第27話



    たった一日だけの大阪



 大阪へのわずか一日の帰省だった。


 帰省なんていう言葉は全く当てはまらない、街角を掠めて歩いただけの大阪だった。


 大阪へ向かう新幹線の中で、詩織の表情は終始不安そうだった。


 心配しなくても大丈夫だと私が言っても落ち着かない様子で、ずっと窓の外の景色を眺めてボンヤリとしていた。


 新大阪駅まで迎えに来てくれた岡本氏と駅ビルの喫茶店に入り、詩織と顔合わせを行った。 


 彼に相談を持ち込むのは債務に追われるくたびれた中年以上の男女や、何かから逃げ続けている、人生の歪んだ年輪を抱えた人間が多いのだが、若くて一見知的な詩織を見た岡本氏は、意外な相談者に驚きを隠さなかった。


「こんな綺麗なお嬢さんにどういうご事情がおありなんですかな?」


「岡本さん、いろいろと相談に乗ってやってください。私は二時間ほど私用がありますから、彼女を住民登録していただくアパートに案内して、そのあと必要な手続きをしていただけますか」


「心配おまへんでお嬢さん、ワシに任せておくんなはれ。キチンと住民登録して公的書類が発行できるようにしてあげますさかいにな。

 いろいろと嫌なこともあったやろうけど、登録したアパートに変な奴が来よったら、ワシが蹴散らしてやりまっさかいにな。安心しなはれ」


 詩織は最初、見るからにヤクザ丸出しの岡本氏の怖そうな風貌に瞳をクルクル回して驚いていたが、彼の気さくな口調や冗談などにホッとした様子だった。


「よろしくお願いします」


 詩織は右手で片方のメガネの縁を持ちながら軽く頭を下げた。


「任しときなはれ。もう安心でっせ、何の心配もおまへん」


 岡本氏は表情を崩し、目尻を下げながら言った。


 喫茶店を出て詩織は岡本氏の車に乗り込み、三時間後に再び新大阪駅で会う約束を交わし、私はそこで一旦別れた。


 住民登録をするアパートに彼が詩織を連れて行っている間に私は律子と連絡を取り、新阪急ホテルの喫茶室で会った。


 律子に「一回休み」を告げてから五ヶ月近くが経っていた。


 彼女はほんの少し痩せたように見受けられたが元気そうだった。


 私は彼女の姿を見ると自分の居るべき場所に戻って来たような気持ちになった。

 律子も駆け寄って来て私の手を取り、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「だからね、律ちゃん、本当に偶然だったんだけど、俺が今いるゲストハウスにはそんな女性ばかりが住んでいるんだよ。みんな夫や家族からの暴力が原因で、ある意味こころの病気なんだ」


「私だって浩一にどこかに行かれてしまったら病気になるよ。毎日、我慢しているんだからね。浩一はちっとも分かっていない」


 私が今住んでいる環境を簡単に説明したところ、律子は目を丸くして驚き、「信じられない」と何度も言った。


 無理もないことだ。


 ひとつの屋根の下に女性四人と中年男ひとりが暮らしているなんて、誰が聞いたっておかしいに決まっている。


「律ちゃんの気持ちは痛いくらい理解しているよ、俺の我侭を許してくれたことにも感謝している。ようやく俺も元妻の自殺のショックから落ち着いたんだ。

 本当に悪かったと思っている。だからね、もう少し待っていて欲しい。暑い夏が終わって秋風が吹き始めるころには絶対に帰ってくる。そして次の仕事の準備をするから」


 律子はしばらく私の顔をじっと見たあと、「分かった」と呟くように言った。


 私と律子はそれから兎我野町のホテルに入った。

 そのホテルは半年ほど前まで街金業を営んでいた事務所のすぐ近くだった。


 私は懐かしさと同時に、様々経緯があったとしても廃業してしまったことに、こころの奥がせり上がって来るような切なさに襲われた。


「懐かしいね、この辺り」


「うん」


「浩一は事務所を閉めたこと、後悔していないの?」


「全然」


「本当?」


「本当に決まってるよ。いつまでも金貸しなんてやってちゃいけないんだ。金貸しは七代祟るって言うだろ」


 こんな私が十年余りも街金業を営んでいたことが不思議だった。

 自分には合っていない仕事だったと今でも思っている。

 祟りに襲われる前にやめようとずっと思っていたのだ。


 この年の一月に廃業したことには何の後悔もなかった。

 だが、街金時代の懐かしい場所に足を踏み入れると、何とも言えない切ない気持ちに包まれた。


「浩一、前も言ったよ。金貸しが七代祟るんじゃなくて、それは坊主を騙せば七代祟るって言うんだって」


 律子は呆れた顔で言った。


 彼女の言うことは誤りだと思ったが、私は異論しなかった。


 限られた短い時間、私と律子は久しぶりに身体を重ね、愛し合った。

 東京のカノンとのセックスとは種類が大きく異なるものだった。

 私は律子のすべてを愛していることを確かめることができた。


 律子と別れて新大阪駅に戻った。


 しばらくして岡本氏と詩織が現れた。詩織は大阪に着いた三時間前とはずいぶん違って、穏やかな表情に変わっていた。


「小野さん、現場を案内してからすべて書類をいただきましたで。数日中に区役所へ提出して住民登録の手続きをしておきます。

 一週間以内には区役所から完了の郵便が届きますよってに、それから委任状を持って国民年金と保険の手続きをしますわ。そやから東京の方へ転送するのは二週間か三週間くらいあとになりますな」


 岡本氏は満足そうな顔で説明した。


 食事でもどうかという岡本氏の誘いを丁寧に辞退して、私は詩織と帰りの新幹線に乗り込んだ。


 時刻は午後四時半を過ぎていた。


 詩織は元気そうだったが私は少々疲れていて、新横浜駅までの車中はほとんど寝てしまった。


「小野さん、新横浜だよ」と詩織に肩を軽く叩かれて目が覚めた。

 私たちは駅ビルのレストランフロアで食事をした。


「小野さん、いろいろとありがとう。何かお礼をしないといけないのですけど、何がいいか思いつかなくて・・・」


 詩織は食事中もメガネの縁を持ちながら言った。


「そんなことは気にしなくていいんだよ。それより岡本さんに毎月いくら手数料を支払うことになったのかな?」


「毎月の基本料金は一万五千円です。それに郵便物を転送してもらう送料の実費が加算されます。

 一万五千円は少しきついですけど、その分頑張って働きます。本当ならもう少し費用がかかるようですけど、ちょっとだけ安くしてくれたみたいです」


 詩織は微笑みながら満足そうに言った。


 私にはその費用が高いのか安いのかは分からなかったが、保険や年金の手続きが出来て詩織が安心できたのならそれでいいと思った。


 でも私は疲労感がいつまでも残っていて、ゲストハウスに戻るとすぐにベッドに突っ伏すように寝てしまった。

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