第8話 ★私の婚約者(Side.ノア)②
「オリヴィアちゃんが【神のまどろみ】を発症したそうだ」
「えっ」
初対面から六年。
あれからも私たちは定期的に茶会を開き、会わない間に何があったか、贈り物は気に入ったかという婚約者らしい話から、興味のある事業の話まで、様々なことを話せるようになっていた。
他者からすれば何とも仲睦まじい婚約者同士に見えていただろうが、私たちの間には特別な愛情はなく、婚約者としての役目を全うする戦友のようなものだったと思う。
互いを信頼しているにも関わらず、一歩引いて話しているような、そう、弁えた関係だったのだ。
「今はまだ意識はあるのですよね?」
悲痛な表情を浮かべる父に訊ねる。父もオリヴィアをとても気に入っていたから、相当戸惑っているようだ。
「ああ。近いうちに伯爵家に見舞いに行こう。……それでな、ノア。こんな時に酷なことを言うが、先方から婚約破棄の申し出があった」
父が私の様子を見ながら、言葉を選びながら語ってくれているのが伝わってくる。
父からすれば私とオリヴィアは恋仲になっているように見えたのだろう。だからこそ、病と婚約破棄という衝撃の連続に耐えられないかもしれないと案じてくれていたのだと思う。
一方で、私は意外にも冷静だった。
幼い頃から顔を合わせることが多かったので情はあるし、居ることが当たり前だった人が居なくなってしまうかもしれないという恐怖はある。
ただ、それとは真逆に不治の病が発症したのならばもう助からないのだろうと考えてしまう、どこまでも現実主義な自分が居た。
「父上、私は大丈夫です。元より婚約破棄については覚悟していました。しかしながら、今回の申し出はオリヴィアの三年後を考えた上での、私のための婚約破棄ではないですか?」
【神のまどろみ】の発症者は三年ともたないと言われている。今回の婚約破棄の申し出は、私の将来を考えた伯爵家からの温情の可能性が高い。
「お前ももう十六だからな。他に婚約者を探すべきであろうと、グレンゴット伯爵が婚約破棄を申し出てくださったのだ。オリヴィアちゃんにはまだ伝えていない」
「そうですか。では婚約破棄はお断りしてください。当初のお話の通り、オリヴィアから拒絶をされるまでは婚約者でいようと思います」
彼女との繋がりは恋愛感情などではない。共に過ごして来た時間と、積み上げて来た信頼関係に他ならない。
オリヴィアも私のことを友人のように感じていただろうし、私自身それに不満を覚えたことはない。
十歳の時に決意した通り、彼女自身が私を拒絶するまで、婚約者としての役目を果たす。特に婚約者でいることに拘っているわけではなく、破棄する理由がないと思っただけだ。
こうして私たちは、彼女が意識を失って眠ってしまうまで、いつも通りの日々を過ごした。
◇◇◇
オリヴィアが病を発症してから二年目の冬。私自身にも大きな事件が起きた。
父が持病の心臓病を悪化させ亡くなったのだ。
あまりにも急で、あまりにもあっという間のことだった。
母はひどく取り乱し、父が亡くなった日から徐々に部屋を出ることが出来なくなった。
私はこの時初めて死というものを知った。
(死は人を変える)
現実主義だと思っていたあの頃の自分は、死の先に何が起き得るのかを見据えられていなかった、ただの子供だったのだ。
(ああ、私はこの先どうすれば良いのだろう)
そんな風に悩めたのはほんの数日のことで、その後私は否応なくクインズベル公爵としての仕事に明け暮れることとなった。
それから半年後、私は夢を見た。オリヴィアの夢だ。
久々に私に笑いかける彼女を見て、ああ、遂にお別れなのだと察した。
実際にこの時が来ると、私はまたしても冷静で。
しかしもう現実を知らない子供ではない。この半年間、公爵としての仕事をする中で、完全に冷酷な人間になってしまっただけだった。
世間からも「父上はあんなに温厚な方だったのに」「冷酷なクインズベル公爵」と囁かれるようになっていた。
(良いんだ。何も知らない奴らには言わせておけば良い)
部屋から滅多に出て来なくなり、たまに私の姿を見ては父に似ているからと発狂する母。
それを支えながら休む暇もなく仕事をして、私もどこかおかしくなってしまったのだと思う。非情で冷酷な自分も持ち合わせていないと心がもたなかったのだ。
それでも、冷酷になってしまった私のわずかながらの人間の部分は、婚約者であり私の数少ない友人であるオリヴィアの冥福を祈る。
今度生まれ変わったら、どうか一秒でも長く幸せな人生を歩めますように――
そう、祈った時だった。
夢の中の彼女は信じられないことを言う。
「ノア様。私、もうすぐ目覚めます。私のようで私ではないので……けれど……わ………の……」
私が眠りから覚めようとしているのか、最後の方は聞き取れなかった。でも彼女ははっきりと「目覚める」と言った。
ただの夢なのか、それとも現実に起きることなのか。夢から覚めて覚えていたら、久々に手紙を書いてみよう。
そんなことを思いながら、視界から薄れていくオリヴィアを、ただただ不思議な気持ちで眺めていた。
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