第3話 見えない犯人~白昼に犯行相次ぐ、連続空き巣事件。容疑者は、片桐!? 無実を証明するため、美波と光莉は真犯人を追う……姿なき犯人の正体と大胆過ぎる手口とは?~

1.特に取り止めのない話

「ねぇ」


「はい?」


 光莉は上げようとしていた腰を再びかけ戻した。片桐からは名前こそ呼ばれなかったが、自身であると確信していた。


 店内を見渡せるいつものカウンターにいる二人は、洗濯機類を正面に、横並びで立っている。椅子に座らなかったことに特段意味は無かった。


 その動作で片桐は気づいた。「あっ、ごめん。何かしようとしてた?」


「あっいや、別に大丈夫です」


 とりあえず時間のかかる洗濯は、さっきから始めている。アイスを買いに行くのはこの後でも構わないと思った光莉。


「で、どうかしました?」


 片桐は少し顔を近づけ、「あの人、見てみてよ」と言ってきた。


 今日は珍しく客が多かった。ここ最近の、もはや夏の風物詩と化している、ゲリラ豪雨のせいだろう。


「どの人ですか?」


 他に人がいるからこそ、小声で話さなければならない。ほんの少し、光莉は片桐に身を寄せる。目線だけは店内にいる、他の三人へと向く。


 一人目は小柄な女性。二人から見て右の方にいる。膝上ぐらいまであるダボダボの黄色いパーカーを着ていた。

 ヘッドホンを付けて、音楽を聴き入っている。リズムに乗り、身体が微かに揺れている。

 それを長椅子にでも座ってしているのならば、一向に構わない。しかし、乾燥機の前でしていることに、光莉は若干邪魔に感じていた。


 二人目は、洗濯機を回しているのを見ている、おそらく五十代半ばぐらいの男性だ。二人から見て、左の方にいる。黒縁のメガネに、白のタンクトップ、そして黄土色の半ズボンで、履き古された青系スニーカーの格好。

 ここに来てからずっと、眼鏡を外しては、顔から首元にかけてまでひっきりなしにハンカチで拭いている動作を繰り返している。

 遠目からでも分かるぐらいに、ハンカチこそを洗濯しなければならないのではないかと思わせるほどに、水分をしっかり含んでおり、生地の色が変わっていた。とはいえ、無ければ水分を吸ってくれる物が無くなってしまう。床に汗を滴らせてしまうために、手放せないのだろう。


「真ん中にいる人、だよ」


 片桐がそう示すとなると、残る一人が該当する。


 片桐と光莉以外の利用客三人のうち、真ん中にいる若い男性。ベンチに腰掛けており、抱きしめるようにしてランドリーバッグをかかえている。

 浜辺の絵が描かれたシャツと黒のスウェットに、深緑のサンダルの出立ち。バッグの潰れ具合からして、洗濯機に入れた今は、中にはもう何も入っていないというのが分かる。


 先程から何度も頭を落としては上げて、落としては上げて、をとめどなく繰り返している。擬態語にして表現すれば、カクンカクン、といったところ。

 上半身が時折落ちるようにして大きく反応すると、瞬間的に目を開き、ほぼ同時に背を直す。

 しかし、睡魔というのにはどうも勝てやしないようで、若い男性はすぐに目を閉じた。そしてまたも懲りずに頭を落とす。改めて身体を起こして、なんていうのを繰り返す。幾度となく、際限なく。

 瞼の裏で広がる夢とコインランドリーにいる現実を行き来し続けている、それこそまさに夢現ゆめうつつ


 その姿を見て、光莉は、どこかで似た光景だ、と考える。


「なんかさ、ああいう姿って、電車でよく見かけたりしない? 男女問わない、サラリーマン」


「ああ……」


 そうか、と答えが案外すぐに、意外と呆気なく見つかったことに、尻すぼみな声になっていたことを、光莉は呟いてから気づいた。


「もっと言えば、金曜夜とか特に、それもまあ終電とは言わないけど、帰宅ラッシュから二時間はずれた遅い時間帯だったらもうどこかの車両に必ず一人はいる、ってぐらいよく見かける」


「だいたい、あのランドリーバックみたいに仕事鞄を前に抱えてるか。それか、棚に上げているかしてますよね。頬を赤らめていたりもする」


「そうそう」


「それが?」


「僕さ、ああいう姿を見るとさ、凄いなって思うんだよ」


 片桐は少し遠い目をしていた。どこか尊敬に近い眼差しであった。だから、「あんなヘトヘトに疲れるまで仕事して頑張ってるな、とかそういうことですか」と、光莉は返した。


「いや」片桐の返しはなんとも早かった。


「ウトウトして、一瞬目を覚ましてもすぐに目を閉じてさ。こう、何が何でも眠るんだっていう強い意地、いや本能、もはや闘争本能とでも呼ぼうか。それに似た、力強いモノを感じるんだよ。そしてこう思う、諦めないことが肝心なんだなって」


 光莉はため息をこぼす。「どれに、何を感じて、しみじみ励まされてんですか」


 光莉のツッコミが少し声高であったからか、若い男性はビクリと肩を揺らして目を覚ます。

 慌てた素振りで、薄目で周囲を見回す。左右二回ずつ交互に見ると、肩の力を抜き、どこか安心した様相に。そしてまた首を垂らすと、静かに寝息を立て始めた。


「あの反応、自分の降りる駅じゃなかったーよかったー、のやつだよね。駅に着いた途端、目ぇ覚ましたと思えば突然『あれ、ここは? ここはどこなんだ?? 降車駅過ぎたんじゃないか???』と心の中で呟いてんじゃないかって思うぐらいに、目印となるキョロキョロと駅の看板探して。んで、自分の降りる駅じゃなかったことを確認したら、安心してすぐにまたウトウトとまた寝出しちゃう。そんな一連の流れ」


 淀みない片桐の喋りからは、嬉々とした感情を感じ取ることができる。


「そもそも電車に乗っていない、ってことに気づかないんですかね」


「気づかないんじゃない?」


「いやでも、見回してましたよね? なら、壁際にある洗濯機、絶対目に入ってますよね??」


「目に入ったとは思うけど、それはさ、あれだよ、寝惚けってやつだよ」


「寝惚け?」


「ほら、寝起きってまともな思考回路してないから」


「寝惚け過ぎでしょ。第一、コインランドリーには自ら足を運んでるっていうのに」


「確かに」


 若い男性の上半身は、今度は横へ大きく滑った。


「あっ、ごめんね。邪魔しちゃって。なんかしようとしてたよね?」


 どうやら話はひと段落ついたようだ。そう汲み取った光莉は、じゃあ、と立ち上がった。


「アイス、買ってきますね」


「ああ、それか」


 今度こそ、という気持ちでカウンターを出て、出入口の自動ドアまで向かう。いつも通り、少し反応の悪い自動ドアの前で立ち止まる。そして、ワンテンポ遅く、開いた。


「いってらっしゃい」


 片桐からの声かけに、光莉は少し振り向くと、「いってきます」と片桐へ返す。


 そうして、光莉は予定よりも遅く、だいぶ遅く、自動ドアをくぐったのであった。

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