第3話 リバースタウンへおいで

 

「えいっ」


 暫くしても痛みを感じない。そっと片目を開けると、どうやったのか、地面には奴が白目を剥き泡を吹いて倒れていた。


「驚かせてごめんね。こいつはブラックドッグって言って人間も襲う魔犬だよ。この辺りは大分安全な方だけど、一人で森を彷徨うとなったらコイツの比にならない奴らがウジャウジャいるよ。これでもまだ帰りたい?」


 僕はまだ足の震えを止めることが出来ない。それでも聞かずにはいられない。


「魔犬? 一体何を言っているんですか」


「君ももう薄々気づいているでしょ。ここは君がいた人間界じゃない、僕らモンスターの住まう世界さ」


 モンスター、それは映画やゲームといった想像上の世界の生き物で、でも僕は生きていて、目の前の男はと言って……


「意味が分からないよ!! あ、あ、あなたもモンスターなの? あなたも、僕を食べちゃうの!? 」


 シーツマンは想像通りの反応を起こす僕を何とか落ち着かせようとする。


「大丈夫、大丈夫だから。僕は君を襲わない、君を襲わない。リバースタウンへおいで。ちゃんと理性がある奴らが暮らす町だよ。……そうだ、僕のダイナーで働いたら良い。シーツを被れば誰も君を人間だとは思わないよ」


 シーツマンが死人のような冷たい手で、優しく僕の背をさすってくれる。この人は本当に良い人なのかもしれないと感じ、少しだけ冷静さを取り戻せた。


「人間だとバレたら、僕はどうなるんですか」


「安心して。町には人間を食べてしまうような奴はいないよ。でも人間に酷い仕打ちを受けた種族もいるから、みんながみんな良い顔はしないかもね。働きながら住人と仲良くなれば、森についても分かるかもしれない。それに僕のダイナーで働けば、人間用の賄いも作ってあげられるよ」


 シーツマンはニッコリと笑った。顔は見えない筈なのに、シーツの皺がくしゃっと確かに笑ったように見えた。


 こうして会話を重ねても、やっぱり僕は自分の名前しか分からない。彼が実は僕を食べてしまう魂胆でも、このまま森の中で魔犬の餌になるよりはマシだ。


 僕は覚悟を決めて彼に向き直った。


「その提案、受けさせてください。いつ思い出せるか分かりませんが、今日からよろしくお願いします」


「うん、気長にいこう。僕はゴースト。時間は死ぬほど持て余しているのさ」


 僕は何とか立ち上がる。シーツマンが肩を貸してくれた。


「あちゃ、手を擦りむいてる。そら、じっとして」


 彼はシーツの中から真っ白なハンカチを取り出して、それを僕の手に結んでくれた。隅にゴーストの刺繍が施されている。


「可愛いでしょ。僕がデザインしたんだ。ダイナーの看板にもなってるんだから」


 ふふん、と得意げなシーツマンに思わず笑ってしまった。自分の名前しか分からない僕にとって、それは生まれて初めての笑顔だった。


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