6.つかなくてよかった嘘

〈いやぁーマスオカさん。なんか夏がやってきたぁ~って、陽気になってきましたねぇ~〉


〈そうねぇー、日差し強くなってきたよね。こう肌に刺すような感じで。モリモトちゃんはもう、日焼け止めクリーム塗り始めてる?〉


〈もちろん塗ってますよ、顔から首から腕から脚から、白くなるぐらいに〉


〈えぇ、そんなに?〉


 コインランドリーの店の奥、壁際の端、天井近くに置かれたラジオからは、マスモリ特急便が流れていた。


 本日は通常放送。前回のような野球中継延長や、特別番組による特殊な編成はなく、通常通りにマスモリ特急便がオンエアしている。


 今繰り広げられているのは、オープニングトーク。メールテーマがあるコーナーとは異なる、いわばフリートーク。目的の決まっていない井戸端会議のような会話がとめどなく続いている。


〈肌が出てるところは徹底的に。もはや塗りたくってると言っても過言じゃないです〉


〈そうなんだ、俺は普段あまり塗らないからなぁ〉


〈ですよねぇ〉


〈あれ、モリモトちゃん。心当たりでも?〉


〈そりゃそうじゃないですか。毎年、もうちょっとした頃に、マスオカさん、真っ黒な肌になって、ラジオに来るじゃないですか〉


〈ははは。そっか、そうだよね。心当たり、大ありだよね〉


〈そーですよ〉


〈ごめんごめん。海好きのさがを許して。あんまり塗ろうとか思わないんだよね。まあ海に行く時とか、あまりにも酷い時には塗ることもたまにはあるけど〉


〈いやいや、アスファルトの照り返しとかでも焼けたりしますから、意識の薄い街中にいるからこそ、塗ったほうがいいですよ。あと、日焼け日焼けって言ってますけど、あれってただの、テイのいい火傷ですからね〉


〈テイ、いいの?〉


〈それに、皮膚がんの原因にもなるって、よく言うじゃないですか〉


〈ああそれは聞いたことある。確かにそうか、そういった病気のこととかも考えると、別に多少焼けてもいいや、って問題だけじゃ、すまないねぇ〉


〈そういえば、モリモトさん。紫外線って曇りの日でもあるって知ってました?〉


〈えぇっ、そうなの?〉


 光莉にはいまだ、というか結局のところ調べていないからなのだが、このラジオ番組はコミュニティラジオなのか、どの放送局なのか分からなかった。

 そして、多分これからも分かることはないのだろうという、未来予知なんて言うにはあまりにもたいそうな、そんな気配をなんとなく感じていた。


「んで?」


 そんなラジオが聞こえていないのか、はたまた無視しているのか、カウンターにいた片桐は気に留めることなく、弐瓶さんについて、あい向かいにいる光莉へ尋ねた。

 光莉は既に洗濯機に洗濯物を入れて、洗っていた。テーブルには、凹んだ形のエコバッグが横向きになって、傍らに置かれている。


「結局、言わないことにしました」


 光莉はアイス片手にそう答える。今日食べているのは、ザクザクに刻まれたチョコクッキーが隙間なくまぶされたミントアイスバー。新発売という言葉に惹かれて、つい手を伸ばしてしまった少し割高なアイスだ。

 食べてみると、ほどよく溶けつつあるミントアイスと形の留めたチョコクッキーの相性がたまらなく、次から次に食べてしまう。刺さっている棒が半分以上見えている。残りはあと二口程度だ。


「じゃあ、結局誰と会ってたとか、そういうところも分からず仕舞いか」


「はい。ただ、弐瓶さんには仲の良いお姉さんがいるってことは人伝に聞いたらしくて。だから多分、その人だったんだと思います。カフェであい対していたのは」


「ふーん」


 片桐はどこか腑に落ちないような表情で、ワンカップを傾けた。

 一方、光莉はアイスを食べて、少し自動ドアの方に目を向ける。「今日は、来ますかね?」


「ミナっちゃん?」


「ええ」


「なになに、また何かトラブル?」


 思わずアイスを口に運ぶ手を止める。「やめて下さいよ。その言い方じゃまるで、アタシがトラブルメーカーみたいじゃないですか」


「メーカーとまでは言ってないよ。言うならばブリンガー? ビー、アール、アイ、エヌ、ジー、イー、アール」


 脳内でBRINGERと英単語を作る光莉。持ってくる人、というニュアンスであることは理解した。


「とにかく今日は、トラブルを持ってきたわけでも、ましてや作ったわけでもありません。ただ単純に、弐瓶さんの件で、ありがとう、って伝えたかったんです」


 アイスを食べ切る。


「そういや、先週は来てなかったな。今日はまだ見かけてないから、これから来るかもね」


「そう、ですか。じゃあ、もう少し待ってみます」


 光莉はアイスの棒という名の残骸を入っていた包装袋に入れた。

 一方で、片桐は口を尖らせると、じぃっと見つめる。その先は、もちろん光莉。


 ふと光莉は顔を上げた。その視線を感じていたからだ。少し見合ってから、顔を歪めた。


「な、なんですか?」


 じぃっとみつめてくる姿がどこか恐ろしく、いてもたってもいられず、見つめる目的を確認するために、光莉は声をかけた。


「何か顔に付いてますか?」


 片桐は「いや」と一言声に出すと、ワンカップの底を天井に向け、酒を飲み干した。一度に飲み切るにはまだ量は多いのに。

 案の定、片桐は苦しそうに軽く咳払いすると、前傾姿勢になり、カウンターに身を乗せた。


「ちょいと確認したいんだけどさ」


 その声色は先程までとは異なり、トーンが落ちていた。少し重みを感じる。


「は、はい」光莉は思わず身構え、声が強張った。


「エトっちゃんは、知り合いの体験談ってことで話してたけど、あれ、本当はだろ?」


「え?」


「カフェのことも先輩の話も何もかも、君が体験した事なんだろ?」


 片桐の言葉は、根拠のないものではなかった。


「いやぁさ、実は見えちゃったんだよね。君が文字打ち込んでいなかったのがさ。それと、話してる途中、君は聞いた話であるはずなのに、主観的な要素がちらほらあったしね」


 これ以上の誤魔化しは効かない。光莉は「すみません」と言葉にした。


「いや、別に謝って欲しいわけじゃないよ。ましてや、責めるつもりなんて毛頭ない。僕に実害があることではないわけだし、仮の話、だとか、友達から聞いたんですけど、みたいな表現は昔からよく使われる常套手段だ。特別悪いことじゃない。ただ今回のこの件に関しては、別に自分だと隠す必要はなかったんじゃないのかな~と思ったんだ。無駄と言ってしまえば薄情だけど、それに近いことだ。それこそ、前のラジオ投稿みたく、不要な違和感が残ってる気がして」


 思い起こされるように、イギリス式階数表示が、光莉の脳裏を飛び交う。


「まあ老婆心ながら、と思って聞いてくれ。別に何もかも開けっ広げにする必要はない。人間ひとつやふたつ、生きていりゃ、隠しておきたいことなんてあるからね。けど、つく必要のない嘘を重ねる必要は間違いなく無い。そう言い切れる。ほぼ無意味に近い嘘なのに、気づいたら、その人との関係性を悪化させてしまいかねない。最終的には取り返しのつかない事態に、なんて場合だって、じゅうぶんにあり得る。相手に対して、そもそもマイナスの感情無かったとしても」


 淀みのなく話す姿はまるで、片桐が似たような経験をしたことがあるかのような物言いであった。

 その双眼は、どこか遠くを見つめている。それは店の奥とかそういうわけではなく、時間的に。まるで遠い過去の古い記憶を呼び覚ましているみたい。いや、今も現在進行形で何か深くに閉じ込めた記憶を覗き見ているといったほうが近いだろうか。


「君らはさ、なんかね、仲良くなれると思うんだ」


「え?」目を開いたその反応には、唐突に話が変わったことへの戸惑いと驚きも込められていた。


「いや、勝手な想像ってだけで、そう示せるものは何も無い。言ってしまえば、直感だ、完全に。だからこそ、要らぬことで亀裂が入って欲しくないなーって」


 片桐は背を起こす。


「ま、君らよりもちょこっと長く生きてるヤツが、頼まれてもいないことをしてるってだけの話さ」


 よぉいしょっ、と片桐は重い腰を上げ、「んじゃ、酒終わったんで、買ってくるわ」と、空になったガラスカップのふちを指先二本でつまみ、出入口へと歩いていく。


「……どうすればいいのでしょうか」


 光莉は、片桐が背を向けた時、呼び止めた。そこに、光莉がいつも帯びている元気の良さは無くなっていた。


「正解は無いことだから、答えるのがなかなかに難しいし、憚られるけど……」片桐は少しだけ顎を引き、光莉に顔を向けた。「まあ、僕だったら、正直に言う、かな。今のうちにね」


 片桐はそのまま歩みを進め、自動ドアの前へ。いつものごとく少し遅れて開く。


「おっ、噂をすれば」


 片桐の発した言葉に、光莉は体を傾け、その奥、外を見た。


 光莉は、はっきり捉えた。こちらへやってくる美波の姿を。

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