第75話 俺の知らんところでまた何か始まってる?

 鮫山先生と話した後の放課後。

 誰もいない空き教室で俺はふわっとした柔らかい感触に包まれていた。


 甘い香りと非常に近い距離感で、俺の心臓はバグりそうなほどドキドキしている。

 同時に、あまりに唐突な展開で理解も追いついていなかった。


 何がどうなってる? 俺はどうしてこんな状況になってる?

 どういうことになったら――俺は玲子さんに抱きしめられてるんだ!?


 遡ること数分前――というこの結果に至る過去回想もない。

 何もない。本当にこれっぽっちもこうなるような前振りがない。


 ただ唐突に、教室に戻ってきた玲子さんに声をかけた後、なぜかこうなっていた。


 なぜ抱きしめられてるのか俺が聞きたいぐらいだ。

 それはそれとして、力強く抱きしめられている感覚には酷く安心感を覚える。

 小さくなった冷たい心が優しく温められているみたいで。


「れ、玲子さん、何を!?」


 一分ぐらいした後、俺の思考が「やっほー、お待たせー!」と戻ってきた。

 そのおかげで口が動かせた。


 遅せぇよ、バカ野郎!

 俺がこれまでの間どれだけ心臓バクバクさせてたと思ってんだ!


 俺は玲子さんの両肩を掴み、そっと離そうとする。

 瞬間、ギュッとさらに抱きしめられた。

 む、胸が......やわっこい!?


「もう少し......だけだから.......」


 それから追加で一分ほど経った後、玲子さんの方から離してくれた。

 一方、俺は全身から力が抜けたようになり、その場に崩れ落ちていく。


 は、ははっ、なんてこった足に力が入らねぇし、息子もやべぇことになってる。

 いや、さすがにあんなのに反応しないのはねぇって! 男として!


 俺は出来る限り自然な状態で前傾姿勢になりながら立ち上がり、近くの椅子に座った。

 自分の本能は机との間に隠した。


「そ、それでどうしたの? 急に?」


 一つ深呼吸して玲子さんに聞いてみる。

 すると、彼女は近くの机から椅子を引っ張り、俺の前で座った。


「そうね、一つは拓海君に私という存在をより強く印象付けるため」


 薄紅色にした頬を隠しもせず、どこか熱ぼったく感じる目で言ってくる玲子さん。

 印象付けるって......俺からすればもう玲子さんは忘れるのも難しいほどの存在だよ?


「なんたってそんなことを......?」


「それは.......まだ言えないわ」


「言えないって......あんなことされてお預けですか!?」


「お預け......考えたことなかった概念だけど、ふふっ、意外と悪くないわね」


 玲子さんが今までに見たことないほど口をニヤッとさせて呟いた。

 その表情に俺は妙にゾクッとした。

 やっべ、なんか取り返しのつかないことしたかも。


 俺は気を取り直して再度聞いた。


「それでどうして言えないの?」


「仮にここで言ったところで、どうせの今の拓海君の心境なら拒絶することが見えてるからよ。

 私はもっと先が見えてるから......今ここで余計なことをして私の人生設計に不確定要素を増やしたくないの」


 俺が玲子さんの言ったことに拒絶する? そんなことあるのか? と思うが。

 でも、今の玲子さんの真剣な目は、まるでそうなることが確信しているみたいだ。

 

「そんな理由も言えないはずなのに、俺に対して自分の印象を強めておきたかったと?」


 もはや自分でも言ってる内容よくわかってねぇや。

 玲子さんは終始姿勢をキチッとしながら言ってくる。


「あなたが金城君に余計な入れ知恵がないことを確かめる意味合いもあったわ」


「隼人に?」


 そういや、「一つは」とか言ってたな。これが理由の二つ目か。

 とはいえ、どうしてこの話題に急に隼人が出てくるのか。


 アイツ、裏で俺に内緒で動いてるのか?

 いや別に、一人で行動することぐらいはいいんだけどさ。


「隼人が何かしてるからそれを止めるために? って、この言葉もおかしいな」


「半分正解で半分不正解よ」


 半分合ってるんだ。


「彼のやろうとしている目的もある意味では正しいからね。

 でも、それに使う手段が間違ってるだけ。

 それだけは私としても防がなければいけない」


 なんだろう、この無性に心理戦バトルやってるみたいな感じ。

 すっごく混ぜて欲しいけど、俺がキーマンになってるっぽいしな~。

 つーか、君達は俺の知らない所で一体何をしとるん?


「そして、三つ目は――」


「三つ目まであるんだ」


「そろそろ私に禁断症状が出始めたから」


 ん?


「これは完全に......私情なんだけれどね......メールだけの会話だけじゃ......その、ね?」


 玲子さんが両腕を抱きしめながら、恥ずかしそうに目を逸らす。

 視線は下方向に泳ぐが、時折こっちの様子を伺うようにチラッと見て来る。

 彼女の耳まで赤くなった顔が、俺のすぐ近くにある。


 クールな玲子さんの赤面した一面を垣間見た。

 これでドキドキしない男は男じゃない! と宣言したくなるほどにはインパクトがやべぇ。


 まるで無理やり心臓を握られて、血液が押し出されている。

 全身に熱を帯びる速度が尋常じゃねぇって!

 さっきやっと火照った熱が冷めたばっかでしょうに!


 ね? と言われても、俺に女性経験があるわけじゃないからわかりませんて!

 というか、その前の「禁断症状」も随分なパワーワードだった気がするけど!?


 玲子さんは机に手を置けば、そのまま立ち上がる。


「これで一先ずは大丈夫そうね」


「一先ずって......まるでこの先も度々あるみたいな言い方」


「それは拓海君が例の先輩と付き合ってる限り続くと思ってくれていいわ。

 それでもし罪悪感を感じるようなら、早めに解決してくれることを望むわ」


 玲子さんはサッとスクールバッグを肩にかけ、足早に教室を出ていく。

 その時の足取りは妙に軽いように感じた。


 玲子さんの姿が見えなくなり、俺は一つ息を吐きながら立ち上がる。

 全く、最近色々と周りがおかしい気がする。

 これは俺がおかしいことをしてるからなのか?


 それに「罪悪感を感じるようなら」って、俺が仮にも永久先輩と付き合ってることに対して、俺が不義理を感じてるようならって意味だよな?

 なんだか玲子さんの悪女ムーブ? が凄い気がする。


 最近、そんな内容の漫画をスマホで試し読みしたな。

 まぁ、漫画ならそのヒロインの考えてることがわかるものだが.......現実だとサッパシだな。


 というか、玲子さんが悪女と決まったわけでないのに、この考えをするのもどうかだよな?


 確かに、玲子さんは色々と不審な行動が多くて、改めて謎が多い人のように感じたけど、悪い人じゃないことは確かだからな。


 まぁ、その謎が謎過ぎてちょいちょい不気味に感じることが多いんだけどさ。


「俺もさっさと帰ろう」



―――土曜日


 その日は本来どこにも行く必要のない休日だった。

 そんな日は決まって家の手伝いをするという習慣があるのだが、当然ながらそんなことは出来ない。


 なぜなら、俺は今外にいるからだ。


 現在、俺は駅近くのシンボルである噴水の縁に座って待っている。

 というのも、昨日の夜どころか今日の朝に電話がかかってきたのだ。

 まさか俺も朝から電話かかって来るとは思わなかったよ。


 ぶっちゃけ断っても問題ないことだったが......その相手には怒らせてしまった罪悪感が未だにあったために断りづらかったのだ。


「お、お待たせ~」


 どこか上ずった声をしながら俺の前に立つ人物。

 まぁ、俺ももう一度ちゃんと話してみたいと思ってたし。


「待ってないよ。今来たところだから」


 そんな待ち合わせの定番セリフを言いながら、俺は立ち上がった。


「で、どこに行くんだ? ゲンキング」

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