ランドリーで推論を
片宮 椋楽
第1話 不思議なすれ違い~ラジオから流れるは、パラレルワールド体験談!? 「あくまで私の推論ですが」——コインランドリーで繰り広げられる密室“推論”劇!~
1.洗濯機が壊れたら……
「あくまで、私の推論ですが」
そんな聞いたことのない台詞を、見慣れない場所で、知らない人物から聞くことになるなど、一時間そこら前の
一時間そこら前の光莉はというと、1Kアパートの自宅で困っていた。
都内といえど少し郊外にはあたるが、都心も勤務地も電車一本で辿り着ける、そんなアクセスの良い駅から徒歩十五分弱にある五階建アパート。相場よりも多少安い部屋に、華金の街をすり抜け、仕事から帰ってきていた。
そんな一人暮らしの自宅で、光莉は困り果てていたのである。原因は、洗濯機が動かなくなる、というのっぴきならない現象のせい。
夕食の後、洗濯にとりかかる。洗いたい物洗わねばならぬ物を洗濯機の中へ全て投入し、蓋を閉じる。そして、コースと書かれた丸ボタンを押した。コース名の隣に、オレンジ色の米粒程度の小さなライトが点灯する。選んだのは、いつも通り、標準コース。
続けて、スタートのボタンを一回。ピッ、という甲高い音が鳴ると、洗濯機は自動的に回り始めた。だが、ほんの数回程度。最適な水量を計測するためだからだ。すると、これぐらいですよ、と親切にも書かれた水位の隣に、小さなライトがつく。確認してから、蓋を再び開け、適した量の洗剤や柔軟剤、香りの良いビーズを投入しておく。
たったこれだけの工程で、汚れ落としから脱水までしてくれるというのだから、文明の利器さまさまだ。
この後、光莉はキッチンへ向かう。洗濯中に昨晩と今朝の食器をまとめて洗うのが、彼女のルーティンであった。とはいえ、一人暮らし。洗濯場とはL字で繋がっており、移動というには数歩である。
今日もこの後は洗い物。そう思いながら、光莉は洗濯機の蓋を閉じた。
これにより洗濯機はそれきた、と自動的に回転をし始める。後はほったらかし。
踵を返す光莉。最初の違和感は、二歩足を前に出してから気づいた。水の流れる音が聞こえなかったからだ。
いつもであれば勢いよく水が出てきて、洗濯槽の中に注がれていくはずなのだが、今日はそれが全く。水が注がれる音が聞こえないのだ。
光莉は振り返り、そのまま暫く見つめる。無機質な洗濯機は無言の圧力など気にすることはない。洗濯機へと再び近づき、蓋を開け閉めしてみる。けれど、反応なし。適当にボタンを押してみる。あるだけ押しても、変化なし。
ならば、と光莉はしゃがんだ。そして、洗濯機と壁の間に腕を伸ばし、電源供給源であるコンセントを抜いた。この行為が正解か否かは分からないが、この方法でこれまでも色んな家電を動かしてきた実績があった。それに全幅の信用を置いていた。
光莉は腕を抜くと、その場で少し待機。こういう家電のコンセントを抜いたら、頭を冷やす意味合いで、時間を空ける。どこか手持ち無沙汰感がある光莉は茶色くしたばかりのミディアムパーマの髪を耳にかける。
そろそろか、と光莉は腕を伸ばして、改めてコンセントをさした。こうまでしても、洗濯機は微塵も動く気配すらない。
思いつく対処法は、後はこれだけ。古典的だが、長く愛されているやり方。光莉は手の側面を向けて振りかぶった。蓋と側面のちょうど中間点ぐらいの位置に目がけて勢いよく下ろした。いわばテレビ直し処方だ。しかし結果は惨敗。ただ手が痛くなっただけであった。
光莉はぶつけた手をさすりながら、会社の先輩が家電は突然に壊れる、とよく口にしていたことを思い出していた。緊急性のない教訓というのは、起きてから身に染みるものだと痛感していた。
すぐに直る故障ではないと悟った光莉は、額からじんわりと汗を滲ませた。夏という季節柄、汗をかくのはおかしなことではないのだが、これはいわゆる嫌な汗。一分二分三分、四分五分六分……ゆっくりではあるが着実に時間が経過していることに、冷や汗をかいているのだ。
こういう時は、と光莉はおもむろに視線を上げた。この辺のはずだった。
「よっ、と」
光莉はつま先立ちになり、目線よりも高い位置にある棚の扉を手前に開けた。開いたのはいつぶりであろう。覚えていないほどに久しぶりだった。ここに今、必要としているものが入っている。テレビ、ビデオレコーダー、冷蔵庫、電子レンジ、そして洗濯機。いずれも、その取扱説明書だ。無造作に積み上げられた冊子の束をまとめて、引っ張り出す。被っていた埃がはらはらと散る。
洗濯機の取扱説明書を探す。結果、下から二番目にあった。少し厚めのビニール袋に包まれていた。大きな皺もなく、封をしている黄色いテープは剥がされた形跡もない。一度も開けたことが無いのが一目瞭然だった。
表面に薄く被っている埃を、なぞるように滑らせて払う。埃はまたも顔の周りで小さく舞い始めた。
光莉は煙たい表情で手を振ってから、おもむろに封を解いた。中身を取り出し、表紙をめくる。
まずは目次。それらしい答えを探すも、目欲しいものは見当たらない。ページを素早くめくりながら、ざっと目を通すも、書いていなさそうであった。
となれば。光莉は、壊れたと思ったら、と書かれたQ&Aへ飛ぶ。原因と対処法が様々に見開き三ページに渡って書かれている。が、最適解は見つからない。
光莉は思わず天を見上げた。完全に手詰まり。電化製品の操作があまり得意ではない彼女にとって、絶望以外の何ものでもなかった。
しかし、思ったよりも光莉は動揺しなかった。それどころかもう早速、これらをどうしたらいいか、という考えに切り替えていた。何故か?
それは壊れたのが、洗濯機、という、必要度の低い家電製品だったからだ。
もしこれが同じ家電製品の括りでも他の、たとえば冷蔵庫とかなら、慌て具合は全く異なっていただろう。仮に冷却機能が壊れたとしよう。すると、中に保存してある生ものやら冷凍食品やらは、傷んでしまうことになる。今の時期のように、夏ならば尚更だ。多少であればその日に使うことはできるだろうが、冷蔵庫の中身全てというのは、元から購入量を抑えていない限り、難しい。
その場合、臭いを撒き散らす、という名の隣人トラブルに発展しかねない、そんな二次災害を防ぐためにも、入手は急を要する。必要度合いは格段に変わる。間に合うのであれば、簡易的な小さなものでいいから一時的に仕舞っておける適当なものを、といった気持ちで、閉店間際の家電量販店に滑り込むことであろう。
これが洗濯機の場合、少し様相が異なってくる。少なくとも汗を垂らしてまで滑り込んだのに即決できるぐらいの適当な小さな物を買う、ということはしないはずだ。むしろその真逆で、気持ちや仕事を含めた私生活が落ち着いた時に、少しばかり時間をかけて決めようと考えることだろう。
という具合で光莉は、洗濯機はおいおい買えばいい、と考えていた。洗濯機を即買いできるほどに通帳残高があるわけでも無いし、目安としては次の冬のボーナスを目論んでいた。
かといって、これで終わらないのが厭なところ。
洗濯機は無くても、一般社会に生きている人間であれば、洗濯という行為自体は必要になる。仕事でもプライベートでも外に出て人と触れ合う機会がある以上、冬まで洗濯をしないというわけにはいかない。
この二つを解決できる方法、そう、コインランドリーだ。
場所は、自宅から職場に向かうために普段使っている駅のほう。アパートを右に出て、真っ直ぐ進む。五つ目の角を左に曲がり、また真っ直ぐ歩くと、左手に見えてくる。徒歩でおよそ十分程度。そこまで遠くはない。
そこは住宅街の中にあるために、基本は歩行者ばかりのところ。四階建てアパートの一階部分に構えている。店名は、唯一出入りができる自動ドアに書かれている。
確か名前は、サンサンランドリー。
正直おしゃれとまでは言い難いが、店内はおそらく綺麗であろうと思われた。夜遅くても中から煌々と電気が溢れていることと、店内全体が白い壁で囲まれていることから導いた、単なる想像だ。
その隣には銭湯がある。ランドリーとは反対に、角地で、平家で、昔ながら木造づくり。出入口の扉は昭和家屋のような引き戸になっている。どこか懐かしさすら感じる。木の枠が縦に横に、格子状に広がっており、その中にはすりガラスが埋められている。壁には、長年積み重なった取れない汚れのほか、誰が書いたのか分からない落書きと誰が貼ったのか分からないシールが転々とある。
その道を挟んだ斜め相向い、銭湯から見れば単に相向いには、ウィークリータカサキがある。都内ではここ最近あまり見られなくなった、マニアックなコンビニだ。店内で作っているものも多いとかなんとか。
そうか、使うことになったか。光莉はなぜかしみじみしながら、あることを思い出していた。仕事の帰り道のこと、コインランドリーの前を通るときに。何故この時代でもコインランドリーが点々と残存しているのだろうか、と。
確かに出入りする人を見たことは幾度となくあるのだが、その数はいわゆる儲けが出るぐらいというぐらいに多いわけではない気がしていた。
例えば洗濯しながら隣の銭湯にでも入るのだろうか、いや折角洗うのだから銭湯に行った後についでに洗濯して帰るのだろうか、という考えに一度たどり着くも、とはいえ、やはりやっていけるだけの稼ぎにはなっていないような気がしていた。が、何にせよすぐに忘れる。
そうして前を通る時ぐらいにたまにふと思い出すような、そんな小さな疑問ではあったが、当事者になることで今、ようやく解消された気がしていた。
洗濯機というのは、家電の中では大型の機械に分類される。転勤が多い人や部屋の大きさから置く物を絞らなきゃいけない人にとって、購入必要性の優先度は低い。週末にまとめて一度に大量に洗ってでも事足りるのであれば、そもそも買わないという選択肢だって十分ある話。やはり、残っているものには必ずニーズが隠されている。
着替えて行くかどうかを左右する何より大事なことを、スマートフォンで確認する。営業時間は二十四時間。それに基本、年中無休。言い換えれば、今日もやっている、ということ。
加えて、店内には自販機があること、持ち運んだものを飲食できるカウンターがある。
「よし」
次にする行動はもう決まっていた。光莉は立ち上がる。
さて、洗濯する物を何に入れていこうか。部屋を見回す光莉。
まず第一に浮かんだのは、スーパーで貰えるレジ袋。だがすぐに却下。家にあるレジ袋は基本的に、中が透けて見えてしまうものばかり。それに、耐久性だってあるわけではないと考えると、そこへ入れる勇気は流石になかった。
それに、一人暮らしが貰えるレジ袋なんてコンビニの、弁当と飲み物と小さなスナック菓子袋がせいぜい入るぐらいの大きさしかない。
何か他にちょうど良いものはないだろうか、と部屋を見回す。
ふと脳裏をよぎる。確か、クローゼットの中に、半年ぐらい前に町の抽選会で当てて、そのまま使っていないエコバッグがあったことを。
光莉は左右に移動する折れ戸のクローゼットを開いて、しゃがむ。季節物の片してあった服の下の方で眠っていたエコバッグを引っ張り、広げる。
「……うん、いいかな」
大きさは申し分ない。ピンクと青の主張が激しいマーブル模様があしらわれている。普段使いは難しいであろう、派手さがあるが、どうせ洗濯機を買い換えるまでの一時的なもの。こだわりなどない。家からランドリーまでをいち往復で済ませられるのならば、見栄えなどなんだっていいのだ。
光莉は洗濯機の前に置いている百均のプラスチックカゴからエコバッグへ、洗濯したい衣類を半分押し込むようにして、どんどん詰めていく。全て移し替えた時、バッグの口から少し盛り上がっていた。が、気にしない。
続いて、光莉は寝巻へと変貌したよれよれの水色スウェットから、サイズの大きめな水色Tシャツと白い線が両サイドに入ったアイビーのジャージズボンに着替えた。そして、ポケットに必要なものを突っ込む。
まず、三年以上使っているスマートフォン。最大充電容量は当初よりだいぶ低下している。その不便さを感じるたびに、何度買い換えようと考えたか。しかし実際にやろうとすると、支払う金額はもちろん、事務手続も多く、面倒に億劫に感じてしまい、結局やらないまま、今に至る。
それに、仕事鞄から取り出した、絡まないように軽く結んでいる白のイヤホン。今やこれすら持ち運び必須となりつつある。柔らかいラバーの形が耳によくフィットするため、この商品を見つけた学生時代から今日に至るまで、色違いはあるものの、これしか買っていない。
そして、交通系カード。細かな残金は覚えていないが、確か数千円ほどチャージしたのが残っているはずだ。電子マネーで支払えるのであれば、お釣りも出ないし、有難い。念のため、百円玉と五百円玉はあるだけ、千円札は一枚、裸のまま入れる。電子決済に対応していない場合、わざわざ帰ってくるのは面倒臭いからだ。
ズボンポケット左右の膨らみを感じながら、光莉はエコバッグを肩にかけて、玄関へと向かう。玄関すぐそばにある白い靴箱入れに置いている木の網目状の小物入れから家の鍵を手に取りながら、薄紫色のスライドサンダルへと足を通す。
夏という季節はいい。サンダルに市民権が付与されているのだから。物珍しそうにもしくは訝しげに見られることはない。
家の鍵をかけ、夜の顔を見せ始めた街へ繰り出す。
光莉は薄暗い街を、道を、ゆったり歩いていた。ポケットの中でじゃらじゃらと硬貨のぶつかる音が聞こえてくる。足取りに合わせた一定のリズム。不思議なもので、ちょっとした不快さと心地よさとが入り混じった音色だった。
遅い時間帯も影響しているせいか、ひと気が少ない。時折すれ違うとしても、仕事帰りだろうと思われる、スーツを着た男性ばかり。この辺りは、駅からも少し離れた距離にある住宅街。あくまで暗さを補うためだけにあるため、街灯の数はそれほどまでに多くはない。
だが、恐れなど感じていなかった。陽の光だけで色が浮かぶ朝や昼の時とは違う顔を見せてくる夜の雰囲気の新鮮さにむしろ、街を我が物に、独占しているような、そんな喜びさえ感じていた。
喜びといえば、同じくちょっと目論んでいた喜ばしいことがあった。ランドリーが回っている間、ウィークリータカサキに赴くことだ。
ウィークリータカサキは、レジ横にあるホットスナック以外にも、パンや弁当、お惣菜などを店舗の中で作っているため、出来立ての商品が並んでいることが特長。ただその分店舗は一定の広さを必要とするために狭い都内には多くなく、あまり利用した経験はない。だからこそ、未知の世界であり、時間を潰すのにはもってこいであろう。
それにだ、スナック菓子や飲み物、アイスやスイーツも、他のコンビニでは取り扱いのない、もしくは少ない珍しいものがある。洗濯が終わるまでの間、好きなアイスでも買ってきて、ランドリーで食べようじゃないか。
普段は一度家に帰ると、面倒臭くなって、外に出ない光莉であったため、夜遅い時間にコンビニに行くということに気分が高揚していた。子供の頃、たまにあった、夜遅くなったから外食をする時のような、あんな感じ。
うんうん。明日は仕事休み。多少遅くなっても、ええじゃないか、ええじゃないか。
まるで躍る江戸民のように、脳内はちょっとしたパーティーと化していた。
足取りにも良い影響を与え、ちょっとばかり軽くなる。
光莉は笑顔で髪を揺らしながら、大きくなった歩幅でコインランドリーへと向かった。
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