第29話
懺悔の苦悩 一
翌日、私は仕事帰りにカノンの部屋に寄った。
彼女はキッチンに立って簡単な料理を作っていた。
「ごめん、夕食時だったんだな」
「いいのよ、あなたも食べて帰れば良いわ。簡単なものしか作らないから物足りないかもしれないけど」
カノンはコンビーフとジャガイモを炒めたものとミートソースのスパゲティ、そしてトマトとレタスと細かくちぎった食パンの上に温泉卵を乗せたシーザーサラダを作っていた。
「このお鍋や食器はウイークリーマンションの備え付けのものなのよ。あまり種類もないし、近くにスーパーもない場所だから凝ったものは作れないの」
ガラステーブルに料理を並べながら彼女は説明した。
「それじゃ俺のゲストハウスと同じだな。鍋とか調理器具や食器なんかはすべて支給なんだけど、そんなに種類がたくさんあるわけじゃない。でもこの料理すごく美味しいよ。ワインにピッタリだな」
料理は本当に美味しかった。
料理が出来て素晴らしい美貌を持つ彼女を、夫はなぜか大切にしなかった。
生まれたばかりの赤ん坊が亡くなってしまったことが大きなショックだったとしても、彼女に対して性的暴力を繰り返したことが本当だとしたら、いったいどんな奴なのか私は早く会ってみたかった。
仕事のない日は家に閉じこもり、カノンを二階から降りて来させず、まるで家畜のような生活を強いてきたという。
おそらく自分勝手で傲慢な人物なのだろう。
彼女を自分の性癖の道具のように扱ってきたことが事実だとすれば、たとえ夫婦間のプライベートなことだとしても許しがたい行為だ。
事実、彼女は夫のもとを逃げてきたのだから。
私はワインを飲みながら様々考えていると無性に腹立たしくなってきた。
「ご主人とは外で会うより家を訪ねたほうがいいかな?」
「どうだろう・・・家だと遠慮なしにあなたに暴言を吐いたり暴力を振るうかもしれないわ。だから、ホテルの喫茶コーナーとか周りにある程度人がいたほうがいいかも知れない」
「そうだな、東京タワーのてっぺんででも会うか」
「何言ってるのよ。でも、くれぐれも気をつけてね。無茶なことをする人じゃないんだけど、あの人、赤ちゃんが亡くなってから人が変わってしまったのよ。昔は無口で優しい人だったのだけど」
私はゆっくりとワインを飲みながら考えた。
私はこれまでも何度か他人が抱えている問題に首を突っ込み、その解決方法や作戦を考える機会があった。
街金時代はサラ金などに多額の借金を抱えた何人かの債務整理に奔走したこともあるし、交通事故の示談に取り入ったこともある。
極めつけは三年前の今頃、私は律子の兄の件で上場企業を相手に示談金を奪い取ってやろうと立ち回っていたのだ。
お節介な性格は生まれつきである。
「カノン、俺と君が公園で最初に会ってどれくらい経つのかな?」
「まだ一ヶ月半ほどじゃない?不思議ね」
「本当に不思議だな。もうずいぶん前から君を知っているような気がするよ。知り合ってからが濃厚すぎる」
「そうね」
私はワインを飲み続けた。その酔いが次第に気持ちを大きくさせた。
今ここから彼女の夫に電話をかけてもかまわないと思った。
「本当にいいんだね」
「何が?」
「離婚届にサインしてもらって、完全に別れることがだよ。ダンナに未練はないだろうな。十年近くも夫婦だったんだろ?」
「馬鹿なこと言わないで。私、何もかも置いて彼から逃げてここにたどり着いたのよ。未練なんてあると思っているの?キチンと別れたいの」
カノンは言葉の途中から少し興奮した顔で言った。
「今ここから電話してもかまわないんだが、どうかな?」
「えっ、今?」
「嫌かな?」
「いいけど・・・」
「物事は早いほうがいいからな」
「そうね」
カノンは不安そうな表情で呟くように言った。
私はバッグから携帯電話を取り出した。
「まず自宅にかけるよ」
「うん」
私は井上氏の自宅の電話番号をゆっくりと入力して発信ボタンをプッシュした。
カノンは緊張した面持ちで私の手元を見ていた。
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