第15話 初対面

《……は、……ずは》


(だれ? 私の名前を呼んでいるのは……)



 誰かが私の名前を呼んでいる。遠くから響くように聞こえてきたその名前は、間違いなく転生前の私の名前。

 ふわりふわりと空中を漂っているような心地よい感覚に包まれて良い気分だったのに、と残念に思いながら、少し重く感じる瞼をゆっくり上げる。

 すると、目の前には真っ白い空間が広がっていた。



「何もない……変な夢……」

《夢じゃないですよ》

「え?」



 背後から声がしたので振り返り、その光景に目を疑った。

 背後に女の子がぷかぷかと浮かんでいたのだ。しかも、その女の子は転生してからの私と全く同じ姿をしている……。



「……オリヴィア、なの?」



 女の子は、私に優しく微笑みかけた。



《はい、やっと会えましたね》

「そんな……どういうこと……? 夢じゃなかったらこれは一体……」

《夢かどうかは今のあなたなら分かるはずです。偉大なる聖女様》



 オリヴィアは、この空間にだけ意識を集中させてみてくださいと言った。戸惑いつつもその通りにしてみると、確かに不思議な状況ではあるが夢ではないということをなんとなく感じる。



「それじゃあここは……」

《あなたに伝えたいことがあったので、私が呼びました》

「伝えたいこと……?」

《はい……。私は、あなたに謝りたかったのです。転生について混乱させてしまったことへのお詫びを……誠に、申し訳ございませんでした》



 オリヴィアが深々と頭を下げる。



「て、転生って……オリヴィアは私がオリヴィアの身体に入ることを知っていたというの?」



 私の問いに、オリヴィアは苦笑で応えた。



《あまり時間もありませんが、順を追って説明いたします。――まず、私の死は【神のまどろみ】を発症した時点で逃れられない運命となりました。私は自分の死を受け入れましたが、それでも家族を置いていくことだけはどうしても恐ろしかったんです》



 全身から悲しさと悔しさを滲ませるオリヴィアを見て、胸がぎゅうっと締め付けられる。

 このオリヴィアの気持ちはよくわかる。オリヴィアとして過ごしてきた日々の中で、両親とどれほど深い愛情で繋がっているかを実感してきたから。私にとってはもはや他人様の感情ではなく、自分自身のことのように感じられた。



《私は眠っている間ずっと願っておりました。両親を苦しませたくない、悲しませたくない、と。そうしたらある時、私の夢に女神様が現れたのです》

「め、女神様、ですか?」

《ふふっ。信じられないでしょう?》

「!! いえ、決してそんなことは……」

《いいのですよ。私も最初は信じていませんでしたから。夢の中の女神様は、私に言いました。“私が光の力をもっと多く注いでやれていれば。祝福をもっと多く与えられていれば、お前はもっと長く生きられたのに申し訳ない”と。光属性を持つ者は皆等しく、女神様が特別に愛した子だそうです》



 ……特別に愛した子に対して、女神様もなかなか残酷なことを言う。

 それならば今力をくださいと、私に生きる力を与えてくださいと、私ならそう言ってしまうかもしれない。でもオリヴィアは違ったらしい。


《だから私、願ったんです。そのように思っていただけるのでしたら、両親がこれ以上悲しまないよう伯爵家に新たな命をお与えくださいませんかと。女神様の加護をお与えくださいとお願いしました》

「そ、そんな……!! あなたの命は何ものにも代えられないのですよ!?」

《……自己満足の、身勝手な願いだというのはわかっています。でも、先に旅立たなければならない私にとって、両親の笑顔を守ってくれる存在が何よりも大切だったのです》



 オリヴィアはまだ十六歳。眠り始めた時期から時が止まっているのだとしたら、もっと若いはずなのに。それなのに、どうしたらこんな考え方が出来るのだろう。

 自分の命ではなく、残していく両親のこれからを想うなんて……こんなに優しい子がどうして死ななければならないのか。


 締め付けられる胸を抑えながら、オリヴィアの話に耳を傾ける。


《女神様は私の願いを叶えると仰ってくださいました。ただ、それが私にとって予想外の結果を呼びました》

「――新しい命が、"オリヴィアの身体"に宿った……?」



 私だ。私がオリヴィアの身体に移ってしまったのだ。

 オリヴィアは申し訳なさそうに、小さく頷いた。



《女神様の元へ還る時、私はなぜ異世界の方の魂をお連れしたのかと聞きました。そうしたら、"あの子はこの世界に縁ある者で、亡くなるにもまだ早い。だからこの世界に連れてきたのだ"と》

「オリヴィアの願いとは少し違うのでは……」

《そうですね。ですが、私にとっては正直なところ僥倖、でした……。オリヴィアがまだ世界に存在して、両親と共に過ごせるのならそれは有難かったのです。しかし、あなたを巻き込む形になってしまって、あのような願いをしたことを悔いておりました》



 オリヴィアは本当に苦しそうな表情をして、頭も上げられなくなっているようだった。自分よりも他を優先する人だからこそ、私が置かれた状況に責任を感じていることが痛いほど伝わってくる。



(今日は謝られてばかりだな。しかも、私がまったく気にしていないことばかり)



「ねえオリヴィア。私、全然気にしていないんです。むしろこちらこそ、あなたの身体を乗っ取ってしまって申し訳ないと思っています。本当にごめんなさい」

《そ、そんな、乗っ取っただなんて……! どうか謝らないでくださいませ! 私の命は尽きる運命でしたし、これはそもそも私が引き起こしたことなんです。ですから謝るのはこちらの方で――》



 お互いにぺこぺこと頭を下げあってはそれをやめさせるというくだりを何回かやった後、どちらからともなく笑いが起きた。



「あははっ。これはきっと永遠に終わらないですね」

《ふふっ。そうですわね、やめましょう》



 オリヴィアの笑顔も見えたところで、改めて真剣に自分の想いを伝える。



「オリヴィア。私、あなたに感謝しています。あなたが願ってくれなかったら私はお祖母ちゃんの過去や、幼い時から自分を守ってくれていた優しい存在たちに気づかなかったのですから」

《それは……アリアドネ様と、妖怪と呼ばれる方々のことですね》

「ご存知なのですか?」

《ええ。あなたを待つ間、女神様から色々と伺いましたから》



 オリヴィアは女神様がとんでもない願いの叶え方をしたことに驚いて、私に直接謝罪するまでは天には昇らない! と啖呵を切ったらしい。

 女神様はオリヴィアに加護を授けきれなかったことに罪悪感を感じていたため、私の魔力の封印が解かれれば会話の機会を設けられるから会わせてやると約束したそうだ。

 封印が解かれることは確実だとも予言していたそうで、オリヴィアもそれなら待たせていただきますと、天界と地界(現世)の間のこの空間で、私をずっと待っていたという。



 それにしても、オリヴィアは見かけによらず言う時は言うタイプだったのだなと、やはり記憶だけでは分からないことがたくさんあるのだと実感した。


 ……それで言えば、婚約者のノア様との関係は実際どうだったのだろう。尋ねようとしたのだけれど、残念ながら時間が来てしまったようだ。



《そろそろ行かないと。また言ってしまうけど……本当にごめんなさい》

「もう。謝るのは無しですよ。……それと、大丈夫ですからね。ご両親の笑顔、私が絶対に守ってみせますから」

《……ありがとうっ。あなたになら安心して任せられます……っ》



 オリヴィアはぽろぽろと涙をこぼしながら、優しい笑顔を見せてくれた。



《でも、オリヴィアとしてではなく、あなたがあなたの人生を楽しむことを優先してくださいね》

「はい。そうしないとオリヴィアがまた"申し訳ない〜"って飛んで来そうですもんね」

《まあっ!》



 オリヴィアは目をまんまるにした後、一段と華やかな笑顔を浮かべた。



 その笑顔をはっきりと見た後は視界がどんどん霞んでいき、オリヴィアの姿も薄れていく。

 私の身体が目覚めそうだという感覚の中で、最後にオリヴィアの声が聞こえた。



《厚かましいけれど、ノア様のこともどうか――》

 



◇◇◇




『――るじっ! 主!!!』

「うっ……あ、みんなおはよう」

『ちょっ、おはようじゃないわよ!! 起こそうとしてもうんともすんともいわないし心配したんだから!!』

『主ぃぃぃい!! よがっだでずぅぅぅ……っぐ、我は、また同じ過ちを、繰り返したのかと思っでぇぇええええ』

『おいセイ、鼻水垂らすんじゃねェよ』



 座敷童子と人の姿のままの管狐たちが、ベッドの上の私に雪崩のように覆い被さってくる。


 そこにカーバンクル様もとんっと跳んできて加わった。



『だから大丈夫だよって言ったじゃん! みんなぼくの話きかないんだもんな! ……とにかくおかえり! 身体の元の主には会えた?』

「………カーバンクル様は本当に何でもお見通しなのですね………はい。無事にオリヴィアと会えて、この世界で生きていく意味が、また一つ増えました」

『そう、よかったね!!』



 嬉しそうにしっぽを振るカーバンクル様を見て、なんだか私まで嬉しくなった。

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