slot ∅ ターニングポイント: 杳窕

穢野あれるや総司令。緊急通達です」


穢野と呼ばれた初老の男は、音もなく通達係に振り向いた。


歳を重ねてできた固いほうれい線は、凝り固まった不幸を溜めているかのようであり。


彼の眉間は、眉と眉の間に隙間が殆どなく。深い谷底ができていた。


両眼には横一文字に刀で斬られた後が痛々しく残っている。


その両の瞑られた瞳は未だ開かず、万感のときを待つ白愛の瞼がそこにあった。


「なんだね?珈琲でも入れてきたのか。

先に申すが儂はミルク増し増しでないと飲めぬぞ」


良く通る渋い声で穢野は、答える。


「いえ、そうではなく。緊急です」


「…きんきゅうだと…?なぜ早く言わん!

斑羅まだら


マダラと呼ばれる好青年は顔を顰める。マダラは穢野を苦手としているようだった。


「お伝えしたんですけどね…ハハハ……この難聴じじいめぇ…いつもいつも」


「なんだと…?」


「ごめんなさい、ごめんなさい。俺が悪かったです。反省してまーす。尊敬してまーす。これは割とマジで」


「………問い直そう。なんだと?」


「尊敬してます!穢野総司令!」


「ふむ。冗談はさておき。緊急とはどのような要件だ?」


「はい。新たな神話形態と推測される事象から吸血鬼と見られるモノの召喚が観測されました」


「記録にない神話か。この御代に、召喚を赦した媒体はなんだ?」


「……それが、オンラインゲームです」


「ゲームだと!?」


「大規模多人数同時参加型オンラインRPG。略してMMO RPGと呼ばれるゲームでの召喚です」


「元となる噂、伝承、記録が絡むことで媒体を通してトキを依代にしてかの者達は召喚される。

ゲーム運営に神位復権派が絡んでおるのは確実であろう。ゲーム名は?」


「『リンク•ユニバース』です」


「リンユバかぁ……」


「穢野総司令。お言葉ですが、プレイなさった経験がおありで?」


「……ないぞ。断じて儂はゲームなる俗世物に触れておらん」


「でも、知っている風に略しましたよね?」


「年寄りだからな。呂律が回らなくなってきてな、長ったらしく言うのが苦手なのだ」


「そうですか、そういうことにしておきます」


内心で見下しつつ、ある程度の罵倒ですませておくことにしたマダラ。


「では……向かわせますか?」


「うむ、霽雷朧夜ハレルヤ討伐隊を向かわせる」


「は。直ちに」


マダラは即座に司令室から脱した。それを、見えない目でアレルヤが見送る。


「リンユバ好きだったのに、これじゃあ解体かね。惜しいゲームを亡くした」


瞼の奥底で泣いた。

観測 2023年 12月29日 2:34。


♢


カレンダーは2024年 1月31日になっていた。母は去年の12月29日から目が覚めていないらしい。


私は週に一度だけ母の元へ行く。


だが、母親が中にいるであろうとされる白い扉の前までだ。


まだ、あの日から一度も会っていない。


会ってないからか、私の中では母も死んでしまっているんじゃないかと思ってしまう。


中は病院でいうところのいわゆる無菌室ICUと聞かされた。


白い扉に触れる。ひんやりした。熱が溶かされていく気がした。


「AI。時間だわ」


AI(アイ)とは私のこと。


呼び方はなんだってもう構わない。なのでそう呼ばれている理由を言及するつもりは自分の中でなかった。


いつも通り。何もない白いワンルームの部屋に連れてこられる。


あまりに白いので、床や壁の境目が分からず。それらがどこまでであるか私は知らない。


ベッドから動かないのであれば、いらない情報である。


「……チッ。じゃあ」


たしか、ヤレルヤと呼ばれていた人が私にため息をつき部屋から出ていく。


やっと、独りになれた。ベッドのぬくもりだけが私に優しい。


コンコンコン。

……また、この音だ。


決まった時間になると一ヶ月前からこうして扉の前に来ては、ノックしてくる。


一ヶ月前は、声もかけられていた。よろしく。と言われた。


いいかげん、やめてほしい。私はとっくに人生をあきらめている。


だから好きにされて、かまわない。だけど、私から扉を開けることはない。


やめて、ほしい。


私がなにもかも喪った日。


ハレルヤに『ジュギライン』と呼ばれるこの地下基地に連れて来られた。


何十層に植物の根の如く基地が連なり、その一つ一つは日本各地へすぐ赴けるようレールがあるらしい。


私はそれくらいしか聞かされてない。


基地内禁則事項の説明のとき、必要最低限は教えるべきとのことで紹介された。


実は禁則事項も紹介されたこともほとんど覚えていない。


嘘か真か、基地内から日本各地にいけるなんて衝撃的だったから唯一憶えていただけ。


私はその日から、一言さえ喋れていない。


傍から見れば、話しかけてもずっと無視されるイヤな人間だろう。


でも、しかたないでしょ。言葉に意味を見いだせないんだから。


一週間が経った。

週に一度の母の元へ行って帰る。


「なにレレちゃん。コイツに用あるの」


「唯唯諾諾。話したい」


「無駄なことね。コイツ、亡霊と変わらないわ。なにしても反応なし。ためしに懲罰房に監禁してみる?」


「窮猿投林。必要ない。今でもこの子は十分地獄なはず。ヤレヤレはそれでもエゴを通すの?」


「エゴじゃいけないわけ?子守りしてるくらいならもっと強くなりたい。隊長のお荷物にならないくらい」


「なら、変わる。私の方が適材適所。任せて」


「……分かったわ。それで文句言ったらタダじゃおかない。

たとえば、私が今度こそコイツを懲罰房に入れるとかね。ま、頑張んなさい」


ヤレルヤはそそくさ行ってしまう。ぼっーとその背中を見る。


その視線にレレルヤが入り込んできた。仏頂面だが、けれど満足そうな表情をして。


コンコンコン。


三回ノックを合図にレレルヤは入ってくる。

ノックをする正体はこの人だったらしい。


部屋にはジュークボックスのように言葉が途切れ途切れながされている。


コンコンコン。


今日も明日も明後日も。決まった時間にながされる。


コンコンコン。


音は決まっていつも通り。


部屋に入ってきては朝なにがあったとか。昔はひねくれていたとか。


これでも妹がいたとか。料理が好きなんだとかを話して、満足そうに帰っていく。


コンコンコン。


つまらない音ばかりだった。

私にはどうでもいいことだ。


そうして、1ヶ月毎日続き。


2月28日。


「明日から、私は戦場に出る。土産話を楽しみにしておくといい」


ガチャ。


‪✕‬


カレンダーは3月6日。


あれから、一週間が経った。

ノック音がしない日々は久しぶりだった。


何かあったのだろうが。私にはどうでもいいこと。


……なのに。


妙に、もう忘れたはずの胸が痛い。


今日は面会の日だ。


いつまでも監視役がこないので私は扉に手をかける。


ドスドスドス。


唐突に重い音がした。扉を開く。


「おはよう。さあ、お母さんに会いにいこう。ナルナル」


久しぶりに会ったレレルヤは包帯まみれで、ぎこちない笑顔を浮かべながら扉の前で立っていた。


……頭の包帯には血が滲んでいる。


そして、両腕がなくなっていた。どうしてノックができたのだろうと扉を見る。


……扉にはレレルヤの血がついていた。


母からの帰り道。


先行しているレレルヤが揺れて見えた。いや、レレルヤが体勢を崩したのだ。


私は何もできず、ただ倒れ伏すレレルヤを見ていた。


父親を思い出す。


あのときも私は·····


「──あ、あっが、っか、だっ·····ダレがぁ、がぁ──!」


声は言葉をなしていなかった。なくしていた声で叫ぶ。


ドタバタと遠くから音がした。私はそのまま気を失った。


‪✕‬


「·····そっか。オテンバは逝ったか。でも勝ったんか。すげぇよ。

俺はあのときも決心がつかなかったっす、ハレルヤ隊長」


朧気に目覚めたとき。そんな男の声が聴こえた。


「キミだってやればできるよ。但し、あの子みたいに自身を顧みないのはなしね。

ちゃーんと最後までいてよ。これ、オレからの絶対命令」


「手厳しいっす。けど、まあ。約束は守りますよ、命にかえても」


「う·····?」


「目が覚めたみたいだね」


「基地内の護り、任せてください。迷古屋レイド、今日っすよね」


「ああ。とっとと決着をつけてくるよ。

帰ってきたら。

パンケーキ、楽しみにしておいておくれよ。ルル」


ハレルヤの声が遠くなる。青い髪の青年が私をのぞく。


知らない顔だ。


·····そうだ。レレルヤは無事かな。


カレンダーは7月14日を迎えていた。


‪✕‬


今日私は、週に一度の母に会いに行く日だった。


「オマエのかぁーさん。どんな人だったんだ?」


「お酒が好きでした。あと喋ることも」


「そっか。退院したらしこたま呑ませるといい。きっと喜ぶぞ!」


そうこう会話をしている内に母の扉の前についていた。


「·····おい。なんで結界が開いてンだよ」


無意識に鼻をつまむ。意識をかりとられそうなほど、血の香りが濃厚だったから。


扉から誰か出てくる。


出てきた人物は、あの日から会えなかった家族だった。


「お母さん──?」


「いンや·····コイツは──」


「ほぅ。目敏い人間はやはりいるものよな」


その姿は娘の私が見間違うはずがなく母親。

なのに、足がすくんで動けない。


渇ききっている心が泣いているのに。


近づいて、抱きついたら、殺される。

間違いなく、死ぬ。


「久しぶりね、ナル。半年ぶりかしら」


「おか──」


「いくな!……アレはオマエの母親じゃねぇ!ここは……俺が死守す──」


プレシオ


そう言われ彼はぐちゃぐちゃの肉団子みたいになっちゃった。


「恐れを生き抜いた者よ。お主はただ、人の余分を放棄すればよかったのだ。

さすれば、かの生き様。そそったものを」


彼の返り血が私にかかり、全身ずぶ濡れだ。視界が真っ赤っか。


「さて。主人の命でな。お主を眷族にしてこいといい遣った。自我は明瞭に遺す、喜べ。

妾と家族になるのだ」


カプリ。と、無抵抗に為す術なく堕ちていく。


人間として終わっていく。


もう、それでもいいか。


これで、喪ったモノが手に入る。


家族という私のすべてが。


‪✕‬


年月が経った。

世界はもはや原型を留めていなかった。


「ナル叔母ちゃん。お父さんは今日もお仕事なの?」


「そうだよ。だから代わりに私が遊びにきたんだよ」


「じゃあ、じゃあ。人間と会いたい」


「会って、なにするの?」


「遊ぶの。死ぬまで」


無邪気な顔が美しく歪む。


まったく、かわいらしいんだから。


人間の集落をびにいく。


人間は弱くて脆い。この子が少しでも触れるだけで崩れていくだろう。


だが、今回の集落はやけに活きがよかった。


たてこもった最後の一人になるまで五分を有した。


家ごとぺちゃんこにするのでは面白くないので、玄関から堂々と入る。


人間の気配は二階の一室にあった。


連れてきた子は満足したのか、血で溢れた河で水浴びをしている。


後始末もいろいろ面倒ではあるが、残しておくと後々さらに面倒になるだけなのできちんと殲滅する。


たてこもっている部屋に入る。


人間は私が入ってきたのに、怯える様子も見せなかった。


眼中にないといった様子だ。


そればかりか、パソコンでゲームをしていた。


ダレかを思い出す。

ダレかもないのに。


「なぜ、オマエらは人を襲う」


「面白いから」


「──は。絶対、ゲームの方がオモロいネ」


嘲笑われる。


コイツ、今すぐにでも喰ってやろうか。


「ほら、やってみろよ。

新しいオマエ用のアカ作ったからさ、ちなみにパスワードは──」


吸い込まれるように食い入るように。


画面を見た。

懐かしい。昔、█がやっていたゲーム。


█と一緒にやりたかったゲームだ。


「オマエが決めろ」


どこからか、涙が零れた。


キーボードに、触れる。


パスワードはそうだ。


《enjoy games with brother》


コレにしよう。


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ゲーム・オブ・ミソロジー 伊勢右近衛大将 @iseukon

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