slot 8 不倶戴天

──ゲームをやろう。世界を壊してしまうくらい。ゲームを。


兄の発したその言葉に吸血鬼は、言葉なく頷いた。


「いかな、遊戯ですか?」


「皆が楽しめるやつさ。バグ一つない清廉なゲームだ」


兄の顔にはさっきから笑顔が張り付いている。


「ずいぶん、抽象的な……いえ、あえて濁しているのですね」


「濁してなんかいない。単に言いたいことを話してるだけ。その方が楽しいだろ?」


話しに入っていけない。そもそも、なんで兄はコイツをここに呼んだんだろう?


まさか、本当に命令とかしないよね。ただでさえ、お父さんを殺したやつなんかに。


「手始めに。この町を消そう。もう邪魔だ」


「は?」


なに、を、言って──


諒解りょうかい。認証しました」


そう言うと、吸血鬼は天井をすり抜けて消えていった。


「お兄ちゃん、ウソだよね。ゲームしようって私たちが楽しくやっていたあの小さなゲームだよね」


兄がやろうとしていることを理解できない。


でも、兄がおかしな事をしようとしているのは理解できる。


「アレはゲームじゃない。ただ人生の形を模しただけの模造品だ。

俺がやろうとしているのは本物。

誰もがクリアできない人生ゲームだ」


「意味……わかんない。ねぇ、どうしたのお兄ちゃん?頭うっちゃった?」


「……俺はいつだって楽しくなかった。振り返れば俺の人生はいつも光に触れられない液晶の前だった。

父を殺し。母に危害を加え。あまつさえ、妹を解放させられなかった。

兄として、これ以上ない異常さだ。

もう、救えない。光の前では笑えない。

俺は目が悪くなりすぎた。

あとは理解できるだろう。俺は楽しいことをしたい。

ゲームを楽しみたい。楽しんでみたい。壊れてしまった世界を今度はやり直してみたいんだ。

だからこそ、この世界を液晶の奥へ移りかえる」


……ゲームの世界にしてしまう。この現実そのものを。


否、それも合っているだろうが。


正確には現実をゲームの舞台にしてしまう。兄がやろうとしていることは、そんな荒唐無稽なこと。


イカれてる。楽しみたい、だからって町ごと消そうって。


あの吸血鬼の力で?


わけわかんない。


「お兄ちゃんのやりたいこと。私にはわかんない。でも、おかしいよ。それは人として、生き方として。間違えていると思う」


呼吸を落ち着かせて、私は冷静に立つ。

兄を見据えて。目を離さないで。


「言うようになったな。昔はお兄ちゃんの言うことが絶対だったのに。母さんのように頑固になったな」


悲しそうであり、どこかほっとした顔を兄はした。


同時に笑顔が消える。

薄っぺらな仮面が外れた。


「成長くらいする。しなきゃいけないよ。お兄ちゃんだってお父さんみたいに大きくなってる」


「皮肉か?」


「皮肉に思える?」


感じ取ったのは一触即発の痺れ。

視線の交差は兄妹による喧嘩の前兆。


私は意見を曲げない。

たとえ、敬愛した兄でも。


「……本当に強くなったな」


あの頃のような優しい表情を私に向ける。


懐かしい。

やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんだ。


「でしょ?」


褒められ。


私は嬉しくなって、笑顔になっちゃた。


まだこんな風に兄妹らしく言葉を交わせるのが嬉しい。


だったら。


そうだ。


わざわざ死ぬなんて考えたくない。


やり直しだって。


二人でなら今からでもできる。


生きているなら、また兄妹に戻れる可能性はあるんだ、きっと。


「あの、さー」


私は勇気を振り絞り、今までのことを含めもう一度やり直そうと口にしようとする。


ここで言えなかったら、一生わだかまりができそうだから。


一生、兄のことを理解できずに終わってしまいそうだったから。


「残念だ」


だけど、言葉はもう無意味だった。


体が芯から凍る。

体の熱が汗を吸う。


目の先には赤いシロモノ。血で固められ、尖った鋭利な輝く物体。


投擲だ。兄が投げた、私に向かって。


なにを?


まさか、ないでしょ。

さっき、──ないって、自ら。


「──ほっ。危ない、危ない。死んじゃうところだったね。ナルちゃん?」


黒ずくめの男が颯爽と現れ。間一髪助けられた。


──がハレルヤの背中に当たった?


……すり抜けた?


それでこの人は何故平然としていられる?


「殺す気かい?実の妹を」


手繰り寄せて体を押し付けられ、庇われている。


そのため兄側の様子は見えない。


「いやー実際、殺す気だったでしょ。オレ、こういう状況には目ざといの」


あれは、信じたくない。私でも分かっちゃうくらい、直球なモノだった。


刃物だ。


「なわけない。体が動いただけだろう。つまらないこと訊くな。どこかの漫画の組織ででてきそうなキャラクターの呼称が合いそうな奴」


語気に笑いが含まれている。


……?いや、怒っているのかも。


怖い。私は兄が恐ろしい。


ここまで、言葉と行動が推測できない人ではなかったはずだ。


「最後の、よく噛まなかったね。オレだったら途中で噛んでる自信ある。君、滑舌良いって言われない?」


ひょっこり、私はハレルヤの脇から兄を覗く。


「滑舌の善し悪しに興味はない。いらないモノに評価をもらってもうざいだけだ。

ましてや、不審者に褒められる筋合いはない」


「手厳しいね。いいじゃーん。人と比較されて下げられるより断然。見えていない人の意見って案外大事だったりするよ。客観的というか、第三者的な。

ま、オレはその辺弁えているから常にアドバンテージなわけ」


訊いてもいないことをあっけらかんと喋り。アレルヤはやはり掴みどころなく、会話を進める。


「ところでさっきのナイフは吸血鬼のモノかい?それとも君の?」


「さあな。有る物を使うのに誰の物とかは気にしない質でな」


「へえ?でも使いこなせちゃうんだね」


「ゲームで培った勘だ。センスの使いようはどこも同じ。手癖は悪いで有名だ」


「なら口癖は、しまった。かな?」


ドゴン、という破裂音。

バゴン、という崩壊音。


前者は壁。

後者は床で鳴った。


壁は乱暴に撃ち抜かれ。

床は綺麗に括りとられる。


ちょうど、どちらも兄がいた位置に近い。


床なんて真下だ。無事では済まないだろう。


「レレ!ヤレ!」


「唯唯諾諾……!」


「任せてください!」


声は二つ。ハレルヤの発した言葉に反応する。


一際デカい音がまた重なってひずみを生む。兄の部屋は瞬きの内に半壊していた。


唖然としているしかなかった。兄の心配をしている暇もない。


自分が生きているのが不思議なことしか脳内に考えていなかった。


「──っ。あ、あ、お兄ちゃんー!」


やっと出た言葉で現実を叩き起す。呼びかけても声はかえってこない。


煙に巻かれて、兄の姿は見えない。見えてもおそらく、無事ではないだろう。


ハレルヤが丁重に私を体から下ろし。半壊している方へ行く。


「無事かい?君たち」


「……はい。なんとか」


「平身低頭。隊長、手応えがなかった」


「やっぱり?ちゅーことはゲーム媒介の接続者リンカーってことを考えるとホログラム。他の候補としてあの吸血鬼の技。というところかね。幻視っていうの?ほら、ナイフが消えていくでしょ?

んじゃまあ……外でてて、君たち」


一階から知らない声が聞こえる。兄を襲った人たちかもしれない。


歯を食いしばって、動く。恐る恐る、半壊した方に進んでいく。


風が吹いている筒抜けの一室。


静まり返った夜景が焦げた壁と混じり、一体化しているような錯覚を覚えた。


開け放たれている。


突発的に壁を絵画に作り替えたみたい。


威力が凄まじかったのが窺える。


これではひとたまりもない。


「兄は死んじゃいましたか」


「いいや。ピンピンしてると思うよ。なぜって?今会っていた君のお兄さんは偽物だったから」


「偽物ですか……?そんなことがありえるんですか?」


「普通じゃ有り得ない話し。信じるかは君しだい。しまった……は聞こえなかったし。

彼、実は超人だったりしない?」


「……一般的でした。けど、体力方面で限界まで追い込まれている姿は見たことがありません」


「あっそう。底知れないタイプね。そいじゃあ、ナルちゃん苦労したでしょ」


「苦労なんてありませんでした。私が足りなかっただけ」


「……そういうところだよ」


やれやれとハレルヤは肩をすくめる。洋画でみたことある、オーバーな感じだ。


「んじゃ。出るよ」


「はい?」


腹を抱えられる。慌てて腕を捕まえて、空に引き寄せられた。


五十メートルかそこら。地上は遥か眼下。


そして急降下。


髪がえらいことになってる。

風圧で髪が飛んじゃう。


「よいしょ。もう地面だよ」


「うぷっ……」


気持ち悪い。

ジェットコースターが気持ちいいくらい。


「三半規管弱い?悪い、これも君のためだから許してね」


私のため?


なら、何が起きてるのか説明くらい欲しい。


いろんなことが起きすぎて今から説明してもらっても、どうせパニックだけど。


とくに兄のことだ。


兄は大それたことをやらかした、だから捕まえにきた。


そこまでは知っている。

もう疑うこともない事実。


だけど、兄は私と同じの一般人なはずだ。


ゲームの中の登場人物みたいな特殊な能力もない。


なのに。急におかしな事態に順応してた。


「迷惑かけたくないから、君の家使うけどいいよね?」


「……あ、はい。いいですよ」


考えても考えても、情報が足りないから解決しない。


そもそも、考えることがありすぎて何を考えていいかも分からない。


ああ、お兄ちゃんはどうしているだろう。

お兄ちゃんならどうしているだろう。


町を消すとか言ってたけど、本当かな。

お兄ちゃんがおかしくなったのって私かな。


ねぇ、お父さん。

私、どうすればいいの。


「好機到来」


声が風に乗ってやってきた。

興奮を精一杯押さえ込んでいる声だ。


そして……音……がした。


雲を潰していく音。

夜が黒くなっていく。


ふと見上げれば。

月が見えない、光が届かない。


あれ……空ってこんな近かったけ。


空に火花が散っている。

球状に火が廻っている。


近づいている。

なにが?


近づいてきている。

一体、どんなものが?


球が。

町を覆い潰すほどの球体が。


──落ちてきている。


と呼ばれる代物がここへ落ちて来ている。


なんで?

ふと、疑問と同時に兄の顔が浮かんだ。


全貌が計り知れない。

言葉を無くすのも無理はない。


鈍い風が勢いをつけていく度。

人体の節々がやる気をなくす。


本当だったんだ。

兄が言ったことは。


この隕石で町を潰す気なんだ。

私とお母さんがいるのに。


──人間がいるのに。


いや、悪循環に飲まれちゃだめ。

ほら、お兄ちゃんのせいじゃないかも。


だよね。

──お兄ちゃん。


「ん……?」


嵐が私をすり抜けた。

風圧は隕石のものか、体が吸い込まれそう。


また疑問が浮かぶ。

吸い込まれそう?


隕石が上から来るのなら飛ばされそうなのに?


嵐の軌道を慎重に探ってみる。

四肢の隙間に音を立て。


体と服が後ろに引っ張られている。


肌にピリつく重い風。

匂いはどこか懐かしい。


微々たる雑草と土に抱かれた柔らかな花の匂い。


掃除できていない排水管の異臭と今朝から干しっぱなしにしている洗濯物。


生活感を濃縮させながら、とめどなく収束し続ける日々の嵐。


さすがに振り返る。

これらは間違いなく、だ。


嵐が集まるところ。

即ち、私の家が場所に。

黒ずくめの男こと、ハレルヤはいた。


右腕を隕石めがけ掲げ。

手の中には指揮棒が握られている。


ハレルヤの舞台は一人の観客隕石のために。


演者は凝縮と膨張を繰り返し、球状になっていく物体。


あれは、私たちの家だったものだ。


嵐を旋律として、指揮は捧げる。


覆う天蓋魔境。禊ぐは海神わだつみを孕む腸。


マエストロは公演を開始する。

星と星による拍手喝采を祝福して。


人の手で創られた奇跡は小さな隕石となって地上から飛び立つ。


「〜Brille brille petite étoile, Dans la nuit qui se dévoile〜」


そうして、私は目の当たりにすることになる。


小さな隕石は紅蓮を纏い。

夜空を閃光に彩り。

空を跳ね除け、昇る一条の神々しさに私は神話を見る。


「〜Tout là-haut au firmament

Tu scintilles comme un diamant〜」


それは、まさに神々の作り話。

創られていなかった神の所業。


「── Brille brille petite étoile

Vieille sur ceux qui dorment en bas」


太古の冷却を溶かすように、人の時代を壊して神の時代に孵す。


──創成だった。


その一部始終はビックバンの如く。地上ではありえない隕石と隕石とのぶつかり合いだ。


「……今の歌──」


こんな光景、ゲームでも見たことがない。

私が無知なだけかもだけど。


「星に焦がれた者は目蓋の裏で星を覗く。それは夜に星を見るように」


「……は?」


「メロディのヒントだよ、ヒント。そんなに睨めつけなくてもいいじゃん。ほら、かっこよく締めるためには必要でしょ」


「……きらきらぼし。ですか?」


「おめでと、合ってるよ。センス抜群、有頂天。天才と呼んでもかまわないよ、実際」


片手で指パッチンと憎ったらしいウィンク。この人ほんと。


「ほんと、どこまでも緊張感のない」


ハレルヤは私の元へ悠々と歩いてくる。

したり顔を晒しながら、堂々と。


「……さて、神話の決戦といこう」

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