恋を招く石 5
次の日の朝。
雪英(シュウイン)は食堂で朝飯を食べながら、噂話好きの友人・依玲(イーリン)と話していた。
「そういえば、依玲は『蝶の石』あんま興味なさそうだね」
「そうだねー。熱心に探してる子よりは」
「恋を招く『蝶の石』なんて、依玲好きそうじゃん」
「いやー…紅梅宮の噂に比べたら、全然」
半月以上経った今でも紅梅宮の赤子の噂はまだ現役で、李妃とその子を守っている。どうやら筆頭侍女の子も元気に生きているようだ。
「それに、『恋を招く』って言われてもね。私は後宮で恋しなくて良いし」
「まあ、そうだよね…」
後宮は、皇帝のためだけに設けられた恋愛の場だ。
それ以外の恋愛は原則禁止。隠れて付き合っている者や密かに片想いする者などはいるが、どれも不毛なことに変わりはない。
女官と宦官、あるいは女官同士。
歪な番(つがい)は、外の世界へ出るまでの時間潰しでしかないのだ。
しかし、どんなに心を削ると分かっていても、恋愛に逃避することでしか心を守ることが出来ない者が大勢いる。
女たちを閉じ込め、徹底して男を排除した不自然さの弊害。
後宮とはそういう場なのだ。
「でも、結局外歩いてる時は気にしちゃうね」
依玲が可笑しそうに言う。
「はは、みんな下見て歩いてるから?」
「そう!面白いぐらいみんな探してるから」
「そんなに恋が招かれてほしいのかな…?」
「うーん…、雪英は意外と奥手なところがあるからなー」
「奥手って…」
「もし私が誰か…その辺の宦官でいいや、その宦官と付き合い始めたらどうする?」
「…え、あり得な」
「『もし』の話!」
「だったら、止める」
「ははは!そう言うと思った」
依玲は笑いだす。
「…え?」
「みんな、やめといた方が良いなんてことは分かってるんだよ」
「じゃあ、依玲はどうするの?」
「相手が良い人であるように、ひたすら願う」
「止めた方が良くても?」
「そう」
依玲は雪英の三つ歳上である。
そのことを今、雪英は初めて実感していた。
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雪英は昼食を簡単に済ませ、着替えて東門の畑に向かった。
髪は出来るだけまとめ、弟のお下がりの服を着た。畑に向かう道中、周りの視線が気になったが、依玲の言う通り、皆面白いほど下を向いて歩いていた。
紅梅宮の横を通ると甘い香りが鼻を掠める。周りを見渡すと、一本の桃の木があった。
(ああ、この木……)
去年、後宮から来たばかりの雪英が先輩に教えてもらった木である。遅い時期に実をつけるらしく、雪英も桃の実をとったことがある。
木を見上げると、実はほとんどついて無かったが、良さそうな桃の実が一つだけあった。
(………まさか)
雲花へのお土産に良さそうだと思ったが、そこで李妃の顔が頭をよぎった雪英は、いそいそと紅梅宮から離れたのだった。
目的の畑に着くと、二人の人間が立っていた。
「こっちでーーす!!」
雪英に気づいた雲花(ワンファ)が大声で呼ぶ。畑に入る人間は限られているため、すぐに分かったのだろう。呼ばれた雪英は二人の元へと駆けて行った。
「こんにちは」
「こんにちは、貴方が雲花さんのお友達?」
雲花と宦官が次々に挨拶する。
「はい。初めまして、雨辰(ユーシン)と申します」
雪英は、生意気な弟の名前を使うことにした。宦官のあと、雲花にも軽く会釈をする。
「雨辰君ね」
「はい。今日は無理を言ってすみませんでした」
「いやいや、ウチは人手が足りないから助かるよ。今日は二人に任せても良いかな?」
「はい!」
雲花と雨辰に種のまき方を簡単に説明したあと、宦官は畑近くの医務局へと帰ってしまった。
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雲花が丁寧に掘り返した畑はふかふかで、触り心地が良かった。今は念のために再度土を耕しながら、雲花が『蝶の石』を探しているところである。
「土、やわらかいですね」
「はい!探す前はもっと固かったんですよ。掘り返している最中は、食堂の畑が輝いて見えました」
「ふふふ」
「でも、結果的には医務局の方のお手伝いになりましたし、頑張って探して良かったと思ってます!」
「良く頑張りましたね」
「…ふふ」
「どうしました?」
「雨辰さん、先生と同じこと言うから、本当にお弟子さんなんだなって」
「あ、」
「そうですね」
「ふふふ」
「あの、今回師匠の手伝いをするにあたって、雲花さんの相談内容を少し聞いてしまったのですが…」
「別に、気にしませんよ?」
「……どうして雲花さんは『蝶の石』を探しているんですか?」
昼間のぬるい風が二人の間を通り抜ける。
「もう一度会って感謝を言いたい方が居るんです」
「感謝?」
「はい、以前……詳しくは言えないのですが、仕事上のトラブルに巻き込まれてしまったことがあって」
(やっぱり、危なっかしい…)
「その時に、こっそり助けて頂きました」
「そうでしたか」
「はい、その方のおかげで私も不問になって、今は別の場所で働くことが出来ています」
恐らく仕事上のトラブル。言い方から察するに「上から押し付けられた仕事を悪事と分からないまま行っていた」とか、そのようなことだろう。
「その宦官の方にお礼が言いたいのですが、名前も所属先も分からないので……」
「それで、恋を招く『蝶の石』ですか」
「はい」
「……その、分不相応なのは分かっていますが、その方のことが気になってしまって」
雲花が、風で乱れた髪を耳にかける。
——「相手が良い人であるように、ひたすら願う」
——「止めた方が良くても?」
——「そう」
「…会えると良いですね」
「はい!」
「では、私は私が出来る方法で貴方に幸運をもたらしましょう」
「え?」
「水を貰ってきます。日差しも強いので、少し休憩していてください」
雲花を木陰に置いて、雪英は医務局へと歩いていった。
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