第6話 婚約者からの手紙
扉がコンコンと叩かれた。メイドが声を掛けてきたので入室許可の返事をする。
「どうぞ」
「お嬢様。お目覚めになったばかりのところに申し訳ございません。クインズベル公爵様よりお手紙を預かってまいりました」
「クインズベル公爵? ええっと、ノア様のお父上よね?」
ノア様というのはクインズベル公爵家のご長男で、オリヴィアの婚約者だ。
クインズベル公爵といえばノア様のお父上になるわけだけれど、私個人に宛てた手紙だなんてどういうことだろう。それに、未だに公爵との関係が続いていたなんて。
オリヴィアが治る見込みのない病気になったことで婚約も解消され、とっくに縁は切れてるものだと思っていた。でもお父上がいらしたということは、もしかしたら遂に婚約破棄になって、この手紙は婚約破棄に対する謝罪かも……。
複雑な気持ちで手紙を見つめていると、メイドもまた複雑な表情を浮かべていた。
「それが、昨年の冬に先代の公爵様が持病を悪化させて亡くなられまして、現在はご長男のノア様がクインズベル公爵になられたんです」
「そう……私が眠っている間にそんなに大変なことがあったのね……」
ノア様は先代公爵様と仲が良かったから、とても悲しんだだろう。
オリヴィアとノアは、記憶を振り返る限り互いに特別な感情は抱いていなかったと思う。婚約もほぼ政略結婚に近いものだったし、特段仲が良かったわけでもない。でも、小さい頃から顔を合わせる機会が多かったから情はあるもので、彼が悲しみに暮れてはいないか、公爵の仕事で疲弊してはいないか心配になってしまう。
婚約したのはたしかオリヴィアが七歳、ノア様が十歳の時。
その年にグレンゴット伯爵領はかつてない大雨に見舞われ、川の氾濫や土砂災害も起き、街や農園に大きな被害が出た。それに救いの手を差し伸べてくれたのが、クインズベル公爵様だった。
クインズベル公爵様はグレンゴット伯爵領の葡萄から作る特産ワインがお好きだったそうで、何とか力になれればと支援を申し出てくださったのだ。
ただ、こちらが一方的に得をする支援を受けるとなると外聞が悪い。貴族社会は等価交換で成り立っているものだから、それならば年頃の近い子供たちを婚約させるしかないとなったのだ。
もちろん世間体を気にしてのことだったから、将来お互いの子供たちが婚約を嫌がるようなことがあれば即解消しようという話になっていた。
私が十歳になった頃には葡萄園も再建されたし、だからこそオリヴィアが病に臥せったことで婚約も解消され縁は切れたものと思っていたけど……。
改めて手紙を見る。
「えっと、クインズベル公爵様は、私が回復されたことをご存知でいらしたの?」
訊ねるとメイドは首を横に振る。
「いいえ。先ほど公爵家へ向けて報告の書状を送りましたが、それとは入れ違いでいらしたようです。クインズベル公爵様は定期的にお嬢様のお見舞いにいらしていたのですよ。お手紙は初めてのことですが」
話だけ聞くと私って結構婚約者様から本気で愛されていたのでは!? と思うのだけど、それは違うと記憶の中のオリヴィアが言っているような気がする。ノア様はとても誠実な方だから、オリヴィアが本当に息絶えるまで婚約者としての務めを果たそうとしてくれていたのかもしれない。
メイドが「失礼します」と部屋を出て行くのを見届けてから、深呼吸をして手紙を開封する。
パチッと軽やかな音を立てて剥がれた封蝋には、ライラックの花が浮かび上がっていた。
「ライラックの花言葉は友情、ね」
婚約者宛の手紙にわざわざ友情の印を付けて渡すなんて、ノア様らしいなと思いながら手紙に目を通す。
親愛なるオリヴィア
また近いうちに会いに行く。
その時には君の話を聞かせてほしい。
ノア・クインズベル
「えっと……これだけ?」
たった四行だけが綴られた手紙はどういうわけか、有無を言わさぬ威圧感を放っていた。
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