第11話 神殿からの脱走者
「お嬢様。こちらって、カーバンクル様ですよね?」
メイドがぎゃいぎゃいと騒ぐ獣を指して言う。
「ええ、見たところそうね。なぜこんなところに……」
オリヴィアの記憶の中にある、カーバンクルの伝説について思い返す。
聖獣・カーバンクル。
かつて、伝説の聖女様と共にこの国を救ったとされる聖獣の内の一柱(ひとはしら)だ。
――ここ、アリーヌ王国が国として成り立つよりももっと前のこと。
この地に突然、大量の瘴気が発生した。瘴気の発生源はなかなか見つけることができず、絶えず湧いてくる瘴気に遂に街の聖職者も音を上げた。
誰にも浄化されなくなった瘴気は街に濃く広く行き渡り、人々の心を荒ませ争いを生み、罪なき人々が命を落としていくという悲惨な日々が続いた。
それを救ったのが、旅の聖女様と聖獣たちだった。
聖女様は街をぐるりと見て回ると、いとも容易く瘴気の発生源を突き止めた。発生源を閉じたのも一瞬の出来事で、その後は街に広く残る瘴気も人々の心も清め癒し、街はあっという間に平和を取り戻したという。
そして、国として栄えるまでにこの地を豊かにした、聖女様に付き従う聖獣が三柱。
大地に豊穣をもたらした燃える獅子。
水を清め生物達の棲家をつくった輝く銀龍。
稀少な鉱物が生成される山を与えた空翔る兎。
その「空翔る兎」というのが目の前にいるカーバンクル様のはず。
身体は毛足の短いオレンジ色、ところどころにエメラルドグリーンの毛が生えていて、額には宝石が埋め込まれている――うん、やっぱり間違いなく伝説のカーバンクル様だ。
(でも、なんというか……想像していたのとは違うわね……)
伝説として語り継がれているカーバンクル様はもっと強く逞しく、荘厳で気高い存在のはず。
こんなに幼い雰囲気だったなんて、伝説って盛られてるのかな……と密かに失礼なことを思う。
管狐たちはそもそもこの国の伝説を知らないため、『こやつは何だ、食べてしまうか』などと言いながら牙をチラつかせて唸っている。
座敷童子も私の横にピタッと張り付き、どこからでもかかってきなさいと言わんばかりの闘志を剥き出しにしている。
『やだなあ、怖いよそこの子たち! ぼく何もしないのに!』
大きな耳をまっすぐ空へ向けてピンと伸ばし、後ろ足をダンダンと強く地面に叩きつけている。どうやら怒っているようだ。
『ハッ、何もしねェだと? 主を思いっきりぶっ倒したじゃねェか』
『そうよそうよ、まず謝んなさいよ。この礼儀知らずの馬鹿うさぎ』
馬鹿などと言われたことがなかったのだろう。口をあんぐりと開けて、心底驚いた表情をしたカーバンクルは、静かに私に向き直ると、ごめんなさいと耳を垂らして謝ってくれた。
「良いんですよ。少し驚いただけですから。それよりカーバンクル様はなぜこちらへ?」
『あ、そうだった! ぼく神殿から抜け出してきたんだ。いまの聖女様がどっかの国の王子様と結婚するって、かけおち? とかいうのをして居なくなっちゃってさ。ご飯もまずいし退屈だし』
こちらからしたらだいぶ衝撃的な内容だけれど、やれやれといった様子でカーバンクル様は続ける。
『それで、ちょっとお散歩に〜と思ってふらふらしてたの。そしたらなんか懐かしい香りがして、辿ってたらここまで来ちゃって。………ふんふん。懐かしい香りがしたのは君だったんだねえ』
「懐かしい香り?」
懐かしい香りというものに心当たりはないけれど、嬉しそうに尻尾をふるカーバンクル様はとても可愛くて連れて帰りたい衝動に駆られる。
でもちゃんと神殿に連絡を入れなくては。
「カーバンクル様がグレンゴット伯爵家に迷い込んでしまったと神殿に連絡をお願い。父と母には私から伝えに行くわ」
「かしこまりました。……あの、お嬢様。もしかしてなのですが、カーバンクル様の言葉がお分かりに――」
「オリヴィア、ここに居たんだな」
メイドが言い終わるより前に、父が声を掛けて来た。
「あっ、お父様。ちょうど今伺おうと思っていたんです……けど、そちらは神殿からのお客様でしょうか?」
父の後ろには、神殿に仕える証である金色の刺繍が入った真っ白なローブを見に纏う男性が、二人立っていた。
はじめましてとご挨拶すると二人共にこやかに返してくれる。
一人は背が高く、もう一人は私と変わらないくらいの背丈で、煌びやかな装飾がされた大きなバスケットを抱えている。
背が高い男性はフレッド様。バスケットを抱えた小さな男性はルイス様というらしい。二人ともどこか疲れている様子だ。
「神殿から聖獣様が居なくなってしまったそうでね。どうやらうちの庭に迷い込まれたようなんだが……おや」
私の足元からぴょこりとカーバンクル様が顔を出す。
「カーバンクル様! こちらにいらしたのですね!」
「良かったです。お怪我はございませんか? さあ神殿に帰りましょう」
そう言って神殿の方が先ほどの煌びやかなバスケットをカーバンクル様の前に出す。すると、カーバンクル様はそれを尻尾でパシリと払った。
そして私の肩に飛び乗って頬ずりしてくる。
『神殿のごはんおいしくないからやだ。ぼくこの子と一緒にいる』
口を開けて固まる神殿のお二人と、突如頬に訪れた幸せを噛み締める私。
(くぅ……かわいすぎてつらい。だめ、しっかりするのよオリヴィア。私もそうしたいけど、そんなことは許されないわ)
「カーバンクル様、お気持ちは嬉しいのですがそれはできません。神殿でのお役目というものがあるのでしょう?」
『えーやだよ。だって退屈だしご飯まずいんだもん』
「それは先ほどもお聞きしましたが……」
主を困らせるな、早く下りろと管狐たちが騒いでいる。
ただそれよりも、父やメイド、神殿の方々の視線が私に集まっている方が気になった。見つめられすぎて穴が開きそうだ。
「あの、そういうことらしいのですが、どういたしましょうか……」
誰も何も発しないので気まずさから声を掛けると、神殿の方々が突然私の前に跪いた。
「………!?」
「聖女様!! あなた様は聖女様です!!」
「聖女様が居なくなり、いつまで隠し通せるかと眠れぬ夜を過ごしておりましたが、やっと眠れます! どうか神殿にお越しください聖女様!!」
自分の身に何が起こっているのかは全く理解できなかったが、涙を流して喜びあう二人を見て、面倒なことになりそうだという予感だけはした。
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