第一章 竜王子の捜し物③



「戻るのがおそくなってしまい申し訳ございません、メルヴィン様」

 思いのほかトラヴィスと長く話してしまっていたらしい。コルネは部屋に入ると同時に謝罪したが、メルヴィンはまったく気にせず読書を続けている。

「本は借りられたのか?」

「はい。あ、ちゆうでトラヴィス様にお目にかかって、先日お話ししていた稀覯本を預かってきました。それからこちらの紙の束も」

 コルネが最後まで言い終えるよりも早く、メルヴィンは空いている左手をき出してきた。無言でばされた手の意図は、恐らく「稀覯本を渡せ」ということなのだろう。

 早くしろとばかりにらされる手に、コルネはがおで本、ではなくバスケットの中から取り出したロールパンを置いた。時間がってしまったので心配だったが、紙に包まれたパンにはまだぬくもりが残っている。これなら美味おいしく食べられるはずだ。

 わたされたものをいちべつしたメルヴィンは、ようやくコルネへと顔を向ける。手入れなどしていないはずなのにつややかなぎんぱつの間から、へきがんが鋭い眼光をかべてにらんできた。

だれが昼食を渡せと言った。俺が欲しいのは兄上からの本だ」

「わかっています。でも、先に昼食をどうぞ」

「後でいい、めんどうだ。読み終えたら食べる」

「読み終えたら食べるということは、食欲はあるということですよね?」

 返事は戻って来ない。だが、食欲がいつさいないときは「いらない、食べたくない」ときよするので、多少はおなかいていると考えられる。

 食欲がないのならば無理に食べさせるつもりはなかったが、ほんのわずかでも食べる気があるのならばが非でも食事をしてほしい。本に集中して一日、いや、二日近く急に食べなくなると非常に困る。料理もできる限り食べやすいものにしてきた。

「食べると約束していただければ、稀覯本も王宮図書室から借りてきた本もすべてメルヴィン様にお渡しします」

 無言で睨まれる。眼光は鋭くかなりあつかんがあるが、何せメルヴィンは不健康だ。くまのある青白い顔ですごまれても、正直あまりこわくなかった。

おこり出すか、無視するか……。怒ったら本を渡して、昼食はあきらめよう)

 無視した場合は少し時間を置いてみよう。そう考えていたコルネの耳に、深いため息の音が届く。メルヴィンはいつも愛用しているしおりをはさむと、本を足元に置いた。食事でよごしたくなかったのだろう。そして、たいそうな様子ながらも昼食を食べ始める。

(やった、上手くいったわ!)

 一歩確実に前へと進んだ。コルネは心の中でこぶしにぎり、大きく片手をかかげる。もちろん実際にやることはしない。メルヴィンのげんそこねる可能性のあるこうは厳禁だ。

 さっさと食べて本を読もうと考えているのか、メルヴィンはもくもくと食事を口に運ぶ。手づかみで無造作に食べる姿は、れい作法の欠片かけらもない。だが、きたならしく見えるどころか、逆にどこか上品に感じられる。生まれ持ったぼうゆえか、にじみ出る高貴さゆえか。

「そういえば、この離宮周辺の森には野生動物が何か生息しているんでしょうか? 森の中を何度も行き来しているんですが、いのししいつぴきすら見かけないんですよね」

 スープの入ったコップをサイドテーブルの上に置きながら話しかける。メルヴィンが本を読んでいないときは、できる限り話しかけるようにしていた。返事は期待していない。仲良くなりたい、というわけではないが、仲が悪いよりはい方が仕事もしやすいだろう。

 もぐもぐと、しやく音が響く。やはり返事はないかと、コルネがさらに口を開くよりも早く、ごくんと飲み込む音がした。

「この森自体には、野生の鹿しかや猪、おおかみ、ウサギなんかの生き物がいるにはいる。ただし、きゆう周辺には絶対に来ない」

 意外にも返事がもどってきた。スープを飲むメルヴィンに再度質問を投げかける。

「どうしてですか?」

「俺がいるからだ」

「メルヴィン様がいると、どうして来ないんですか?」

「……りゆうだからだ」

 わずかな間を空けて、小さな声が放たれる。上手うまく聞き取れなくて首をかしげるコルネに、ふんと鼻を鳴らす音が突きさる。こんっと、コップがサイドテーブルに乱暴に置かれる。

「お前は鹿が付くほどの正直者だから、動物には好かれやすそうだな」

「確かに昔から動物には好かれやすいですね。でも、正直者かどうかはまったく関係ないと思いますけど」

「関係ある。大馬鹿正直で裏がないから、動物も安心するんだろう」

 いちいち言い方がいやっぽい。わざと相手を怒らせるような言い方をしている気すらしてくる。他人にきらわれたい願望でもあるのだろうか。

 コルネは言い返そうとして、しかし、開いた口を閉じた。思えば馬鹿正直なのは真実だ。それに、馬鹿正直というのは悪いことでもない。うそけず、表裏がない。加えて動物に好かれやすい。め言葉かもしれない。

「ありがとうございます」

 パンをもう一つわたしながら礼を言うと、メルヴィンはまゆを寄せて異様なものを見る目を向けてきた。

「は? どうしてここで礼の言葉が出るんだ?」

「褒めてもらっている気がしましたので」

「全然褒めてない。どこをどう取ったら褒めていることになるんだ? 馬鹿か? ああ、そうか、馬鹿なんだった」

 顔をゆがめたメルヴィンはさらに嫌味を追加しようとしたようだが、出てきたのは「うっ!」という低いさけび声だった。

「どうしたんですか? 何かありましたか?」

 メルヴィンは手にしたパンをすごい形相で見つめている。心なしか持つ手がふるえ、青白い顔はより一層色をなくし、額には冷やあせすら浮かんでいる。

 固まっているメルヴィンの視線をたどる。そのひとみはただ一点、パンに挟まれた緑色の野菜をぎようしているようだった。

「……ピーマン、ですか?」

 コルネの声に、びくっと体が揺れる。

「もしかして、メルヴィン様はピーマンがお嫌い──」

「そんなわけないだろう。何でもない、気のせいだ」

「では、本日の夕食はピーマンをたくさん使った料理にしますね」

「やめろ! 絶対にやめろ! 俺にこの緑色の物体を見せるな」

 まるで危険物を取りあつかうかのごとく、メルヴィンはピーマンの入ったパンをサイドテーブルの上におそる恐る置く。手元からはなれると、あんの息がうすくちびるからもれた。

「ピーマンの味がお嫌いなんですか?」

「色も、においも、味も、すべてが嫌いだ。存在自体が許せない。視界に入るだけでめまいがする。食べた日には、きっと俺は死ぬ」

 いや、大げさだろう。食べて死ぬはずがない。しかし、メルヴィンの顔も声も本気だ。

「俺の食事には、今後絶対にこの緑色の物体は入れるな」

 早く俺の目の前から消せと、メルヴィンは足元に置いていた本を拾うと、ページを開いてピーマンを視界からしやだんする。もう片方の手は鼻をつまんでいた。

 そこまで嫌いなのかとおどろく一方で、コルネの顔には自然と笑みが浮かぶ。

 口をへの字に曲げたメルヴィンからは、常のひねくれた感じが消え、年相応の子どもっぽさがにじんでいる。良い意味で親しみやすさがある。

「メルヴィン様、私はこの仕事をできるだけ長く続けたいと思っています」

「……何だ、急に。金が必要だから働き続けたいんだろう、初日に聞いた」

「そうですね、給金のために続けたいというのが私の希望ではあります。でも、だからといって私がいることで、メルヴィン様を不快にさせるのは本意ではありません。メルヴィン様が快適に過ごせるように取り計らうのが、世話係としての本来の仕事ですよね」

 メルヴィンが目の前に掲げた本を少しだけ下げ、うかがうように見上げてくる。表情に変化はないものの、じやつかん驚いているような、みようなものを目にしたようなふんがあった。

「ですので、できるだけメルヴィン様が気持ちよく過ごせるようにがんるつもりです。だから、文句や不満があればどんどん言ってください。できるはん内で改善しますから」

 わがままや嫌味をぶつけられるのは正直大変だ。しかし、メルヴィンの世話係という仕事には、きっとそれに対応することもふくまれているのだろう。

 それに、幼い弟たちの面倒を見て、父にあれこれり回され、れいじようらしからぬ様々な仕事を経験してきたコルネにしてみれば、多少気難しいぐらいならば受け流せる。つうのご令嬢ならばげ出すようなことでも、普通じゃないコルネならば立ち向かえるはずだ。

(メルヴィン様と上手く折り合いを付けて、なおかつメルヴィン様が少しでも快適に生活していけるようにこれから頑張っていこう。私が仕事を続けることで、メルヴィン様が毎日不快な思いをするのはやっぱりちがっていると思うもの)

 トラヴィスはとりあえず身の回りの世話をするだけでいい、本人の主張や意見は適当に受け流して構わない、と働き始める際に言っていたが、コルネはそれは違うと思う。何よりも大切なのは、世話をされる側のメルヴィンの気持ちや考えだ。

「少し前」

「え? 何ですか?」

「俺に昼食についてたずねる少し前、一度声をかけただろう。すぐにやめたんだ?」

 言われている内容を理解できず首をかたむける。考えること数秒、ようやく書庫のせいそうをする前にメルヴィンに声をかけ、しかし返事がなかったのでやめたことを思い出した。

「あのときのメルヴィン様は読書に集中しているようでしたので、しつこく声をかけてもじやになるだけだと思いました。急ぎの内容でもありませんでしたし」

「……お前は今までの世話係とは違うな。良くも悪くも、変わっている」

 表面上はがおで取り入ろうとして、けれどその裏ではへきえきした様子を見せる者。口うるさく自分の意見だけを言って、メルヴィンのことなど本当は何も考えていない者。王族という立場だけを重視し、笑顔と嘘で取りつくろう世話係が大半だったらしい。

「確かに変わり者だってよく言われますね。ついでにはくしやく令嬢らしくない、って言葉もその後によく続きますよ」

 ふっといきがもれる。そこにはわずかに笑みの気配が含まれている気がしたが、再び本を読み始めたメルヴィンの顔に笑みは欠片もかんでいなかった。

(世話係を続けていれば、いつかメルヴィン様が笑ってくれる日が来るかしら)

 そんな日が来ることを願いつつ、まずは世話係の仕事をしっかりとまっとうしていこうと決意を固める。が、残念ながら、コルネが考える以上にメルヴィンの世話係の仕事は大変で、なおかつめんどう事ややつかい事に巻き込まれるひんが高いものだった。

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