場近くで怪しい人物を見かけなかったか、と訊ねていました。今回だけに限らず、これまでもです。これまでは手がかりを得られませんでしたが、その一件では、怪しい人がいた、と答えた方が、というわけです」


「なら目撃者の中に、片桐さんを知っている人物が片桐さんのことを見かけた、というわけではないと?」


「それは、まあ、はい。ありませんね」


 ここだ。反撃の糸口を見つけた光莉。「だったら」と反論しようとした。だが、隣にいた等々力がすぐさま言葉を重ねてきた。


「全員が口を揃えてこう証言した。犯行時刻に現場近くで作務衣を着た男・・・・・・・を見た、ってな」


「え?」光莉は目を見開く。


「共通しているんなら、何か知ってるかもしれない。そいつから話を聞こうと調べを進めてる中で、いつも作務衣を着て、ここ、サンサンランドリーに入り浸ってる男がいる、って情報を得た。で、こうして会いに来た」


「そんなぁ」片桐は訝しげに片眉を傾ける。「作務衣を着てる男だからって、イコール僕のことを、ねぇ……」


 言葉を詰まらせる片桐。「……ってあれ、エトっちゃん? 何故こちらを哀しげに凝視してるんだい??」


 光莉は悔しそうに、身体の横でぶらさげた手を強く握りしめた。そして、片桐に強い眼差しを向けた。


「見損ないましたよっ」


「えぇっ!?」


「そんなことするなんて……信じてたアタシがバカでしたっ!」


「いやいやいやいや、だからっ」片桐は両手を前にし、必死に振る。「違うよっ、僕じゃないんだって!」


「しかし」櫻木が割って入ってくる。「作務衣を常日頃から着ているというのは、他ではあまり見かけない、珍しいことではないかと思いますが」


「分かりましたよ。ええ、じゃあまあ、作務衣を着てるってのは、多少ね、珍しいということは認めますよ。認めますけれど、別にこの世の中で僕しか着ていないわけではないはずでしょうが」


「ああそりゃ当然な。だから別に、作務衣を着ていたってだけで、何もこんなに疑いはしない」等々力は片眉を上げながらそう告げる。「しかしだ。まあ、あんたを疑うに足ることがあったろ」


「え?」聞いたことない情報に思わず、光莉は片桐にすぐ顔を向けた。


「えっ?」視線が集まった片桐は、両眉を上げた。


「まだ最近だ、まさか覚えてねぇなんて惚けねえよな?」


 等々力にそう言われ、片桐は虚空を見上げる。「……あっいや、ごめんなさい。ホントに正直に、まったく記憶に残ってなくてですね」


「ったく……めんどくさいな」呆れ顔の等々力。「あんたは少し前、警官から逃げたことあった。確か、このコインランドリーからだ」


「えぇ?」光莉は初耳。


「あっ、それかっ。いやぁ、まあ確かにありましたよ。近くの交番の警官に追われたことはありました」


 いやほんとにあったんかい、光莉は心の中で大きくつっこんだ。


「けどそれは結果として、僕への誤解だった。それで無事、解決してるはずです」


「結果的に、はな。だが、あの逃走も何かしら別にやましいことがあったからと考えれば、話は変わってくる。違うか?」


「別にやましいことなんか何も無いですよ。それに、僕は犯人なんかじゃありません」


「だったらあの時、あの場所に、あんたはいなかった。そういうことだな? あの時目撃されたのは、お前じゃなかったんだな??」


 等々力は睨みを効かせる。その双眼を見て、片桐は静かにシュッと萎縮する。


「それは、その……いたはいた、けど」


 言い出しづらかったのだろう。片桐はそう言うと、不恰好に口を窄めた。


 一瞬流れる沈黙の後、光莉は「ええっ!?」と声を荒げた。


 まさか過ぎる返答だったからだ。だとすれば、話は途端に姿を変えてくる。


「なんでなんだ?」「なんでですか?」


 等々力と光莉は同時に尋ねる。


 片桐はおろおろと目を泳がせながら、「それはその……」と言葉を濁らせ、そして俯いた。

 暫くそのまま考え込んでいたが、突然何かを決断した表情で、顔を上げた。


「黙秘しますっ」


「……はぁぁ?」光莉は片眉をひそめ、口を吊り上げた。「何言ってんですか、片桐さん」


「そりゃ、言いたくないからだよ。世捨て人にだって、人権や自由はあるはずだっ」


「いや、もう、あぁっ!」


 光莉は刑事たちへ少し距離を詰める。


「すみません、少しだけこの人と話をさせて下さい。ええ、どうも。そうなんです。ありがとうございます」光莉は二人の返答を待つことなく片桐に近づくと、無理矢理に腕を掴み、「ちょっとこっちに」と引っ張って連れていった。


「えっ、あぁ!」


 戸惑う片桐を有無言わさず、刑事たちと少し距離を置く。そのまま、背を向け、顔を近づけ、そして話し始めた。


「片桐さん、今のこのヤバい状況、分かってます? 伝わってます??」


 話し声が漏れないよう、光莉は小声になる。


「分かってるし、伝わってるよ、もちろん」


 光莉の眉間に濃い皺が寄る。「なら、人権がどうだの自由がどうだの、言ってる場合ですか」


「だったらだったら、世捨て人の僕には人権は、人権は無いってこと?」


「そういうことじゃなくて……そりゃあります。もちろんありますよ。ありますけど、疑われてる今、主張することじゃないでしょ?」


「まあ……確かにね。そうなんだけどさ」目元を少し擦る片桐。「男にはね隠したいことの一つや二つはあっって……」


「んな流暢なこと言ってる場合かっ」光莉は声量を噛み殺し、その分表情は歯を見せるぐらいに激しくさせる。「なんで頑ななんですか。減るもんじゃないでしょう」


「いやそれも言えないんだけど……でも、信じてくれ。僕は空き巣なんてそんなことしないんだよ」


「まあそこは知ってます」光莉は遮り、そう断言した。「まだ出会って数ヶ月ですけど、そういうことする人だとは思えないですし、思ったことないです」


「エトっちゃん……」片桐は瞳をうるませる。


「アタシにだけでも言ってくれないんですか?」


 片桐は遠い目をする。「ごめん。それでも。それでもなんだ」


 光莉は詰め寄る。「自分の立場、分かってるんですか? このままだと、連行されちゃうんですよ。逮捕までまっしぐらですよ」


「ああもうっ! こんな時にいてくれたら」


 片桐の嘆きに、光莉も「ほんとですよ、もう」と肩を落とす。名前を言わずとも、浮かぶ顔は同じであった。


「ちなみに、今日はもう帰ったんですか」


「いや、まだ見てない。けど、僕と違って、来ない日があるから……」


 コインランドリーに毎日入り浸る人のほうが珍しいだろう。光莉がそう呟こうとしたその時、自動ドアがおもむろに開いた。


 まさかっ! 光莉と片桐は勢いよく顔を向けた。その所作で、他の人間たちも目線をやる。


「えっ……何?」


 そう呟いたのは、先ほどまでうとうとしていた若い男性であった。一斉に視線を浴びたからだろう、戸惑って、いやもはや恐怖すら感じている表情で見回している。


 そういえば……と、光莉は、コンビニから帰って来たら、一人いなくなっていたことを思い出した。


 当然、視線を集めている理由など分からない若い男性は居心地悪そうに肩をすくめる。そのまま、つま先立ちになると、それこそ泥棒のような姿で、洗濯機へと向かった。

 さっと蓋を開け、さっと頭を傾け、中を覗く。続けて、腕を中に入れる。


「ま、そんな都合よく来るわけないですよね」


「そうね、漫画みたいにはいかないよね」


 すると、男性は何かを取り出した。手に握られているのは、黒い靴下。しかも、片方だけ。どうやら取り忘れたことに気づいて、来たみたいだ。


 満足げに振り返り、そして顔を上げた。まだ自分に視線が集められていることに、若い男性は改めて訝しげに眉をひそめた。


 だが、その表情はすぐに変わる。どうやら何より自分が求められていた人物ではなかったということを悟ったらしい。

 今度は申し訳なさそうな顔つきで、人とすれ違うたびに軽い会釈を交え、またつま先立ちになって、いそいそと来た道を引き返していく。そして、自動ドアの前に辿り着く。相変わらず少ししてから開いた。


「あっ、すいません」若い男性がそう発した。


「いえ」


 たった二言。聞こえたのはそれだけだったが、意識していたせいで、光莉と片桐は思い当たった。聞き覚えがある、と。


 若い男性は身体を傾けて、出ていく。見えてきた姿と顔に、喜びと驚きが混ざった顔つきになっていく二人。


「「あっ!」」


 相手はぴくりと肩を上がるほど反応し、声のしたほうへ顔を向けた。


「こ、こんばんわ……」


 目が合った片桐と光莉。確信に変わった途端、ぱぁと表情が明るくなった。


「「丁度いいところに」」


「……え?」


 口を揃えて、満面の笑顔の二人に嫌な予感でもよぎったのか。美波・・は、この上なく戸惑った表情を浮かべていた。

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