第6話 約束

静かに近寄り、枕元に座る。

こんなに彼に近づいたのは初めてだ。


顔にかけられた1枚の薄い布。

人違いであってほしい。

そう思った時


「姫様、五郎太兄弟がこれへ」


喜代きよが本堂の蔀戸しとみどから声をかける。


「通せ」


五郎太兄弟がやってきた。


「五郎太一郎、次郎、にござりまする」


「おお、此度のいくさ、ご苦労でございました」


「恐れ入りまする」


「山東ヶ原では、どうであった?」


五郎太兄弟は身振り手振りで懸命に

山東ヶ原での戦いを説明した。


左肩の怪我さえなければ

けっして命を落とすことはなかった

腕一本であれだけの敵を蹴散らすお方が

残念でございます。と弟は畳を叩いて泣いた。


「ずっと右腕一本で戦っておいでで。

 菊丸山で負った怪我のせいでございましょうか

 左腕は懐のまま…まるで腹を庇うような

 無理な立ち回りでございました」


「手前がお傍に駆け付けた時には

 背中に深い傷をお受けになられて」


兄は堪えきれず嗚咽した。


倉澤勢が引き上げるのを確認した時

まだ藤次郎は息があったという。

傍らに居た五郎太兄弟にこう告げた。


「大沢田へむかえ、今すぐじゃ」と。


「城には戻らずにか?」


「はい、姫様をお迎えに行くと。

 なりませぬ、まず手当をとお諫めいたした所

 ならばこれをと申され…」


そう言いながら兄が懐から手紙を出した。


「他言無用との厳命でございましたゆえ

 姫様にお会いするまで秘密にしておりました」


恭しく差し出した手紙には血が見える。


「よくぞこの手紙、届けてくれました

 あと、この事絶対に他言はなりませぬ」


「はっ。承知いたしてござりまする。ではこれにて」


姫は気丈にも涙も見せずに話を聞き終えた。


2人が本堂を出るのを待って改めて枕もとへ行く。


震える手で布を取る。

そこには美しい若武者の死に顔があった。


横たわるその身体は比較的きれいだった。

右手に巻かれたさらしが朱に染まり痛々しい。

左手は懐に入れたまま。



堰を切ったように涙がこぼれた。


「お帰りなさいませ 」


深々と頭を下げ、手紙を開く。




初姫さま


姫様がこの文をご覧になられておるということは

この貞政がお約束を破ったことに他ありませぬ

どうぞお許しくださいませ


この藤次郎 今世にても来世にても

生まれ変わり死に変わりし

必ず姫をお守り申しあげます

姫のお傍でお守りさしあげる

その所存にございます






前もってしたためておいたものだろう。

藤次郎の詫び状であった。


最後まで守ると言う愛しい人。


今まで秘めていた思いが弾けた。


「初は…初は…」


「藤次郎さまをお慕い申しておりました」


そのまま藤次郎の手を握ろうとした。

懐に入った手は死後硬直のため固かった。

左腕をつかんで懐から懸命に抜く。


その手は拳を握っていた。


「どうか、手をお繋ぎください

 そしてわらわを娶ると申してくださいませ」


その冷たい拳を両手で包む。


「?」


五郎太たちは言っていた。

腹を庇うような戦いぶり…と


「まさか?」


固くなった指を開く。


左手にしっかりと匂い袋が。



返してたも… あの契りのせいで

右腕一本で無理な立ち回りをしたのか?



「お許しくださいませ、藤次郎さまっ」


「初のせいにございます」


「藤次郎さま」


「藤次郎さまぁああ」


初姫の泣き叫ぶ声は

いつまでも本堂に響いた。














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