第9話


  再びポケット瓶の女 一


 七月に月が替わった。そして最初の金曜日がやってきた。



 私はこの日もいつもの店に立ち寄り、決めている量の酒を飲んだあと店を出た。


 ホットピンクのポロシャツを着て、粗末な公園でポケット瓶をあおっていた女は現実に存在しているのだろうか。


 二度とも女が公園を出て数秒後にあとを追ってみると、一瞬で姿は消えていた。


 二合や三合の酒で酔うはずはなく幻覚とは思えなかったが、まるで狐につままれたようだった。


 それほどあのホットピンクの女の印象は強烈だった。


 公園が見えてきた。


 あの素晴らしいポケット瓶の飲み方をする女が今夜も公園にいるのか、公園が近づくにつれてこころがときめいた。


 私は今夜も絶対に彼女がいるに違いないと根拠のない確信を持っていた。

 そして女はいた。


 今夜もこれまでと同様に、ホットピンクのポロシャツとジーンズ姿で、片手にウイスキーのポケット瓶を持って星空を仰いでいた。


 まるでこの公園が異空間で、時空のバリアを潜って瞬間移動した感覚だった。

 私は震えるほどこころが昂ぶった。


「今夜もいたんだね」


「あなたも来たのね」


「職場から駅への通り道だからな」


「でも他の日はこの公園を通らないんじゃないの?」


「なぜ?」


「毎日のようにこの時間はここに来ていたのよ」


「本当かな?」


「なぜそう言うの?」


「お稲荷さんかなって思ったよ」


「はあ?」


「いや、何でもないんだ」


「いつも変なことを言う人ね」


 そう言って女は「フフッ」と笑った。


「いつも投げやりな感じだな」


「どういうこと?」


「いや、あんたの口調や雰囲気がね」


「あなた、私の気持ちが分かるの?」


「フッ」とため息をついて女が私のほうを向いた。


 確かに目は潤んでいた。


 その目と濡れた唇とに私は吸い込まれそうになった。そして吸い込まれた。


 私は無意識だった。本当に吸い込まれるようだったのだ。


 気がつけば私と女は唇を重ねていた。


 お互いが半開きの唇を重ねてゆっくりと吸い合った。


 突発の行為にいたった理由は説明のしようがない。

 私は女に吸い寄せられるように唇を近づけ、女は何のためらいもなくそれを受け入れたのだ。


 女の口からウイスキーの香りが吐息とともに私の口の中に流れてきた。


 でもそれは嫌な匂いではなく、とても官能的な香りだった。


「いったいどうしたんです?」


 唇を離して私は訊いた。


「変な女だって思うでしょ」


 女は私の肩に顔を乗せて言った。


 女の身体が微かに震えているのが首筋から伝わってきた。


「世の中は変な奴ばかりだろ。いきなり知らない女性にキスをする俺は間違いなくクレイジーだが、それを拒まないあんたもおかしい。普通なら顔を思いっきり張り倒されて、大騒ぎになっているところだろ」


「フフフッ、確かにそうね」


 女が笑った。私と女はもう一度唇を重ねた。


「私の部屋はそこなの。よければコーヒーでも飲んで帰らない?誰もいないから」


 女は公園の西側に建つ細長いマンションを指差して言った。

 公園のすぐ傍のマンションだったのだ。


「怖いお兄さんが待っているんじゃないだろうな」


「でもコーヒーだけで何万円も取らないから安心して。それにあなた、とてもキスが上手だったから安くしておくわ」


「頼むよ」


 私と女は公園を出た。


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