第72話 すまんが耐性あるんで

 放課後の話の続き。

 俺は白樺先輩と一緒に下駄箱までやってきていた。

 靴に履き替え、軒下までやってくれば特に何も考えずにボーっと降る雨を眺めていた。


「梅雨ですね......」


「そうね。梅雨は湿気が多くて本に影響を与えるからあんまり好きじゃないわ」


「急なアンチ梅雨じゃないですか」


 俺は持ってきていた傘を広げる。

 良かった~、母さんに持っていくよう促されたのを信じて。

 母さん様様だよ。


 傘をバッと広げれば、それを横目で見ていた先輩はまじまじと傘を見つめた。


「随分大きいわね。パッと見70センチぐらいのかしら? 小柄な私達なら十分すぎる大きさね」


「言われてみれば確かに......あんまり気にしてなかったから気づかなかったです」


「ダメよ? 少し位気にしなくては。

 例えば、今回のような相合傘イベントは傘が小さいほど高確率で肩をぶつけ合うものよ?

 ほら、肩が濡れてしまってるのに気づいて濡れないように二人で身を寄せ合う感じで」


「ラブコメ小説の読み過ぎです」


 実際にそういうことが起きてる人って世の中に存在するのだろうか?

 あれは思春期男女のドキドキをより身近に伝えやすくするものだと思ってるけど。


 だったら、自分の傘を女子に渡して、本当は持ってないけど「折り畳みあるから」みたいなこと言ってる人の方がまだいると思う。

 極低確率だろうけど。


 先輩にそうツッコんだら「夢が無いわね」と諫められてしまった。

 はいはい、どうせ俺の精神はとっくに魔法使いで枯れてますよ~。


「行きましょ」


 俺が先輩に声をかけた。

 すると、先輩は「そうね」と近づき、自然に左腕に右腕を絡めてくる。

 ファ!?


「な、何やってんですか!? 先輩!?」


「単純な相合傘ではドキドキするような関係性ではないでしょう? ワタシ達は。

 だから、どうせ恋人関係なんだしそれっぽい行動をしたのだけど......嫌だったかしら?」


 先輩が下から覗き込むように見て来る。

 幼さが残る顔での八の字眉はズルい!

 これで顔が頬が赤かったらちょっと危うかったかも。


 俺が嫌悪するキモおじの気持ちを理解してしまうところだった。

 とはいえ、それはそれとして大変ありがたいです!


 普段あまり主張が見えないくせに、左腕から確かに感じる女の子の柔らかみというものに意識が引っ張られそうになるのをなんとか耐えながら、俺は気を紛らわすように話しかけた。


「にしても、俺が持ってなかったらどうするつもりだったんですか?」


「だったら、ワタシの折り畳み傘で逆の立場にするだけだったわ」


「折り畳みあるんかい」


「ないとは言ってないもの」


 なるほど、どっちにしろ先輩の狙いは成功していたわけか。

 にしても、折り畳みじゃなくて心底良かったと思ってる。

 どうあがいたって折り畳みに二人入るスペースはない!


「ねぇ、早川君」


 にしても、俺がこれまでこうも女子と密着する機会が訪れるとは。

 人生どう転んだらこんな未来に辿り着くのか。

 本当にあの時、俺がイジメに必死に耐え抜いてたのがバカみたいじゃないか。

 まさかイジメに勇気を持って立ち向かうルートがこうなるとは思わんだろ。


「聞こえてる早川君?」


 今や女子でも玲子さんやゲンキングという美少女と仲良くなれてる事実。

 そんでもって、現在進行形で行われてる疑似恋人関係。

 一度目の人生の俺に言ってやりたいね、「少年よ、勇気を持て」と。


「聞きなさい早川君!」


「ちょ、お腹摘ままないで! 痛......くないのが辛い......」


「摘まんで痛がりたかったの? あなたってマゾ?」


「そういう意味じゃありません」


 皮下脂肪がまだあるって言いたいんです。

 これが皮だったら摘まんだら痛く感じるはずでしょ?

 未だに俺の腹は余分な蓄えがたくさんあるということです!


 俺は悲しさを堪えながら、先輩に耳を傾けた。


「それでどうしたんですか?」


「あなたがなんだか物思いにふけってる顔をしていたから。

 もし他の女の人のことを考えていたとしたら感心しないわね。

 この時間は私だけに集中しなさい!」


 そう言う割にはあまり目に真剣さが感じられない。


「......先輩は独占欲強めのキャラ立ちしてないのでそういうセリフは似合わないですよ」


「あら、そうなの? 男女関係ともなれば、少なからず子供のような特別なものの独り占めに固執すると思ってたけれど」


 まぁ、無いと思うけど、あくまでこれは疑似関係だしな~。


「ワタシ、そんなに似合ってない?」


「似合ってないというか、さっき言ったようにイメージに合わないんですよね。先輩って執着とか薄そうですし」


「あら、そんなことないわよ? 気に入ったものなら例え地の底にあろうとも探しに行くわ。

 そうね、それが好きな相手だった場合、地獄の底に通ずる穴があったのなら躊躇なく飛び込むかしら」


「それは怖いんで本当にやめた方が良いですね。相手が可哀そうです」


 若干、そのような気配が浮かぶ人物がいるようないないような。

 つーか、地獄に落ちるような人物をそこまでして追いかける必要ないのでは?


 にしても、先輩は「違う」と否定するけど、どうにもこうにもそうは感じないんだよな。

 案外自分で自覚してるやつって傍から見ればそうでもないこと多いし。


 そう考えれば、きっと先輩は自分がそう見えてるだけなんだろうな。

 まぁ、自分で執着心が強いって明言する人は初めて見たけど。


「で先輩、さっきから我慢してましたけど、人のお腹をプニプニするのやめてもらえます?」


 この人、さっき俺の腹を摘まんで以降ずっと一定間隔で揉んでくるんだけど。

 いずれ飽きるだろうと思って我慢してたけど、全然そんな気配感じないし。


 俺が指摘すれば、先輩はハッとした顔をする。


「あら、ごめんなさい。感触が思ったより良くてついね。

 それにしても、なんでこうも揉み続けたくなるお腹なのかしら?」


「いくら揉もうと俺の肉はこれ以上柔らかくなりませんよ。つーか、放してください」


「そう、仕方ないわね」


 なんで本気でシュンとした顔してんだこの人?

 どんだけ俺の腹の揉み心地良かったんだよ。

 なんか嬉しいような嬉しくないような絶妙な気分だよ。


 先輩は一つ息を吐けば、スッと態度を戻して口を開いた。


「そういえば、梅雨の言葉の由来を知ってるかしら?」


「また唐突な話題転換ですね」


「その言葉の由来は諸説あるのだけど、その一つで植物の芽が出ることを古語で“つはる”と言うの。

 この言葉の表現が“つはる”から“つふ”に変わり、さらに“つゆ”となったとされ、梅雨という漢字が当てはめられた」


 へぇ~、梅雨って言葉にそんな意味が。

 確かに、考えてみればあの感じで“つゆ”って読むのもおかしな話だよな。

 当て字と言われたならなんとなく納得できる気がする。


「それで、本題は何ですか?」


「鋭いわね、早川君。そう、この話はただの本題への前置き......プロローグでしかないわ。

 それで、本題というのはワタシ達の関係性にもそろそろ芽を出すべきだと思うのよ?」


「......?」


「ピンと来て無いようね。もっと簡単に言いましょう。

 そろそろワタシ達は互いのことを名前で呼んでもいいと思うのよ。

 より恋人らしさを演出するためにもね」


 な、名前ですと!? でもまぁ、名前ぐらいなら玲子さんも名前呼びだしな。


「良いですよ。俺は問題ないですね」


「それじゃあ......ごほん――拓海君」


「はい」


 俺が返事をすれば、なぜか先輩がじーっと見て来る。

 何か反応間違ったか? いや、これに間違うも何もないよな。


「なんでそんな反応が淡白なの。

 そこはもっと顔を赤らめて目線を外すぐらいしてもいいでしょ」


 そういうことか。


「それに関しては俺は玲子さんやゲンキングに呼ばれ慣れてますからね」


「そう、それなら仕方ないわね。ほら次、拓海君の番」


 なんで若干不貞腐れてんだこの人。

 たぶん先輩的には俺が慌てる姿が見たかったんだろうな~、ドンマイ。


「俺ですね......んん、永久先輩」


「っ!」


 そう呼び声をかけた瞬間、先輩の目が大きく開いた。

 そして、すぐさまプイっと顔を逸らしていく。

 どうしたんだ急に......っと耳が赤い。

 おや~、おやおや~、これは普段のおかえしが出来るのでは~?


「あれれ~、先輩~? 耳が赤いですけど、もしや照れて――ぐはっ!」


 エルボーが俺の腹に! クソ、この脂肪全然防御力ない!


「うっさいわね! この駄肉! あなた如きに照れるはずないわよ!」


 そして、なぜかもう一発俺の腹にエルボーを加えられた。

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