slot 2 奇襲
グラグラ、と光の圧力に荒れた部屋は小刻みに揺れる。
小人たちの宴会のようだ。
「生身は久方ぶりねっ」
ゲームログインの光から現れた吸血姫はポキッポキッっと首を鳴らした。
召喚の勢いにより部屋中のモノが巻き上がり、元々散乱していた部屋はさらに散乱してしまっている。
ドレスにも付着したようで吸血姫はそれをこよなく優雅に払っていた。
──ゲームから飛び出してきた?
いいや、召喚された…?
というか、そもそもこれは現実じゃないのでは?
リアルよりの夢ならこんなこともあり得る。
であれば、夢にしよう。夢の中の出来事。
なら、冗談みたいな目の前のことに納得できる。
現実逃避を楽しむのは俺の十八番中の十八番。夢を見ることだけは、大得意だ。
ちなみに、叶ったことは一度もない。
恐る恐るゲーミングチェアを回転させて完全に振り向く。
吸血姫は俺の部屋を興味津々に眺めていた。
ひとしきり眺め終わり、興味が部屋から俺に変わったようで俺を黄金の瞳で見てきた。
「──そなたが妾の愛しい主人ですね?」
万華鏡のような爛爛と輝く黄金の瞳。色彩に曇りなどなく、眼をくり抜いたとしても一級品の芸術品になるだろう。
海淵から空を見上げるような深い白銀のドレス。
影さえ、魚群のようで。ドレスの模様の一部と化している。
首にはトパーズが嵌め込まれている豪華な鋼のチョーカー。
ドレスが海なら、これは月光であろう。
夜空に浮かぶ遥か光。首についているのも納得だ。
4本の指には白銀の指輪。薬指には指輪はなかった。
手首にも足首にも、指輪と同様の鋼の輪。まるで拘束具のようだ。
……誤魔化しようのない。
本物のパウアウフ•アウノミッセスだ。
「…………はぁ」
駄目だ、リアルすぎだろ。夢を見ている感じ、全くないんですけど。
さては、夢じゃなくて幻覚だな。ついにゲーム狂いが本当の狂人になってしまったということか。
こういう妄想はいくらでもしたが、本当に起こると案外取り乱すもんなんだな。
冷静に考えれば、そんな感想が浮かんだ。
はは、ついに頭まで狂ってしまった。これじゃ、本当の異常者だ。
やっと、たぶんなりたかった者になれたじゃないか。喜べよ。
はは、こんな息子を見て……母親は泣くだろう、父親は嘆くだろう。
妹は……まぁ盛大に大笑いするんだろうさ。
終わりだよ、この兄貴って。
「あー、そなたが主人ですよね?聞こえてますでしょうか、コトバ、ワカリマスコトーデス?」
「……」
すみません、よくわかりません。別に声なんて、クリアに聞こえてないんだからね!
そして、俺は絶対に反応しない。反応したら吸血姫がいることを頭で認めることになってしまう。
狂人は狂人でも、現実は見ていたいのだ。もう間に合わないとしても。
異常にはなりたくない。異常になりたくないんだ。
普通でありたい。普通になりたいんだ。
「言語認識を誤っていたかしら?それか、主人の脳波が狂っているのではないでしょうか?そこのところ、どうでしょう主人?」
顔を近づけてくる。絶賛至近距離。
このままキッスか?今されたら緊張でゲロ吐きそう。
「網膜、鼓膜、良好。皮膚膜、筋膜ともに劣悪。主人、食生活に偏りが生じてますよ」
ゲームのキャラになんか心配された。ていうか、そんなにひどいのか。
確かに夜中カップラーメンばっか食べているが、まだ肉体は若い。
無茶も効くだろう。そうだろう。
「アレ?もしかして、無視してません?おかしいですね、精神異常になっていませんよ?
証拠にですね?ほら……」
にやりとパウアウフは口元をいやらしく曲げた。
む。……むむ、……むむむ!!
ポヨン、ポヨン。ペタ、ペタ。
ああ、なんて至福。
乾いた空気の音が耳の側で鳴る。
俺は今、顔面乳塗れや。正確には抱擁なる谷間こと英智の秀作を感動映画を見る感覚で堪能している。
まて、まて、意識飛ぶ。呼吸過多、無意識に過呼吸になりかけていた。
「……ギブ、ギブアップ……」
「ほら、無視をしていましたね」
「ゲホッ……ゲホッゲホッ……あー」
怒りを露わにパウアウフは俺を見る。若干だが、光悦な表情も浮かべていた。
「……どうも、アナタの主人の堕──いえ、
全力で目を逸らしながら本名を名乗った。もしかして、幻覚ではなく間違えて俺の部屋に入っちゃったコスプレイヤーさんかもしれんしな。
しれん……なことないかー。
「……は!まさか今のか主人の本名ですね!では、妾を認めてくださったということで今後ともご贔屓に」
実に嬉しそうだ。顎を限界まで上げ、拳を振り上げて歓喜に震えている。
「ささ、早く命令を!です!ね!」
ああ、これ。マジのガチのやつかもしれん。
ガチで俺の頭狂ったわ。はは、どうしましょうこの展開。
帰って、ってお願いしてみようかな。そうだ、そうしよう。
それで晴れて俺はごく普通のひきこもりの健常者だ。
「では……命令をす、しま──」
言う前。召喚の衝撃により、自室の鍵が壊れたのだろう。
「……んん?あ、クソヒキコモリ、こんな深夜に何やってんの」
妹だ。妹の
まずい、こんなとこ見られたら更に俺の評価と誤解が──
「貴様、妾の領域に踏み入ったな」
瞬きより早く。空気より軽やかに。
──妹の首を引きちぎった。
「は──?……おぇっ」
頭が切り離された胴体が、失くした頭を求めて部屋に血が滴っていく。
一瞬にして血が充満し、鼻孔に死の匂いがやってくる。
口の中に昨日食べたカップラーメンシーフードと酸っぱいナニカが押し寄せてきた。
「ひよけの役にも立たん血袋風情が、妾の眼を遮るな」
パウアウフは、唖然と固まっていながら力なく表情が垂れている首だけの妹の髪を持って、侮蔑の視線を向けている。
頬にかかった妹の血を無造作に拭い。俺の足元にパウアウフは妹の首を棄てた。
「主人もそう思いますよね?」
心底不愉快だと呆れ顔を俺に向けて、同意を求めてくるパウアウフ。
その顔に俺は理解を示せなかった。理解を示せるはずがなかった。
夢なら醒めてくれ。悪夢ならとっくに俺は発狂しているはずなのに。
発狂できない。眼を逸らすことができない。
妹の……無残にも転がっている首から眼が離せない。
なんて……声を出せばいいのか分からない。
駆け寄ったほうがいいのか。
死んだと、思えばいいのか。
よく……分からない。
夢か現実かなんて、もう些細なことだ。
ゆっくりと、血の気が失せていく感覚で理解する。
この惨状が紛れもない全てだ。
俺は、必死になって貧相な体を動かすが頭と体が麻痺しているようで、目の前の存在に怯えることしかできなかった。
「……ま、さか、妾またやっちゃった?」
パウアウフは口をへの字にさせて、今にも泣きそうな顔で俺に近寄ってきた。
俺は全力で後ろに下がった。手にちょうど掴んだキーボードを取り、パウアウフに投げる。
顔面に当たった。キーボードはくの字に曲がり、バラバラになって地面に落ちた。
それでも、パウアウフは顔を近づけてくる。
殺されると思った。
「もしや、もしやこの、ち……この人間は主人の血族?」
妹の首をパウアウフは指さす。
不安そうな顔で俺の顔を覗いてくる。妖艶な顔が唇を震わせて歪む。
もしや、申し訳ないことをしたかもしれないと聞いてきた。
気持ちが悪い。
「そう……だ。俺……の……妹だ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい主人、ごめんなさい、ね」
謝りながら地面に這いつくばり、妹の首を丁寧に持ち上げる。
それを俺は無表情で見ている。
「どうすれば妾を許してくれますか?」
「妹、妹を……生き返らせろ」
無理難題だ。そんなのできっこない。
空想の絵空事だ。そんなの誰にでもできない。
パウアウフは妹の切り離された胴体へふらふら行く。
首の断面、胴体の断面。その上下をくっつかせる。
もちろん、ペチャ、グチャという生々しい音しか生まれない。
だが、ちょうど上下の境目。そこへパウアウフは歯をたてた。
ズプリ、ズプリと徐々に半々の首に食い込む。
首から血が垂れてくる。首と体の血色が生前を帯びてくる。
ピクリと脈打つ。血管という管のなにもかも、しなるように脈打つ。
そうして、ドクンという音。一際大きな命の脈動が耳に届いた。
聞き間違いを疑った。妹の心臓の音が聞こえた気がした。
パウアウフが歯を抜く。血がなめかましく妹に落ちる。
それが理由だというように。死んだはずの妹は瞼を開いた。
幽鬼のように揺らめきながら体を起こし、虚ろな目が暗く瞳を灯す。
そして、俺を見つけると。獲物を見る目で俺を襲いかかり──
「にぃに!」
そうになったと思ったら、抱きしめられた。何故か腕力がとてつもなく強くなっている。
「にぃに!にぃに!」
……妹の幼き頃を思い出す。昔はこんな風にくっつかれていたっけ。
俺はおそらく生き返ったであろう妹を撫でつつ、パウアウフに懐疑の目を向けた。
「どうやって妹を……」
知っている、わかっている。でも口にするのをはばかった。
妹が今、どんな状態であるか。
「妾の従僕として蘇りさせました、それだけです。お気に召しませんでしたか?」
従僕。つまり、吸血鬼の仲間に妹はなったということか。
「これで主人は妾を許してくれますよね?」
不安気に視線を寄越し、許しを乞うてきた。
それに何も言えなかった。
「なんだよ……それ」
確かに妹は生き返った。超常現象だ。有り得ないことだ。
だが、それを意図も容易く行えた。認識と現実を諦めよう。
パウアウフは間違いなくゲームの世界からこの世界に降り立った。
「にぃに、こわい顔してるの。なぐさめる」
妹は幼子に戻ったように舌っ足らずで俺を案じる。
これも生き返った代償なのだろうか。さきほどから妹のお兄ちゃん愛が止まらない。
俺はこれからどうすれば……
と。
2階の自室の窓側、道路が見える窓側。そこに爆音と共に大きな風穴が空いた。
「……こちらレレルヤ。隊長へ報告」
できた風穴に1人の女が立っていた。緑の髪が夜闇に靡き、顎を上げて俺たちを見下す。
女の耳にはスマホがあてられており、誰かと通話しているようだ。
「討伐対象と
やる気のない声がやけに通った。
「──唯唯諾諾、ただちに」
緊張感のない返事が部屋に通る。
「災難即滅を」
突如、雷にでも打たれたかのように女の声にやる気がはしった。
スマホを持っていた手には既にごつい両刃斧を持っている。どういう状況なんだ、一体。
「心頭滅却。勇気凛々。……一致団結ッ!」
何やら小学生が掲げそうなスローガンを言って、斧を構えて俺たちへ飛んできた。
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