第9話 誰のダイナー
「ここへは良くいらっしゃるんですか?」
「ああ」
「ずっとこの町に住まわれてるんですか?」
「いや」
「あ、移り住まれたんですか? ヴァンパイアの町とかがあるんですか?」
「……」
話すのが嫌いなんだろうか。けど、前来た時はマスターと楽しそうに話していた。何か失礼なことでも聞いてしまったのだろうか。
「そのブラッドワインって、本物の血ですか?」
「偽もんの血って逆に何?」
今回も流されると思ったら質問で返されてしまったので、僕はドギマギしてしまった。
「え、あ、いや。直接吸うものだと思っていて。こういう飲み方もあるんだなあって」
「あ゛?」
レイの真紅の瞳がギラリと光った。シーツの中はもう滝のような冷や汗でビショビショになっている。マスター、早く戻ってきて……
「記憶喪失って、お前そんな常識レベルのことも覚えてないわけ?」
「あ、その、自分の名前以外何も」
「うわあ、嘘だろ! マスターもよく拾ったね、こんな余所もんをさ。どこで何しでかしてたか、分かったもんじゃないね」
僕は何か言い返したかったが、人間ですとも言えず黙りこくった。
「ここは色んなモンスターが共存出来ている数少ない町なのに。お前みたいなのをホイホイ連れてきてさ、マスターも何考えてるかよく分かんないよ」
「もし僕が悪い奴だったとしても、マスターは僕なんて簡単に倒せちゃいます。マスターは強いから、余所者の僕にも優しく出来るんです」
「……お前喧嘩売ってんの? お前に冷たくする俺は弱い奴だって言いたいわけ」
そんなつもりじゃなかった。ただ、僕を受け入れてくれたマスターを、否定的に言われたのが悔しかった。目の前の彼がどうだとか、そんなことはどうでも良かった。
「君のことなんて関係ない。僕はただマスターの話を––––」
「俺様のことなんてどうだって良いってか! お前本当に––––」
「は〜〜い、君たち。何してるのかな?」
マスターがいつの間にかパスタを片手に戻っていた。僕もレイもバツが悪そうにする。言い争いの内容だって、キッチンからなら聞こえていただろうに、マスターは僕らに説明を求めた。
「すみません。お客様に失礼なことを……」
「お、俺も、店の雰囲気悪くして……」
マスターはやれやれと首を横に振る。
「君達全然分かっていないね。良いかい、二人が犯した最大の罪はそんなことじゃない」
僕とレイはマスターの言葉を素直に待った。そしてマスターは堂々と言い放った。
「僕の言いつけを守らなかったことさ!」
そこに冗談めかした様子が感じられなかったため、僕たちは戸惑った。え、これはボケているの?
「言いつけっていうのは、その……」
「言ったでしょ? 仲良くねって」
「それはそっちの都合でしょ? 俺は食事をしに来ただけなんだけど」
レイが叱られモードから俺様モードに切り替わる。そして、美味しそうなクラーケンのジェノベーゼに手を伸ばすと、マスターがその皿をひょいと持ち上げた。
「なにすんのさ!」
マスターはいつもと変わらない様子でニコニコと答えた。
「ここはね、僕のダイナーだ。だから僕の言うことを聞けない子はお客様じゃないんだよ。レイ、これからも
リバースタウンには他にも食事処はある。しかし、それらは特定の種族に特化したものが多い。毒虫料理の専門店やら、皮も剥いでいない魔獣をそのまま提供する店だとかである。
多様なモンスターの好みを押さえた豊富なメニューに加えて、そのどれもが絶品ときている。ハッチポッチはこの町になくてはならない存在なのだ。
レイはぐぅと情けない声を漏らして、それでもまだ折れない様子だ。マスターがトドメを指す。
「ブラッドワインって、仕入れるの結構大変なんだよね。メニューから外しちゃおうかって丁度考えていたところなんだ〜」
どうやらそれは決定打としての仕事を果たしたようだ。レイが両の手をヒラヒラとさせ「お手上げだ」というポーズをしてみせた。
「ああもう、分かったよ! 俺の負けだ! で、どうすりゃ良いのさ。仲直りの握手でもしろって?」
レイはズンとカウンター越しに身を乗り出して、差し出してもいない僕の手を引っ掴みブンブン振った。僕はいきなりパーソナルスペースに踏み込まれたことも気に入らないし、勢いでシーツが脱げてしまったらと思い、彼の手を振り解いてしまった。
「何だよ! こっちから歩み寄ってやったのに」
「そんな乱暴に詰め寄ってこないでよ」
「お前本当に我儘なヤツだな、一生マスターのシーツの下に隠れてろよ!」
「さっきから何なんだよ、僕が何したって––––」
グワシッ
僕たちは宙に浮いた。マスターは両手に花ならぬ、両手に人間とヴァンパイアを軽々と抱えて扉まで向かった。首筋からサーッと血の気が引くこの感覚、ああ僕は生きているんだと実感する。
扉の外で僕たちは降ろされたが、後ろを振り返る勇気はなかった。立っているのがやっとだったのだ。
「レイ、これからリバースタウンを案内しておいで。何日かかったって構わないから! 思う存分楽しんでおいで。じゃあ、二人とも仲良くね♪」
僕には分かる、適当に取り繕っても無駄だってこと。レイとちゃんと仲良くならない限り、僕はハッチポッチに再び足を踏み入れることは許されないだろう。
扉は無情にも閉ざされた
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