slot 7 在り方

「お兄ちゃん!ゲームやって!」


「またかよ。いいよ」


妹はゲームで難しい場面に遭遇すると、すぐ俺に頼ってきた。


家族の教育方針上、ゲームをすると課題が発生するのだが。


最近妹はやっと隠れてゲームをすることを学べたようで、両親の帰りが遅いときにゲームを持って俺のとこにやってくる。


こっちは勉強で忙しいのに。お構いなしで、すぐ俺を誘惑してくる。


我が妹ながら甘え上手がすぎる。


ここいらで懲らしめておかないと、受験に支障をきたすな。


「おっ、ここまできたか」


さすが俺の自慢の妹。難関ボスまできているじゃないか。


実はこのボス。前のボスの方が難しいんだけどね。


見た目で怖気付いちゃったか。まがまがしてるし。小学生にはちと厳しい。


さて、いっちょ倒してやりますか。


「お兄ちゃんー、できた?」


「……」


「お兄ちゃん?」


「……ヤバ」


最近、ゲームに触れてなかったせいでプレイングが落ちてる。


しくった。


ここは一旦避けなきゃいけなかった。


……また負けた。


「お兄ちゃん……もしかして下手くそ?」


「ああ?んなことない。お兄ちゃんはくそ上手いんだ」


「でも、もう30回以上負けてる」


「はは。それは数え間違いだ。……29回だろ」


「はぁ……。私もやる」


「できるもんなら、やってみろ」


妹は果敢に挑戦するが、もちろん俺のプレイングには及ばない。


だが、俺と違うプレイングをして俺と違う倒し方にたどり着いた。


「……やるじゃん。センスある」


「でしょ。いつかお兄ちゃんより凄くなるんだから」


「そっか。でも……まだまだ追い抜かせたくはない」


火がついた。頭の片隅にあった勉学のことを捨て。


頭の奥底にあったゲームを引き上げる。兄として、妹を導くため。


今を楽しくすることを選ぶ。


「だけど、いつかは追い抜いてほしい」


「当たり前。お兄ちゃんの分まで私頑張る」


「じゃあ、ナルが操作で俺が状況を伝える。適材適所っていうやつだ。できるな」


「怖いけど、やってみる。お兄ちゃんが言うなら」


「偉い。この調子で家事もするようになるとなお偉い」


「えーめんどくさい」


「お兄ちゃんからお褒めの言葉をもらえるのに?」


「べつにいい」


「反抗期が。もうカレーライス作ってやんないぞ」


「……はやくゲームやろ」


「はいはい」


ボスは夕食前に何とかクリアできた。今夜の夕食は俺のお手製カレーライスにすることにした。


「難しくなかったろ?」


「……うん。ちょっとだけ難しかったけど。それほどじゃなかった。でね」


「ん?」


「楽しかった」


カレーライスを頬張りながら。

妹らしく満面の笑顔をして答えた。


それが何より眩しくて、誇らしく。

ずっと守っていたいと思った。


なにがあっても、そばで。

どんなことでも、お兄ちゃんらしく。


妹のために、両親のために。

生きるのだ。


「お兄ちゃんは?」


「俺は──ナルがそう言ってくれて嬉しい」


「違う。ゲームの感想」


「? まあまあの難易度だったな。俺がもっとやり込んでいれば一瞬でクリアできた」


「それも違う!楽しかったの?楽しくなかつたの?」


え。

それは考えたことがなかった。


楽しかったか……分からない。

ゲームは友だちがやっていたからやっていただけで。


それが楽しかったかと、問われれば。

どうなんだろうか。


極めることは義務だ。

一番ではなく、完璧に。


失敗は成功への一歩だ。

何度でも、完璧になるまで。


そう、教わった。

生きるためには一番になる必要はない。


だけど、全てを普通以上にしろ。

それは生きるためになる。と。


生きることはゲームより難しいことが多い。

でも、ゲームほど生き方を踏襲したモノはない。


だから、普通できて当然で。

クリアできて普通で。


きっと、生きるためには必要のないこと。

それを普通以上にできても何の役に立たないことのほうが多い。


役に立たないことは楽しいことなのだろうか。


普通にできることは生きることに必要なことなのだろうか。


「……それって必要か?」


「必要!だってそうじゃなきゃヤダ」


「なんで」


「私が楽しくない」


「なんで俺が楽しいとナルが楽しいんだ?」


「そんなの普通でしょ。私たちが家族だから」


「……確かに。普通だ。以上でも以下でもないな」


「だから、そうじゃなかったらイヤだなって」


「ああ。……きっと楽しいんだよ──は」


声は掻き消えた。

言ってはならない気がしたから。


俺は普通のことに楽しみは感じないんだ。


俺はもしかして普通じゃないことを待ち望んでいるのかもしれない。


楽しいと感じる、異常を。


生きることを諦めるほどの生き方を。


「なら……私が──」


‪✕‬


「クソヒキコモリ、何したか分かってんの?」


「さあな。俺だってよく分かってない」


久しぶりに聞いた兄の声はやつれた大人のため息のようだった。


「見た?」


「……見てたよ。悪夢だった」


荒れた暗い部屋で兄は呆然と佇んでいる。こちらを見ずに。亡霊になったみたいに。


「ずっと夢を見ていた。夢なら最高の出来栄えだった。痛快で後悔まみれで壊したくなるくらい……なあ、夢じゃないんだろ?」


「なわけないでしょ!お父さんは今死んだんだよ。オマエに、殺されて」


「だよな。そう、なるよな。あーあ覚めるんじゃなかった。夢からも、現実からも」


振り返った兄の顔は吹っ切れた笑顔をしていた。


いろんな憑き物が落ちたやつれた顔。

それに似ただけの渇きに満ちた泣き顔。


「俺、やっぱ死ななきゃいけないかな?

父さん。殺しちゃたから。もう、兄になれないから」


顔を直視した。まじまじと、じんじんと、ぐずぐずと。


すると、私から兄に対する恨みが喉の奥底に沈みこんで。


代わりに泣けなかった涙が溢れ出た。


兄があんなおかしな生命体をよびこんで、父を殺させた張本人であるのに関わらず。


それよりも兄が無事に生きていて、何よりも一緒に父の死を悼むことができることに心が先に嗚咽した。


「なんで?なんで……!なんで!お父さんが死ななきゃいけないのよ!」


嗚咽まみれだ。言って、叫んで、全部。


声に形ができるほど、痛むほど。

父に届かない思いを滲む世界に撒き散らす。


無駄と分かっている。


こんな無様を晒しても、なにも戻らないのは知っている。


でも、泣かずにはいられない。


「──私たちも死ねばよかった」


「……きっと死ねるぞ。俺がアイツに命令すれば今すぐにでも。けどな──」


「お父さんはそれで喜ぶかな?」


「死ねば分かるかもな」


「じゃあ……」


「俺は死にたくない」


「なら、命令して。私たちを殺すように」


「できるわけない。

俺が……ナルにできるわけ……できるわけないだろうが……!!」


心が欠けていって。父との思い出が欠けたところにハマっていく。


兄が言っている意味が理解できない。

それくらいいいじゃない。


クソヒキコモリのくせに今さら兄らしくふるまうな。


「──なら、壊しなさいよ。全部、なかったみたいに」


「──!」


「私、もう何もできない。私、生きていけない。

褒められたくて、立派になりたくて。あのときのお兄ちゃんのできなかったことをやって、お父さんにお母さんに認めてもらいたくて。

……お兄ちゃんのやったこと無駄にしたくなかった」


そこから私はここ数年言いたかったことをぶちまけた。


もう死んでもいいように。


「私さ。またゲームを一緒にやりたかったの。でも、もうお兄ちゃんはお兄ちゃんじゃなくなってて。どうゲームをしたらいいかも分からなくなっちゃったんだ。

でね。最近クラスで流行りのゲームがあって。誘われて久しぶりにゲームをやってたら、ふとお兄ちゃんが浮かんで。すごくムカついたんだけど。そればっかりじゃなくて楽しかった、なんて思い出したりして。笑っちゃって」


「そしてね。友だち作りがうまくできなくて、お兄ちゃんにつききっりだった私にも友だちができたんだ。もう独りじゃないんだよ。バカにされることもほとんどなくなった。

なんでかな?寂しくなっちゃったからかな。弱いままじゃ、お兄ちゃんに怒られそうだったからかな。

ねぇ、強くなったよ。人前で笑えるくらい」


兄の顔は見えない。目を見て話せない。少し恥ずかしい。


なのに、泣きじゃくってるみたいに言葉がでてくる。


「勉強はまだ苦手で。一向にお兄ちゃんみたいにできない。努力も足りないし、自信もない。でも、お兄ちゃんにできなかったことをやり遂げる。お兄ちゃんの行きたかった大学を出て、立派な人になる。それだけがモチベーションなんだ。

だから、高校受験頑張ってるよ。風邪と怪我はしないようにね。

……ごめん、あのとき私が……私が入院しなければ受験も──お兄ちゃんは!」


そこで私はまた泣いてしまった。思い出して、悔しくて、私が頑張っても、もう意味はないのに。


「いいんだよ。俺はできた奴じゃないからさ。元からこんなんだった。ナルの方がよっぽど頑張れてるさ。

ただ、俺には自分と呼ばれるものがなかったんだ。それで失敗して。それが、今の結果を生んだだけ。

苦労をかけたな、ナル」


顔を見上げる。いつの間にか屈んでいた私に、兄は私の頭を撫でていた。


兄の手は暖かった。まるで、あのときのお兄ちゃんそのままで。


──あ。

なんだ、やっぱり、そうだったんだ。


「そんなこと言わないで!言われたくない!私のお兄ちゃんはなにより憧れだから!

だってお兄ちゃんは──」


否定しないでほしい。


私のせいで我儘も言えなかった。

私のせいで笑うこともなかった。

私のせいで両親に期待をかけさせた。

私のせいで自分のこともまともに考えられなかった。

私のせいで行きたかった高校の受験ができなかった。

私のせいで両親に失望された。

私のせいでずっと、ずっと──


「私のためにずっと、たんでしょ──!」


「……」


気づくのが遅かった。

気づかなくちゃいけなかった。


きっと、私が更にダメにならないために兄はひきこもったたのだ。


ダメで情けないヒキコモリという人物を演じていたのだ。


私がいなければ、兄はお兄ちゃんじゃなくて。


天岩 響としてなんでもできたんだ。


「そうなんでしょ。なにか言ってよ……お兄ちゃん。

私がお父さんを殺したんだよ。だから、殺してよ私を」


「ごめん。俺はお兄ちゃんだから妹を殺せない。代わりに……」


兄は立つ。なにかを決心したように。


「パウアウフ」


低い声で呼ばれた者が扉からすり抜けて、ゆっくり兄の側に歩み寄る。


「遅参しました。命令ですか。主人」


「今から言うことは決して終わりではない。始まりにすぎないことだ」


「ずいぶん大きくでるのですね。期待されていると受け取っても……?」


「……ん?オマエ、そんな感じだったか?前は人間もとい、主人をバカにした口調だった気が」


「そのようなときもありました。敬語も慣れていない時分でしたので。

ですので、心を入れ替えたと受け取ってもらえれば幸いです」


吸血鬼は変わっていた。

お淑やかに微笑みを浮かべ。


主人を絶対とした生き方を胸で掲げていた。

精神性が裏返っている。


血気盛ん溢れていた姿はもはや跡形もない。


あろうことか姿も兄によりそった、いたいけな少女の姿に変わっていた。


その姿から滲む、鋼のような忠誠。

視線でそれが分かる。


決して兄から視線を外さない。

──アレは昔の私そのものだ。


いや……それよりおぞましい追従だ。


纏っていた衣装も白銀のドレスから黒と赤を基調とした禍々しいモノに変わっている。


正装というものだろうか。


「はぁ……まあいい。俺の命令を聞いてくれればいいんだ」


「ちゃんと、ききますよ。ですが命令するからには対価は払ってくださいね。言い忘れてましたけど」


「先に言ってくれよそういうの。あ、まさかさっきの命令も対価が必要だからって」


「さきほどまでのは遊びだったのでノーカウントにしておきましょう。きく気なんてなかったですし」


「ふぅ……よかった。って、おい、今なんて言った?」


「なんでも。それより、早く命令を。しかして対価を。この吸血の神器なる妾に人間の輝きを」


飢えた鬼。あるいは人間に魅入られた渇望の女神吸血姫


吸血鬼が兄の側でかしづく。うれしそうに口元を曲げている。


「手に口付けをしても?」


兄は納得いっていない顔をして吸血鬼に一瞥した後。嫌々ながら了承した。


そして、私を見据え。


「──ゲームをやろう。世界を壊してしまうくらい。ゲームを」


……兄は笑う。


今まで見ていた作り物の表情ではなく、心からの笑顔を見せて。

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