2.いざ、未開拓地-コインランドリー-へ

 光莉は顔を上げ、暖簾を眺める。丸で囲まれた洗の隣には、サンサンランドリー、と店の名前が書かれている。


 ここか……


 光莉はどこかこれで達成感を得てしまっているが、辿り着くことが目的ではない。

 とりあえず、中の状況を確認してみる。未開の地だ。何があるか分からない。ひとまずは混んでるか混んでないか、それと変な人はいないかどうか、その辺の事情だ。


 光莉は玄関マットの前まで、開かないところギリギリまで近づいた。

 初めて来たというのにここまで調べることなく、そして躊躇なく進めたのには理由がある。

 以前帰宅する時に、コインランドリーを出入りする人が自動ドアの玄関マットに立っていたのを見たことがあったからだ。何故だろう、と思っていると、一秒ほど経ってから、扉が開いたのを見て、開くのを待っていたのか、と理解した。

 同時に、敢えてなのか経年劣化なのか、自動ドアの反応があまり芳しくないのだな、と記憶に残っていた。

 正直大事ではないことなのだが、不思議なもので記憶というのは余計なものばかりいつまでも覚えている。


 玄関マットで開くのなら、その手前、玄関マットに足を踏み入れない辺りまで進む分には、下手に扉が開いたりはしないはず。そう考えた上での行動であった。


 覗くように目を見開いて、左右に眼球を運ぶ光莉。見ることに専念してしまっているからか、自然と鼻の下が伸びる。この表情を見たら、光莉こそ変な人である。


 一見した限り、店内には誰もいない様子。しかし、既に回っている洗濯機は幾つかある。洗濯には時間がかかるから、動かしておいて終わる大体の頃に再度やってくるのだろうと推測できた。


 姿勢と表情を元に戻す。入ることを決意したからだ。


 近くにあっても、遠い場所。コインランドリー。光莉はそんな未知の世界へと大きな一歩を踏み出すため、玄関マットの上に立った。


〈マスモリのラジオ特報便っ!〉


 自動ドアの開閉音やランドリーの回る機械音よりも真っ先に、男女によるラジオ名の読み上げと陽気なBGMが耳に届いた。


〈さあ始まりました、マスモリのラジオ特急便。本日も二時間、お付き合いのほど、よろしくお願いしますぅ〜〉


〈マスオカさぁん、先週はマジックタナベさんにお越しいただきましたけども〉


〈いやはや、本当にそうだよね、モリモトちゃん。スペシャルなゲストにたじたじでしたよ〉


〈ホントですかぁ。マスオカさん、ずけずけと色々聞いてたじゃないでしたっけ〉


〈あれ、そうだっけ? ハハハハ〉


 登場人物、誰一人として分からないラジオだ。ということは反面、普段自分からは聞かないラジオだということでもある。そういうのを聴くことができるというのも、こういう共有の場に来ることの一つのメリット。


 垂れ流されているという、この上ない受動的であっても、全く聴かないよりは、耳にも頭にも残る。時にその出会いがその後の人生を大きく変えるような、もしかしたらヘビーリスナーになるかもしれないようなことになるかもしれない。


 待っている時間に試しに聞いてみる、ってのもこれまた一興。そう思いながら、光莉は開きっぱなしになっていた自動ドアをくぐって、店内へ。


 入ってすぐの左真横には、両替機や飲み物の自販機。それに、パンやお菓子などが売られている食品自販機が並んでいた。少し遅れて、左の視界の後方にカウンターがあることに気づく。


 まあこれは後で確認すればいい。今はとりあえず……光莉は洗濯機の前へと進む。


 機械の前に立つ光莉。壁一面に洗濯関連の機器が隙間を作ることなく、綺麗にびっちりと並んでいた。どこか異質ではじめての光景に、「へぇー、こうなってるんだ……」と思わず心の声が漏れ出た。


 加えて光莉は、布団や靴はこちら、という右矢印の表記を見つけた。つまり、それ専用の洗濯機もある、ということ。ただ洗って乾かすだけではないのか、光莉は感心にも似た驚きを見せた。


 今日はあくまで衣服の洗濯なので、また機会があれば使ってみることにして、本来の目的へ。


 目線よりもほんの少し高い位置には硬貨投入口があり、左隣には料金と使い方の説明が書かれていて、そこ全体が洗濯機なら青、乾燥機なら赤という形で、色分けされている。光莉はちょうど立っていたのは、青いもの。つまり、お目当ての洗濯機だ。


 番号が貼り付けられた中の見える大きな出し入れ口が中央にあり、右側の取手で開閉する作りになっている。


「ええっと、まずは」


 光莉は支払方法を確認する。現金、しかも硬貨のみ。電子マネーは使えなさそうだ。やはり備えあれば憂いなし、現金を持ってきてよかった。


 安心して硬貨を入れようとするが、その直前で動きが止まる。


 待って。洗濯物入れた後にお金を投入すればいいのかな。

 突然よぎった不安に、光莉はすぐさま説明書きを見つめる。じっと目的の表記がされている箇所を探し当てる。どうやら、お金を入れる前でも入れた後でも、どちらでもいいらしい。


 成る程、光莉は改めてお金を入れようとする。が、またも止まる。


 そういえば、と、中に何も無いことを確認してなかったことに気づいた光莉。動いていないから使われていないと勝手に思っていたが、もう洗濯し終えたから動いていないだけでまだ取りに来ていないだけという可能性を考慮していなかった。


 このタイミングで回した人がやってきたら気まずいなー、なんてことを思いながら、恐る恐る蓋を開けた。

 洗濯物はない。誰も使っていないということで間違いない。


 よし、と光莉は一旦蓋を閉じた。


「初めて?」


 ギョッと双肩を上げる光莉。ラジオに気を取られていたからか、てっきり誰もいないとばかりと思っていた。それゆえ、あまりにも唐突な声かけに、まるで幽霊でも見たかのような悲鳴を上げそうになったが、どうにか飲み込んだ。


 先程の声。それは明らかに、光莉に対して声をかけられたもの。声が聞こえた左の方へとゆっくり顔を向けた。


 そこには、カウンターに両肘をつき、上半身を寄りかかっている男性が立っていた。

 口周りと顎は無精髭に覆われ、左目をまたいで斜めに切るような痕がある。古傷なのか、もう白くなっている。両目は開いているものの、痕は大きく、はっきりと見えた。

 格好は紺色の作務衣に、鼻緒が今にも切れてしまいそうな年季の入った草履というもの。

 傍らには、途中まで飲んだ見たことのないメーカーの青ラベルのワンカップと、カバーのない剥き出しの文庫本が無造作に置いてある。茶色く変色し、波打つように萎れ、ページは汗で一枚一枚膨張していた。


「やっぱそうだ」男性はカウンターから出てきて近づいてくる。「見かけたことなかったもんな」


 時代が遡ったかのような数世代前の格好をしているものの、コインランドリーに取り憑く地縛霊とかではなさそうだ。普通の生きてる人間らしい。


「ここの方?」光莉は思わず尋ねた


「その意は、ボクが棲みついてるぬしだって言いたい?」


「あっいや」光莉としては、ここを経営しているのかという意味で発していた。だから、そのまま伝えた。「ここの、オーナーさんとかなのかなぁと思って」


 カウンターの中にいるのもそう思わせる要因のひとつとなっていた。


「ああそっち。いいや、違うよ」男性は右手を気怠く上げる。半分にまで減った水面がワンカップの中で軽く波打っていた。「ボクはただここに入り浸っているだけ」


「入り浸……る?」こんな場面では使いようのない言葉に思わず聞き返す光莉。


「理由は聞かないで。暇だからだなんて、口が裂けても言いたくない。人生なんてのは死ぬまでの暇潰し、だなんていう意見には反対だから。人間観察したり、垂れ流しのラジオ聴きながら、酒を呑みたいから来てるの。目的があって来てるの」


 結果的に、回り回って、理由を話した男性はふちに口をつけ、一口呑んだ。美味しそうに顔を綻ばせ、はぁ、と息を吐いた。

 素性はよく分からないが、酒のせいか、少々変わり者だということだけは、この短い会話の中でよく感じ取れた。


 だから光莉は手早く、洗濯物を機械の中へ突っ込んでいく。


「引っ越してきたの、この辺りに?」


「いえ」


 面倒臭かったが、かといって反応しなければ、酒も入っているために、歳上が話してるのに無視してるのかとかなんとか因縁つけられてキレられるかもしれない。となれば、さらなる面倒に巻き込まれるだけ。


 場と空気を荒らさないようにと、光莉は視線を戻し、適当な相槌と反応で流すことにした。まず、洗濯物を入れた。


「じゃあ、洗濯機を買わない派だとか、まだ洗濯機を買えてないからとか、ではないってことか。なんだろ……」


「強いて言うなら、まだ買い替えてない、って感じですかね」


 蓋を閉め、今度はお金を入れる。十キロあたり五百円との表記だが、洗濯物の重さは分からない。洗濯機が自動で測っている様子もない。


「もしかして、壊れちゃった?」


「ええ、つい今さっき」


「それは災難だったね」


「そうなんですよ、ほんといきなりでしたから」


 説明書き曰く、料金に適した水が出てくるらしい。となれば、大きな支障にはならないので、今日はとりあえず十キロであると仮定し、五百円ということにした。


「老衰?」


 男性は唐突にそう言った。一瞬、意味が分からなかった。が、おそらく、洗濯機が壊れたのは寿命か、という意味だろうと汲み取った。ならば返しはこうである。


「いや、突発性ですね。急死でした」


「あらまぁ、良い反応。じゃなかった、ご愁傷様です」


「痛み入ります」


 まるで葬式のような返答をかわしながら、光莉は説明書きに目を通していく。次は、洗剤だ。


「洗剤?」想定外の表記に声が出る。てっきり自動投入してくれるものだとばかり思っていた。


「あれ。洗剤、持ってない?」


「えっ」思わず振り返る光莉。「あっ、はい……」


「ここね、自分で入れるタイプの店なのよ。だから、取りに帰るか、そこの自販機で買うかしかないんだ」


 男性が指し示したのは、さっき見た入口近くの食品自販機。よく見ると、下の方に、洗剤やら柔軟剤やら洗濯に必要なものが売られていた。有名ブランドのロゴがうっすらと見える。


「そっか」


 下調べを入念にしなかった私が悪い、と自省しながらも、光莉は悩んでいた。取りに帰るのが一番安上がりであるのは間違いない。だけど、また洗濯物をエコバッグに詰めたり、行って帰ってを繰り返すのは、この上になく面倒臭い。それにもう、洗濯機にお金を入れてしまっている現状。


 となれば、答えはひとつ。背に腹はかえられぬ、というやつである。


「買うことにします」光莉はお金を取り出し、自販機へ。


「毎度あり〜」


 いや、やっぱりここのオーナーか従業員ではないのか。そう思わざるえない反応に、光莉はちらりとつい一瞥してしまう。


 食品自販機は、お金を入れて、該当番号を押すと、機械が運んでくれるタイプのもの。一回分ずつに小分けされた洗剤パック三個入りで、値段は二百円。自販機にある洗剤を初めて見た光莉。相場は分からないが、買う以外の選択肢はない。

 お金を入れると、左上が小さく緑色に光る。二十六番から二十八番までが洗剤。どれも同じメーカーの同じ商品。何番を選んでも変わりない。なので、自分の年齢である、二十六番を押した。

 下からベルトコンベアーみたいなのが素早い動きで登り、二十六番へ。商品を前で落ちないようにと支えているバーが開き、洗剤が後ろから押さ出される。ぽとりとベルトコンベアーの上に落ちると、有無を言わさずに下へ運んだ。で、ベルトコンベアーで流されて、受取口に落下。


 光莉は透明な扉に手を押し込んで、中の洗剤を取り出した。柔軟剤も売っているが、今日はこれだけでいい。


 すぐさま洗濯機の前へと向かい、光莉は所定の場所から投入する。


 次が説明書きの最後。洗濯開始のボタンを押す、だ。


 赤い大きなボタンを押すと、洗濯機は激しいモーター音を数秒鳴らしてから、小刻みに揺れ始め、勢いよく回り始めた。


 残り時間は三十分だと、デジタルで赤く表示されている。


 騒音に少し離れると、「あっ、ごめんね」と男性は再び喋り出した。「僕、カタギリです。片側の片に、木へんに同じで、片桐。よろしくどうぞ」


「護衛の衛に藤で、衛藤と言います」何故か同じような言い方で自己紹介を返す光莉。


「ま、新しい洗濯機を買うまでってことだから、もしかしたら今日だけしか会わないかもだけど、これも何かの縁、だからね。名乗るぐらいしないと、失礼だったよね。失敬失敬」


「いえ、そんなこと。こちらもすみませんでした」


 と、とりあえず合わせておく。まるでよく落ちるフォークボールのように、会話がすぅっとすぐ途切れる。それこそ、言葉のキャッチボールは上手くいかない。

 これをあと二十九分間も続けると思ったら、光莉には、いてもたっても居られない。


「あっ」まるで神様からアシストがあったみたく、光莉は不意に思い出した。「ちょっと、そこのコンビニ行ってきますね」


「ああ、どうぞどうぞ。遠慮なく」


 ささささ、と言わんばかりに、片桐は手を差し出して出入口に、その向こうにあるコンビニへと促す。


「どーもぉーすみません」


 光莉は軽く会釈をしながら、足速にコインランドリーを出ていく。1秒ほどの誤差のある自動ドアを抜け、少し離れてから、振り返る。ドアはもう閉まっている。


「変なところへ来ちゃったなぁ」


 光莉は吐き出すように呟いて、再びコンビニへ向けて、またしても歩みを進めた。

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