第一章 竜王子の捜し物④



 世話係になって十日目。今日も一日仕事を頑張るぞ、と気合いを入れて離宮にやって来たコルネは、部屋に足をみ入れたしゆんかんぱかっと大きく口を開けてしまった。

「え? ええ? 何ですか、これ」

 かべぎわに寄ってどうにか窓まで進み、急いでカーテンを開ける。光源がランプ一つしかなく、うすぐらかった室内の全容が明らかになる。だが、明るくなっても視界に飛び込んできたさんげきは変わらなかった。むしろひどさを痛感する。

「ど、どろぼうにでも入られたんですか? え、室内であらしが起きたとか?」

 あわてふためくコルネの目に映ったのは、ゆかにぶちまけられた本の数々だ。

 それなりにまとめられていた本のとうは、あとかたもなくぐちゃぐちゃにくずされてしまっていた。ある本は逆さまに、ある本は縦に、ある本はページのちゆうで開かれたままうち捨てられている。とにかくひどい有様だった。

 あまりの事態に混乱していたコルネだが、部屋の中央、ちょうど本のじゆうたんに取り囲まれるような形で座り込むメルヴィンの姿を見付け、すぐさま声をかける。

「メルヴィン様、だいじようですか!? 何かあったんですか!? もしかして物り、いえ、メルヴィン様の命をねらかくが現れたとか──」

「ない」

 コルネの大声をさえぎって、ぽつりと小さく、けれどよくひびく音色が室内をらす。

「……ない? ないって、一体何がないんですか?」

 遠目から見た感じでは、メルヴィンがをしているような様子はない。そのことにほっと胸をで下ろしつつ、とにかく足元の本を適当に重ねてはしに寄せていく。

「ない、どこにもない。見付からない」

 ぽつぽつとよくようのないこわがメルヴィンの口からこぼれ落ちていく。床に座り込む姿は非常に弱々しく、かみの毛はいつにもましてぼさぼさになってしまっている。どこか遠くへと投げられた青い瞳はうつろで、コルネの存在をにんしきしているのかすらわからない。

 コルネは一歩一歩、本をわきに寄せながら部屋の中央へと近付き、ようやく床に座っているメルヴィンの前にたどり着くことができた。

 真正面から改めてメルヴィンの様子を観察する。怪我はしていない。顔色は青白く、くまも大分くなっているが、すぐに手当てが必要なほど具合が悪そうにも見えない。物盗りや刺客といった危険なことがらが起きたわけではなさそうだ。

 そうすると、部屋をかき回したのはメルヴィンということになる。メルヴィンがここまで本を乱暴に扱うのは、空から本が降ってくるぐらいの異常事態だろう。

「メルヴィン様、私です、コルネです。わかりますか?」

 かたに手をばして声をかける。メルヴィンの細い肩にれたと同時に、コルネの手は思いのほか強い力でたたき落とされた。当然、叩いたのはメルヴィンだ。

 あまりにも激しいきよぜつ反応に、痛みよりも驚きの方が強かった。目を丸くするコルネの前で、はっとした様相でメルヴィンはまたたく。そして、ここにきてようやく自分以外の存在に気が付いた、とばかりに青いまなしがコルネの姿をとらえる。

「……お前、いつからそこに? それに、今俺は」

 虚ろだった瞳に光がもどってくる。その目がコルネの右手、メルヴィンに叩かれて赤くなってしまった手のこうに向くよりも早く、コルネは自らの背中に右手をかくす。

「たった今こちらに来たばかりです。それで、メルヴィン様は何かさがし物ですか?」

「別に、何でもない。お前には関係ない」

「関係ありますよ。私はメルヴィン様の世話係です。お手伝いできることがあるのならば、えんりよなく言ってください。じゃないと職務たいまんでトラヴィス様におこられてしまいますよ」

 できるだけ軽い調子で言えば、きつく寄せられていたメルヴィンのまゆがほんの少しだけゆるんでいく。それに合わせて、張りめていた周囲の空気もじやつかんやわらいでいく。

「本当に変わっているな、お前は」

鹿正直者の借金令嬢ですからね、私は。普通じゃないんですよ」

「そうだな、普通の貴族令嬢とはほど遠いな。だが、普通じゃないのは俺も同じか」

 メルヴィンは一度深く息をく。そして、気を取り直した様子で話し出した。その顔には落ち着きが戻っている。

「しおりを捜しているんだ。どこかで見かけなかったか?」

「しおり……あ、メルヴィン様がよく使われているあの黄ばんだしおりのことですか?」

「黄ばんだ……。まあ、確かにずっと使っているものだから、大分黄ばんでよれよれになってはいるが」

「申し訳ございません! その、別に悪く言ったわけではなくてですね、ただじゆんすいに見た目の確認をしただけであって、だから、ええと」

 あわあわと弁解する。明らかに失言だ。またどくぜつが投げ付けられるんじゃないかと身構えるコルネの予想とは裏腹に、メルヴィンはたんぱくな口調で先を続ける。

「で、その黄ばんだしおりを見かけなかったか? 昨夜、お前がきゆうから宿舎へ戻る直前にはあったはずなんだが、それ以降どこを捜しても見付からない」

 昨夜、宿舎に戻る直前の出来事を思い出してみる。昼間ついそうに夢中になってへんきやくたのまれたことを忘れてしまい、メルヴィンに何かいやを言われる前にと、サイドテーブルに置かれた本や紙の束を一気にかかえて離宮を出たおくしかない。

「すみません、私には覚えがないですね」

 そうか、とのない一言が放たれる。今のメルヴィンには毒舌を放つ元気もゆうもないのだろう。細い体がさらに一回り小さくなった気がする。

「ですが、昨夜メルヴィン様が見たのでしたら、この部屋の中には必ずあるはずですよね。どこか家具のすきか、あるいは本の間に入り込んでしまったんじゃないでしょうか?」

「俺もそう考えた。結果がこれだ」

 メルヴィンの視線が部屋の中、れに荒れた室内をぐるりとわたす。よくよく観察すると、床にばらまかれた本だけでなく、机や椅子いす、サイドテーブルといった家具のたぐいもかなり動かされたけいせきがあった。文字通り、部屋中をひっくり返したらしい。

 かなりてつてい的に捜したようだ。それでも見付からなかった、ということか。

「もう一度この部屋を捜してみましょう。二人分の目があれば見付かるかもしれません」

 私は家具の下や後ろ、中を捜してみますので、メルヴィン様はもう一度本の中を捜してみてください、と続けてコルネは動き出す。最初はどこかおどろいたような顔でコルネを見ていたメルヴィンも、再び周囲の本に手を伸ばして捜し始めた。

 しおりは手の平にる大きさで長方形、厚紙で作られている。青いひもが上部に結ばれているだけで、特に模様やかざりはなく、長年使い込んでいることを示すように日焼けしてやや黄色くなっている。

 メルヴィンからしおりのくわしい見た目を聞いたコルネは、必死に部屋の中をそうさくする。それなりの厚さはあるようだが、紙製なのでちょっとした風によってき飛ばされ、どこかの隙間に入り込んでしまう可能性は高い。

 端から端まで、二時間近くかけてていねいに捜し回ったものの、結局しおりを発見することはできなかった。室内はもはやぐちゃぐちゃを通りしてこんとんと化している。

 こうなったらこの部屋ではなく別の部屋、離宮全体を捜してみようと意気込んでいたコルネの耳に、ろうあきらめの混じった重い響きが届く。

「……もういい、十分だ。こんなに捜しても見付からないんだ。ここにはないんだろう」

「そうですね、この部屋にはなさそうですね。それじゃあ、次はりんしつと書庫を捜してみましょうか。あ、ゴミ箱の中も確認してこないと──」

 室内の片付けは後回しだ。とにかくしおりを見付けることが第一、家具や本は後できちんと元の位置に戻しておこう。

 さらに捜そうと動き出したコルネを止めたのは、再び床に無気力に座り込んでしまったメルヴィンだった。

「いや、もういい。捜してもだ」

「無駄って、そんな、まだ捜していない場所がたくさんあるんですよ」

「無意味なことはこれ以上したくない。もういいんだ。なくなったってことは、俺にはもう必要のないもの、手にしているべきものではないってことなんだろう」

 だからもう捜す必要はない、とたんたんとした声が続く。銀の髪に隠れて、コルネの位置からはメルヴィンの顔は見えない。だが、生気のけ落ちた無表情をかべていることが、何となく想像できる。

 コルネは本を踏みつけないように注意しつつ、座り込むメルヴィンへと近付く。そして、目線を合わせるためしゃがみ込むと、うつむくメルヴィンの顔をのぞき込む。

「あのしおり、メルヴィン様にとって大切なものなんですよね?」

「え? あ、ああ……大切、だな」

 とつぜん近付いたコルネにぎょっと目を見開きながらも、メルヴィンはゆっくりとうなずく。

「それなら、諦めずに捜しましょう。まだ諦めるのは早いですよ」

「いや、だが、ありそうな場所はもう全部捜した──」

 コルネは「いいえ」とメルヴィンの言葉を強く遮る。

「捜す場所はまだたくさんありますよ。可能性のありなしはひとまず置いておいて、とにかく捜せる場所は全部捜しましょう。気付かないうちに全然ちがう場所に移動してしまったかもしれませんよね」

 力説するコルネを目にして、メルヴィンはあつに取られた顔をする。何で自分よりもコルネの方が必死になっているんだと、こんわくの色がにじんだ瞳が語っている。

「だって、ここで簡単に諦めたら、メルヴィン様は絶対にこうかいすると思います」

「……後悔」

「はい。たとえもし見付からなかったとしても、できることを全部やったのならば、後から思い出しても後悔することはないはずです。でも、ちゆうはんな状態で諦めてしまったら、あのときもっとああしていれば、こうしていればって思い出すたびに後悔してしまいます」

「結局のところ見付からなければ、何をしようがしまいが後悔するんじゃないか?」

「そうかもしれません。でも、どうせ後悔するなら、途中で諦めてやめてしまった後悔よりも、やれることは全部やりきった後悔の方がいいと思いませんか?」

 メルヴィンは迷うようにゆっくりと左右に動かしていた瞳を閉じると、ため息とも深呼吸ともとれるいきをもらした。

「持論をこれでもかとたたみかけた上に、説教まがいなことを言う世話係は初めてだな」

 開かれたまぶたから現れた青い瞳がじろりとにらんでくる。たんせいな顔には冷ややかな表情が浮かび、緩んだはずのまゆが再度寄せられている。ものすごくげんそうだ。

「うっ、す、すみません。あの、でも、言い方はちょっと悪かったかもしれませんが、口にした内容は私の本心でして、その、説教では決してなくてですね、ええと」

 ついついいつもの調子で思ったことを口にしてしまった。だが、相手は王子であり、コルネにとっては主人でもある。本来であればあれこれ意見していい相手ではない。説教なんてもってのほかだろう。

 しどろもどろに謝るコルネを無視して、メルヴィンはかんまんな動きでゆかから立ち上がる。そして、ふらつく足取りでとびらに向かって歩き出した。おぼつかない歩みではあるが、足元にばらまかれた本の数々は上手にけて進んでいくところがちぐはぐな印象をあたえる。

 まずい、これはかいされるかもしれない。

(家なしのはくしやく家……いやいや、さすがにそれは笑えないわ。爵位をはくだつされそう)

 コルネ個人にしてみれば、正直なところ爵位にそれほどしゆうちやくはない。なければないで構わないものの、ゲードフェン伯爵家の領地に住んでいるたみのことを考えると、簡単に爵位を手放すわけにはいかない。

 どうにかしてしきと周辺の領地だけは死守しないと、と考え込むコルネの背中に、やいばのごとくするどいつかつさってくる。

「おい、何をしているんだ。別の場所も捜すんだろう。グズグズするな」

 驚いてり返ると、扉付近からとがった視線を投げてくるメルヴィンの姿がある。

「言っておくが、俺はもう体力がない。従って体を動かしてさがす役目は全部お前がやるんだ。まあ、言い出しっぺがやるのは当然のことだな」

「え、あの、まだしおりを捜すんですか?」

「はあ? お前が捜せる場所は全部捜すって言ったんだろうが」

 メルヴィンの眼光にとげとげしさが増していく。目に見えてげんが下降していく。このままだと不満といかりがだいばくはつして、どくぜつあらしが吹き荒れそうだ。がいじんだいになる。

 コルネはあわてて立ち上がり、音が鳴りそうなほど激しく首を縦に何度も振った。

「捜します! 離宮全体をひっくり返して捜します! がんって捜しましょう!」

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借金令嬢とひきこもり竜王子 専属お世話係は危険がいっぱい!? 青田かずみ/角川ビーンズ文庫 @beans

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