John Doe
第2話 シーツマン
時は数時間前に遡る。
気がつくと、僕は森の中を歩いていた。鞄も携帯も持たず、ただ、とぼとぼと。自分がそんな状況にいるとうっすらと理解して、足を止め辺りを見回した。
木々が生い茂り濃い霧が立ち込め、数メートル先も分からない。僕はどうしてこんな森の中を歩いているんだっけ、分からない、分からない。
取り敢えず回れ右をして、来た道を戻ることにする。しかし、どれだけ歩いても景色は一向に変わる気配がない。草むらで何かがガサガサと動く、遠くでカラスが鳴いている。今は何時なんだろう、霧の中では太陽も月も息を潜めている。
もう埒があかない。このまま当てもなく彷徨って、実はさらに森の奥深くへと進んでしまっているかもしれない。余計な体力は使わず、座って助けを待った方が良い。助けって、一体誰を? 分からない、分からない。
僕はこのまま死ぬのだろうか。不安で押しつぶされそうになって、今にも涙が溢れようかという時––––
「おやおや、こんなところで迷子かな?」
顔を上げると、そこには頭からシーツを被った人が立っていた。全身を覆っていて白い手足しか見えないが、声からして大人の男性だろう。
「大丈夫かい。僕はシーツマン、見たまんまだろう? 君の名前は? どこへ行きたいのかな?」
「僕は、ジョン・ドゥです。えっと、どこへ行こうとしていたか覚えていないんです」
シーツマンは空いた二つの穴からじっと僕を見つめた。確かに穴は空いているのに、そこから覗く瞳は真っ黒で、まるで闇に見つめられているようだ。
「ジョン・ドゥか、よろしくね。行き先を忘れちゃったのか。じゃあ、どこから来たの?」
「えっと……」
どれだけ考えても、思い出せなかった。僕の全てを。僕が何者で、どこから来て、何故ここにいるのか。家族は? 仕事は? この森を包む霧よりも濃い、黒いモヤがかかっているようだった。
「もしかして、記憶喪失ってやつかもね」
「そうかもしれません。あの、ここはどこですか?」
「ここはリバースタウンの入り口だよ」
リバースタウン?聞いたことがない。
「それって何州でしょうか」
「何州でもないよ。ここはここで、どこでもない」
目の前の男が意味の分からないことを言うので、逆に頭が冴えてきた。なんで気づかなかったんだろう。全身シーツ姿の男なんて、どこからどう見ても変質者じゃないか。
「そ、そうですか。はは、じゃあ僕もうちょっと自分で頑張ってみます。それでは」
「好きにしたら良いけど、無理だと思うよ。この森は、迷い人を逃さないから」
逃がさない? どういうことだ? 僕は一秒でも早くこの男から逃げ出したい。けれど見る限りは手ぶらだし、襲いかかってくる素振りもないので、話だけは聞くことにした。
「どう言う意味ですか?」
「そのままの意味さ。外からこの森に入った者は、帰り道を覚えておかなくちゃあならない。どこから、どうして来たのか。それを思い出せないうちは君はこの森から出られない」
僕は絶望した。右も左も似たような木々で囲まれたこの森で、自分が歩いた道のりなど思い出せる筈がない。そんな僕の魂が抜けたような顔を見て、シーツマンは励ますように言葉をかける。
「ねえ、帰り道のことは一旦置いておこう。まずは君自身のことを思い出さなくちゃ。そうしているうちに、帰り道も思い出せるかもしれないよ」
そんな呑気にはしていられない、今でさえ自分の名前しか分からないのに。やはり森を探索すべきだ。僕がやはり探索を続けると訴えると、シーツマンはやれやれと首を横に振った。
「仕方ないなあ。君を怖がらせるのは嫌なんだけど……」
そう呟くと、おもむろにシーツの中で手をゴソゴソとさせる。やはり凶器を隠し持っていたか!? 身構える僕の前に突き出されたのは、一匹のネズミの死骸であった––––
途端、背後の草むらから何かが飛び出す音がした。驚いて振り向くと、そこには涎を垂らした真っ黒な大型犬がいた。目は血走り牙は鋭く、グルグルと威嚇の音を轟かせている。僕が腰を抜かしてその場にへたり込むと、奴はギャンギャンと吠えながら一心不乱に突進してきた。
もうダメだ––––
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