slot 6 破顔

私は全身黒ずくめの男と話しこんでいた。もちろん、信用したわけじゃない。


詮索も兼ねて。


まず男の身なりを疑って見た。


肌は浅黒く、日焼けではできない皮膚への広がり方をしていることから生まれつきなのかを考えた。


次に目。


目は私と同様の黒い日本人に多い瞳だった。カラコンとか入れてない、純粋な裸眼。


ただ、目つきはやらしい。


その次に頭をこれみよがしに隠しているスカーフ。見るからに怪しい。


スカーフはヒジャーブに似ている。ヒジャーブは確か、女の人が被るものだった気がする


そうなると、もしかしたら女性なのかもしれない。顔立ちは綺麗な方だし。


格好にいたってはシンプルな柄のないカジュアルスーツ。


妙に着こなしており、さまになっている。


体に触れたときのガタイの良い筋肉は、はたから見たら分からないようになっていた。


スーツによるものだからか、着痩せするタイプなのか、どちらかだろう。


背丈は190cmはこえていると思う。ベッドに腰をかけ、脚を組んでいる姿勢をとっていて。


組んだ脚が私の腰をゆうに越しているからである。


ちなみに私の身長は162cm。

上〇彩一人分です。


その男はハレルヤと名乗った。


ハレルヤの身元事情は触れられず、一方的に私たちの現状を話してきた。


信用を勝ち取りたいなら、名前以外も教えてほしいくらいだ。


まあ、話しを聞いたところで信用はしないけど。


話された内容については以下の通り。


今のままでは私の家族が危険にさらされることになる未来が待っている。


兄が大罪を犯し、壮大な謀をしでかそうとしていていること。


その大罪というものは、異世界の魔王的な者を召喚しただからだそうだ。


吸血鬼?吸血の器?とか言っていた。


このままだと、日本全土では収まらず世界全体が滅茶苦茶にされるんだと。


ということだから、ハレルヤはその吸血鬼の討伐と兄の拿捕のために来た。


……と。


……困っちゃうよね。

あまりに、作り話がすぎる。


そして、よくわからないことを一つ。


「……意味の無いことだろうが、君に聞くべきことがある」


「さっきまでの胡散臭い調子はどうしたのよ」


ハレルヤは急に真面目な顔を……怖い顔をして私を見つめ、訊く。


「人を殺したことはあるか?」


「は?」


なにを言い出すんだこの男は。私が人を殺している人間だとでも思っているの……?初対面で?


「……そうか。なら、いっかなー」


ハレルヤはできた笑い方をする。昔、兄がしていた笑い方に似ていた。


痛ましいとまではいかない。渇いた笑いとは、形にハマらないものだ。


「でだ、君は俺たちに力を貸すつもりはないかい?もちろん、闘う力は保障するよ」


「今の話しを聞いて、はいそうですかって答える人いる?」


「……うん。それもそうか、だよねー。分かっていたことだし、実際。断られたって悲しくなんかないやい」


昭和っぽい返しでハレルヤは落胆した。コミカルな人だな。


「貴方いったい何がしたいの?」


脅される覚悟で正論を言ったつもりだったのに、あっさり納得したんですけど。


軽いっていうか、さっきまでの話しが本当なら緊張感がなさすぎでは。


「そもそもの話し。私が貴方たちに力を貸したところで超人的な力なんて持ってないのに」


「素質があるんだよ。オレの目利きは一流でね。君は凄まじいポテンシャルを持っている。もっとも、身体じゃなくて洞察力に素質があるって話し」


「その目、節穴を見抜くのだけは使えそう」


図らず挑発してしまった。でも仕方ないじゃない、私に優秀さがあれば後悔は少なく済んだ人生なんだから。


「なら、納得してもらう他ない」


アレルヤはにっこりと笑い。ベッドから立つと、カードキーを私へ投げた。


「確かめておいでよ、兄の様子を」


したり顔をしてやる。このアレルヤという男、私を見くびったな。


選択を相手に任せるとは、選択肢を利用されることと同義。


私はすぐさま、カードキーで自室を出る。こんな男ともおさらば。


両親に駆け込もう、そして、警察を呼んでもらう。


部屋を出ると、話し声が聞こえた。兄の部屋からだった。


滅多に、いや、ここ数年開いたことのない扉が完全に開いている。


だから、こんな丸聞こえなんだ。兄は女の人と思わしき声と会話している。


「……命令はそれでいいですね?」


「ああ、もううんざりなんだ。これも、どうせ夢なんだからさ」


「主人は絶対です。では、開始しましょう」


兄の部屋の扉前を通っちゃいけない気がしてきた。


扉前を超えなくては、階段へ行けない。行けなければ、両親に会えない。


おそらくまだ両親は一階にいる。私の部屋の隣が両親の部屋で。


両親の部屋の扉は空いていて、空っぽの空気が流れている。


まだ一階にいるんだ。

二人とも。


勇気を振り絞るしかない。

さっき聞いたことは忘れよう。


通ればいいだけだ。


ハレルヤが言っていたことなんて信用に値しない。


ズボンを握りしめる。なんで、怖いんだろう。


さっきもそうだ。生きている心地がしない。


墓場に生き埋めにされていくような。


底のない暗闇から自分の悲鳴が聞こえるような。


理性が壊れていく。


本能が理性を食い破って、心臓にまとわりつく。


「はぁ──、はあ、はぁ─っ、はぁ──」


気づけば動悸が凄まじかった。呼吸が人間から獣になっている。


冷や汗が、熱い。


体内の熱がどんどん外界に棄てられていく。


「どうした、ナル」


前を向けば、酒につぶれた母をかついだ父の姿があった。


「まだ独りでトイレに行くのが怖いのかな?お父さんが見ていてやるから、行っちゃいなよー」


私もう中三だよ、お父さん。夜中のトイレが怖かったら受験できるわけないじゃない。


「──、──」


声は出なかった。でも、安心したおかげで動悸は止まってくれた。


「ほ?ヒビキが外に出てるのか?」


父は兄の部屋の扉が開いていることに気づいた。


気づいてしまった。


「……どれどれ、息子の部屋を久しぶりに見てやるか。汚かったら掃除してやろう!」


一歩、一歩。近づいていく。


父の顔は少し複雑そうで、でもどこか嬉しそうだった。


私はその顔を見ていることしかできない。


「……あ」


父の声。何かと目でも会ったんだろう。


「貴様、妾の領域に踏み入ったな」


父が宙を舞い、廊下に飛んだ。


両手であった物体と共に。


「……かぁっ」


内蔵にまでひびいていたのか父が吐血する。


私は動けなかった。

指ひとつ、視線ひとつ、声ひとつ。


「ほう──、妾の『ラーティオ』を受け。意識を崩さず、ツガイをも五体満足とは貴様何者だ?」


「……さてな。人間としか言いようがない」


「は。感興をそそられるな、貴様には。 どうだ我が眷族にならんか?

自我くらいは遺してやろう」


ふらふらで立ち上がる父。口元には不敵な笑みがついていた。


「戯れ言が。人間を甘やかすな、命がもたないぞ吸血鬼」


「……ハ……ハハッ……アッハハハ……!」


ようやく、兄の部屋から何者かが高笑いとともに出てくる。


「まやかしはどちらもだ。生命を冠するモノは総じて泡沫。

例外はなく、故に妾は貴様を欲する」


その脚は流麗でありながら、獰猛であった。

床が軋みをあげて跡に変わっていく。


その腕は繊細でありながら、強靱であった。

空気がひずみ、些細な動きさえ旋風を巻き起こす。


その髪は鮮やかでありながら、澱んでいた。

体臭は綺麗な毒のようで、溺れるほど血で満ちている。


その体は美でありながら、兇悪であった。黄金律を体現しながら、白銀律を拒むような黄金比だ。


即ち。その生命体は、全てを包み込めるほど強大でいながら何一つ包めないほど大きすぎた。


「……くそ。太刀打ちできそうもないな、こりゃあ。まあ、死んでもオマエの眷族とやらに俺はならないんだが」


「──因果律からの解放はされよう」


「俺は歴史の隅っこにいるのがいいんだ。家族と過ごし。として。俺として。なんて、生き続ける」


瀕死の重症なのに、父は幸せそうに笑っている。


「もとより因果なんてものは乗り越えている。たとえこの末が懲罰とされるようとも。

生きて、自分の大切な人と共にあることこそが大切なんだ。

罰が運命というなら、なおさらのこと。罪に応え。足掻いていく。

──それが今の俺だ」


「……理解に苦しむな。足掻くほど、因果の収束は果てに払われる。故に因果の内からの脱却は生命の懇願なのではないのか?」


「だから断ち切った。願いも思いも、ただ一人を救いたくて。

……結果、その一人を失くした。因果なんてたいそうなモノがなければ出会えなかったのにな。

わりと、命っていうのは因果の内にあるものなのかもね。お姫さん」


「──そうか、無粋な投げかけをした。

異世界の勇者よ。ソナタとあいまみえて妾は嬉しく思う。ソナタが全盛期であったのならば敗れていたのは妾だったやもしれぬ。

ならば……最期に名を聴かせてくれまいか」


天岩あまのいわ みこと。アナタは?」


虚ろな瞳。辛うじて息があるような状態。


両手の切り口からだばだばと血がとめどなく流れ続けている。


父の髪から色素が抜け落ちて、白髪になっていく。


それが生命が終わる兆しのような気がして。見ていられなかった。


「──パウアウフ・アウノミッセス。さらばだ、ミコト。交わらぬ神話の同士よ」


もう間に合わない。


父はもう……


「安心して幕を閉じるがよい。ソナタに免じて誇りは殺さん。語り継ぐ者は神話において、なくてはならぬ」


「……」


母は気を失っているのか、目を覚まさない。


焦って父を見る。

父は母を見ながら薄く笑みを浮かべ。


届かない母に無い手を伸ばしている。


私は目を閉じた。


「そこの人間。ミコトの娘であろう。傍に行ってやれ」


冷酷であるが落ち着いた声だった。この生命体にもこんな声がでるんだと驚いた。


伏せたまま、目を開ける。精一杯目を開ける。


震えた体を動かす。

冷えた体温に熱を灯す。


こみあげたものに従い。

父の傍へ歩きはじめる。


「妾は人間を勘違いしていたらしい……」


さっきまでの時間、今までの全てを思い出しはじめる。


いろんなことがあった。


そんな抽象的な言葉でしか表せないほど、幼少期からたくさん。


「大して力を持たぬものたちが、なぜここまで命を意義深く持つのか」


思えば、父は私と兄を毎回気にかけていた。

不器用ながら精一杯。


『僕のようにならなくてもいい。

生きてさえいればそれだけで僕は喜ぶんだ』


確かに昔は厳しかった。

両親を憎みもした。


それでも、父は親でいてくれた。


「……」


父の元へ駆け寄る。すると、私を父が見てまた笑みを浮かべた。


悲しそうだ。


腕がのびてくる。手がなくなった腕が頭へ寄ってくる。


ゆっくり二回、横に腕は揺れた。


きっと、父は頭を撫でてくれたのだ。


「……あ」


言葉が出ない。

父が滲んでいる。


最期にまた笑った。

今までを清算するように自嘲気味に。


父の目を閉じた。

口元の血を自分の裾で拭った。


「死に様とは、如何な種族であろうと美しいのだな。人間の死に様は何度立ち会い飽き飽きしていたが、絢爛けんらんたるときを過ごしていたようだ妾は……」


私は父の前に立ち。

恐ろしい生命体へ振り返る。


「……人間よ。問おう、妾へ抱く感情を」


「答える義理はない。どいて、殺さなきゃいけない奴がいる」


私はもう黒ずくめな男のことを信じきっていた。


兄が諸悪の根源であることを。

コイツが召喚された吸血鬼であることも。


「それは、主人であるか」


「天岩 響よ。私の兄」


「では、人間。お主を殺さねばならぬ」


「勝手にすれば、どうでもいい」


「家族を守ったのだぞ、今しがた死んだ男は。それを否定するのか、人間」


「家族のことよ。オマエは関係ない」


「殺したのは妾だ。主人は何もしていない」


「……何もしていない?なら、なんでお父さんは死んでいるの」


「今しがた述べたはずだ。妾がこの手にかけたと」


「じゃあ、その妾をここへ喚んだのはアイツでしょ。ほら、何もしていないわけないじゃない」


「人間……同族を殺すという意味は心得ているな」


「知らない、そんなの。必要?どうせ私もオマエに殺されるだろうし」


「道理だ。理解しているならよい。殺すということは殺されるということだ。

妾も、今こん時まで忘れ。軽んじてしまっていた」


「──?」


「ならば行くがよかろう。殺せるものならな」


私は吸血鬼を横切る。

吸血鬼は笑っていなかった。


私が今からする行為を、嘲笑っていなかったのだ。



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