呪いの幽霊 7



紅梅宮の一番奥の扉を開くと、贅沢そうな椅子に李妃が座っていた。

彼女の隣に置かれたゆりかごには、一人の赤子が眠っている。


(椅子以外は、売り込む余地があるな。…いや、椅子だって何個あっても良いだろう)

ぐるっと部屋を見回し、雪英(シュウイン)は商機を計算した。



「ごきげんよう」

「雪英と申します。この度は李妃様へのお目通りがかない、光栄にございます」

「掛けて、どうぞ」雪英は着席した。


「お元気そうで、安心いたしました」

「ふふ、そうね」


「貴方も勤務中でしょうから、手短に話しましょう」


雪英の想像通り、李妃は頭の切れる人物のようだ。話し方や振る舞い、容貌の隅々にそれが表れている。

(皇帝、良い趣味してるな…)




「貴方は、どこまで『占った』のかしら?」


「見えたのは、李妃様のお腹の中の御子まででしょうか」

椅子に座る李妃のお腹はふっくらとしていた。


「それは今、この部屋に入ってきた時に見えたのではなくて?」

「…それを言われたら弁明のしようがないのですが」


「では、どうして『見えた』のですか?」

「恥ずかしながら今朝、赤子についての噂が流布しているのを耳にしました」

「ああ、もう伝わっているのね」

「はい」

「それで?」


(どこから話すべきか…)



「後宮は『誰が産んだか』が大事ですよね」


後宮は、皇帝を癒す場では無い。争いの場だ。

後宮に出入りできる男は皇帝ただ一人、そして皇太子——次期皇帝の母の家は外戚として発言権を持つことが出来るため、後宮は子の母親が誰かという方が問題となる特異な環境である。


「そうね。私たちの胎(はら)は私たちの命以上に価値があるわね。良くも悪くも」

「……」



「後宮内に赤子が居るという噂が流れれば、当然その母親は誰だと勘繰られることになります。多くの人はそれが女官ではなく、李妃様だと考えるでしょう」


「その方が面白いから?」

「…ええ。その方が、恐ろしいので」他の勢力にとってはその方が脅威だ。

「ふふ。続けて」



「しかし、数ヶ月前にこちらにいらした李妃様たちは違うでしょう。外の世界では『誰が産んだか』ではなく『誰の子か』という方が大事です」


「そうね」

「これも、父親が外の人間ではなく皇帝だった時の方が恐ろしいので、そっちが噂として広まっていきます」


「他の男の子だったら、私と一緒に殺せば良いだけですものね」

「……」



「……李妃様、ちょくちょく私を怖がらせてませんか?」

「ふふふ、そんなつもりは無かったわ」

「まあ……。そういうことで、」



「今後後宮には『李妃様が産んだ皇帝の赤子』の噂が流れていくことでしょう」

「恐ろしいわね」

「ええ、今後はもちろん狙われていくでしょうね」



「李妃様ではなく、生まれた赤子の方が」


『皇帝の居ぬ間に悪事』だ。当然、後宮内の争いも皇帝が居ない間の方が起こりやすい。

皇帝が帰ってくることが分かった今は、事を起こすには最後のチャンスだ。

「そうなると、李妃様はしばらくは興味を持たれませんね。お腹の中の子も」

「そうね」


李妃はゆっくりと頷いた。

「もう結構です」



(………はあ)

雪英は心の中で溜息を吐いた。

(何だこの威圧感は…)

まだ后妃になって五ヶ月とは思えない風格が、李妃には漂っていた。




———————————————



「そちらの子は?」雪英はゆりかごを指して聞く。

「筆頭侍女の子です」


「ではお腹の子は?」

「皇帝の子です」


雪英は頭を抱える。

(……何やってんだ、皇帝様は)

(「待て」も出来ないのか……)

(犬でも出来るぞ)


「……それは、大変でございましたね」

「ええ、本当に」




つまりはこういう事だ。


今から五ヶ月前、李妃は後宮に入る。その時、李妃は懐妊したてであった。

南方遠征中に彼女を見初めた皇帝が、正式な手続きをすっとばして事に及んでしまったのだろう。万が一にでも後宮の外で皇帝の子が産まれると色々とまずい。

こうして、李妃の後宮入りが急遽決まることになった。


時を同じくしてちょうど安定期に入った侍女筆頭は、出産前後には暇を貰うつもりで李妃に同行した。こうして、二人の妊婦が後宮に入ることになった。

勿論、李妃については医師による身体検査が行われたが、その時点では月が浅く、まだ懐妊が分からなかった。女官は身体検査を受けずに後宮に入ることができる。



その後、穏やかに過ごしていた李妃たちであったが、二ヶ月ほど前から李妃が体調を崩すようになる。悪阻(つわり)である。

その頃には見た目にも李妃の妊娠が分かるようになっていた。


李妃は困惑した。皇帝が帰ってくれば自分のことを守ってくれるかもしれないが、今は不在なのだ。その時点では、皇帝がいつ帰ってくるかも分からない。

この姿と体調で行事に出れば、確実に誰かが妊娠に気付くだろう。そうなれば何が起こるか分からない。

しかし、体調不良が続くようでも逆に疑われる可能性がある。


そこでまず思いついたのが、『幽霊』の噂である。悪阻や行事の問題はこれでクリアできる。しかし、これでは李妃が悪目立ちするだけだ。

そして更にタイミングの悪いことに、後宮に皇帝帰還の伝令が届いた。帰還するまでの数ヶ月の間に赤子の存在など知られたら、間違いなく事態が激化するだろう。


何としても自分と腹の中の子を守らねばならない。

そんな時に目に入ったのは、臨月を間近に控えたもう一人の妊婦だった。


産んでしまえば、李妃たち母親は用済みになる。危険な視線は、全て赤子へと向く。


筆頭侍女は、自らの子を李妃に差し出した。

筆頭侍女の子は、李妃の、そして皇帝の子として「噂」になるように仕組まれた。


その後は雪英が一度「占った」とおりである。

『幽霊』の噂は「李妃たちの子」を隠すため、あるいは知らしめるために広められた。李妃ら紅梅宮の人間は噂というものを活用し、果ては怪しい占い師まで有効に活用して『幽霊』の噂を広め、「李妃たちの子」への布石を打つことに成功した。


そこで、今度は赤子の噂を広める。幸運なことに、多少頭の回るインチキ占い師が「李妃たちの子」を見事言い当ててくれたので、それを餌にした。この噂は、今日中には後宮内に広まるだろう。


(よくもまあ、考えついたものだ)


昨晩の筆頭侍女の驚きは、半分ほど演技を含んだものだった。

(半分は本当に驚いてたと思いたい……)


『幽霊』の相談を受け、『呪い』の噂の種を蒔き、『皇帝と李妃の子』を言い当てる。

李妃や筆頭侍女は「易先生」の名を、本人である雪英以上に見事に利用したのだ。



———————————————




「李妃様が、全ての覚悟を決めたのは妊娠が分かった時ですか?」

悪阻を起こし腹が膨らんで来た時、李妃は困惑しただろう。


「いえ、皇帝に初めて出会った時には決めていました。彼は私を選ぶだろうと確信していたので」

「…はは」


(……)

雪英は内心、後悔していた。こんな人に商売をけしかけるのではなかった。



「もし、筆頭侍女の赤子の存在がもっと早く知られていたら、どうするつもりだったのですか?」

「お腹の子と共に、死ぬつもりでした」

「…」


「しかし、そうならないように決めるのが覚悟でしょう?」


「そ、その通りでございます…」

雪英はそう言うしかなかった。


「もう、質問はよろしくて?」

「はい」



「では、こちらからもお願いしましょう。貴方のお家にこの子のことをお願いします」

李妃は隣のゆりかごで眠る赤子を抱き上げて言った。


「私の大切な子ですから」


獅子は、雌が集まり皆の子をまとめて育てるらしい。他人の子を抱きながら母親の笑みを見せる李妃に、雪英は獅子の面影を感じざるを得なかった。

(「女は強し」)

(「母は強し」)


(群れのボスだ……)



「分かりました。実家と話をまとめたらまた伺います」

「そうしていただけると嬉しいわ」


「着物でも、家具でも、出されたものを買います。ですから、」

(私も黙ってろ…と)


「ええ、もちろんです。私は商売に来ているだけなので」

「それは良かった」

「…はは」



雪英はそそくさと紅梅宮を退散し、仕事場へと戻った。


「雪英、こんなに時間をかけて何をしていた?」

「帰る途中でお腹が痛くなってしまって…」

「……」

無言の上司の圧に耐え、自席へ戻る。


「ふふ。雪英どんだけ赤子探しに時間かけてるの、噂だって言ったじゃん」

「……そうだね」

「で、赤子いた??」

「うん」

「え!?!?」

いきなり大声を出した依玲(イーリン)に、上司の視線が突き刺さる。


「本当!?」依玲は小声で尋ねる。

「嘘」

「もー!!あーびっくりした」



そう言いながらも、依玲は楽しそうだ。

そりゃそうだ。赤子が居たら何よりも面白いのだから。その想像だけでも蜜の味がするくらいに。

だから後宮では噂が嘘のように流行る。


(異様な世界だよな……)



(………商売には最高の場だ)

どこまでいっても、どんなに李妃の眼光に怯えても、雪英は金の亡者だった。

取るに足らない噂に飲み込まれていくこの空間は、愚かで面倒だと思う。

それでも金が稼げるのであれば、そんな面倒など許してしまうのであった。



「なに?雪英ニヤニヤして」

「…いや」


その日雪英は、李妃から貰った南方のおやつを食べることにしていた。


「もうすぐ三時だなって」



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