第一章 竜王子の捜し物②



 コルネがメルヴィンの世話係になって八日目。毎日が一進一退、否、一歩進んでは三歩近く後退しているような日々を送っている。

(ものすごく手間がかかる野菜を育てている気持ちで、なおかつ畑にしゆつぼつするきようぼうな野生動物と適度にきよを置いて付き合う感覚でやれば、どうにかメルヴィン様の世話係を続けられるはず……だと思いたいわ)

 吐き出しそうになってしまったため息は、ごくりとのどの奥に飲み込む。

(とにかく前向きに頑張っていかないと! すべては借金返済と家族のために!)

 コルネは「よし」と心の中で気合いを入れる。

「失礼します。メルヴィン様、ちょっとよろしいですか?」

 ノックして部屋に入ると、椅子いすに左足を立てた状態で本を読んでいる相手が視界に入る。コルネの問いかけに対する答えは無言、いや、紙をめくる音だった。

(うーん、ダメだわ。先に書庫のそうをして、時間を置いてからもう一度声をかけよう)

 メルヴィンは読書に集中すると、周りの声が一切聞こえなくなる。いや、もしかすると本当は聞こえているのかもしれないが、まったく反応をしてくれなくなる。集中しているときにじやをされたくないのだろう。

 背後から向けられる静かなまなしには気付かず、コルネは物音を立てないように注意しながら部屋を出た。白いかべ材のゆかで作られたろうを進む。離宮の内部は外観同様余計なそうしよくたぐいはなく、質素だが落ち着きのある造りになっている。

 書庫は離宮の北側に設けられている。数多く設置されたほんだなには、どこもきっちりと大量の本がめ込まれていた。ぼうだいな本に対してあつぱくかんが少ないのは、てんじようが高く作られているからだろう。

 書庫の扉と、日光が入らないように作られた北向きの窓を開けて風を通す。独特の紙とカビっぽさが混じり合ったにおいがじやつかんうすれる。コルネははたきを片手に、ほこり清掃を開始した。一気にすべて掃除するのは無理なので、今日は扉を入って右手側の一角と決めている。

 本棚と本のすきにはたきをいれ、上部にまった埃をはらっていく。何気なく背表紙に目をやったコルネは、掃除をしている本棚にりゆう関連の書物が多数並べられていることに気が付いた。

「竜、かあ。竜、ねえ」

 ついつい疑念の混じった声が出てしまう。

 ここ、ドロテリア王国は領土の南側を海で囲まれたおだやかな国で、主要な産業は漁業と貿易だ。過去には領地や資源をめぐってりんごくと戦争もあったが、現在は国王の統治のもと、穏やかで平和な国政が行われている。

 ドロテリア王国の建国には、竜がかかわっていたと伝えられている。一人の男と、男にこいをした竜によって作られた国で、それゆえ一人といつぴきの子孫である王族には竜の血が流れているとされていた。

 非常に高い知性とすぐれた身体能力を持つ竜は、はるか昔は王国のあちこちに広がる深い森や山脈に住んでいたと言われている。今なお竜がかくれ住んでいるんじゃないかと主張する人間がいる一方で、ここ数百年実際に見た者は一人もいない。結果、コルネ同様大半の国民が「昔いたのかな? いや、創作? 空想?」程度のにんしきしかない状態だ。

 どくな竜とやさしき王様、伝説の竜たちとほう使つかい、竜の住む王国物語、といった題名が続く。めいしようでわかるとおり、並べられているのはどれも創作のたぐいだ。竜の生態などに関する書物がいつさいないことも、存在を疑問視するのに一役買っている。

 ──はたして、この国に本当に竜は存在しているのだろうか。

「うん、考えても仕方がないことは、気にしないのが一番。どのみち竜がいようがいまいが、メルヴィン様が竜の血を引いていようがいまいが、私の仕事に変わりはないものね」

 コルネは掃除に集中する。時折き込みつつ、埃をれいにしていった。



「メルヴィン様、今少しだけ話しかけてもよろしいでしょうか?」

 およそ一時間後、今日の分の書庫掃除を終えたコルネは、再びメルヴィンへと声をかける。今度はいつぱくの間を置いて、「何だ?」とたんたんとした返答がもどってきた。

 目線は本へと注がれているが、コルネの声を無視するほどには集中していないらしい。ただし、ページをめくる速度は変わらない。

「昼食に食べたいものはありますか?」

「あまり食べる気がしない。そもそも満腹だと集中力が低下する」

「確かにそうですね。でも、私は空腹でも集中力が低下すると思います。腹八分目が一番ってことですね」

 顔は本に向けたまま、ろんな視線がコルネをとらえる。

「俺はそういう話をしているんじゃない」

「申し訳ございません。昼食の話でしたよね。メニューは何がよろしかったでしょうか?」

 笑顔のコルネに対してメルヴィンの表情は冷ややかだ。ふんと短く鼻を鳴らす。

「どうせ一日二日食事をいた程度で体をこわすことなどない。王族は竜の血を引いているがゆえ、つうの人間よりも体がじようで病気にもなりにくい」

「え? でも、それはメルヴィン様以外の王族の場合、ですよね?」

 反射的にき出してしまった言葉に、

「何か言ったか?」

 するどい声がかんはつれずに戻ってくる。一段下がった低い音調にあわてておのれの失言を取りつくろう。

「いえ、まさか。何も言っていませんよ」

 笑ってどうにかこうにかす。コルネの下手くそな言い訳などもちろん相手はいているのだろうが、めんどうくさいと思ったのか、あるいは反応する価値もないと思ったのか、それ以上厳しくついきゆうされることはなかった。

な会話はもう十分だ。早く王宮に行って本を借りてこい」

 邪魔なコルネを追い払うためか、メルヴィンは手にしていた紙切れを投げてくる。床に落ちる前に空中で上手うまくつかみ取ることができた。

「はい。では、王宮に行って本を借りるついでに、何か昼食もご用意してきますね」

 部屋を後にするコルネの背後で、かすかなため息の音がひびいたような気がした。



 右手に昼食が入ったバスケット、左手にメルヴィンからたのまれた本をかかえ、コルネは王宮の外に出た。きゆうのある森へは、あざやかな花々が美しく整えられた中庭を横切り、さらに青々とした樹木が立ち並ぶ裏庭を進んでいく必要がある。

「──コルネじよう

 裏庭に差しかかったところで、背後から名を呼ばれる。コルネが足を止めてり返ると、中庭の方角から近付いてくるトラヴィスの姿があった。

 片足を下げてあいさつをしようとしたところで、目の前に来たトラヴィスに止められる。

「ああ、いいよ、そういうのは。公的な場じゃないんだから、かたくるしいのは必要ない。これから離宮に戻るところ?」

「はい。メルヴィン様に頼まれた本と昼食を持って行くところです」

「荷物を増やしてしまって申し訳ないが、これもいつしよに持って行ってもらえるかな?」

 トラヴィスにわたされたのは、一冊の分厚い本と紙の束だった。紙の束は本の半分ほどの厚さで、二百枚ほどの紙が茶色いひもでまとめられている。何かの資料だろうか。

「この間話していたこうぼん、ようやく見付かってね。手に入れるのにずいぶんと骨が折れたよ」

 やれやれといった言葉や態度とは裏腹に、トラヴィスの目には温かな光が見て取れる。

 トラヴィスは第一王位けいしよう権を持つ、次期国王候補だ。とてもゆうしゆうな人物で、国民からはもちろん、貴族や高官からのしんらいも厚く、王族の見本のような人物として好かれている。彼がいる限り、今後のドロテリア王国はあんたいだ、と言われている。

 実際話してみると、トラヴィスは王族らしいげんや気品は備えているものの、メルヴィンのような気難しい面は一切なくコルネに対しても友好的だった。ただし、ひとすじなわではいかないくせのある人物だということは、面接した日からいやというほど理解している。

 エーリクから聞いた話だと、トラヴィスは護衛も付けず一人でふらふらしていることが多いらしい。実際、今コルネと話しているときも護衛の姿は見当たらない。ただの品行方正な王子様、というわけでもないようだ。

「責任を持ってメルヴィン様にお渡しします。それにしてもこの本、随分と年季が入っていますね」

 ていねいに保管されていたのか、破れやみなどは見当たらないが、表紙を見ただけでもかなりの経年れつを感じさせる。横からのぞいてみると、ページも大分黄ばんでいる。

「大分古い本みたいだからね。我が国ではもう絶版になっている、ってメルヴィンが言っていたよ。歴史書なんだけど、内容が隣国に関する……」

 よどみなく続いていたトラヴィスの言葉が、不自然にれる。不思議に思って問い返すよりも早く、

「おっと、これは余計な話だったかな。どこかのかたぶつが小言を抱えてさがしに来る前に、私はしつ室に戻るとしよう」

 どこかの堅物、というのはおそらくエーリクのことだろう。かたを軽くすくめたトラヴィスは歩き出そうとして、しかしすぐさま何かに気が付いたかのように足を止める。そして、再びコルネに向き直った。

「危ない、忘れるところだった。申し訳ないが、明日は朝から王宮の方でじよの仕事を手伝ってもらえるかな。どうも人手が足りないみたいでね」

「わかりました。もしかして王宮で働く侍女たちに、病気でも流行はやっているんですか?」

 世話係になって八日、王宮の手伝いにり出されたのはすでに四回にものぼる。

「単純に人数が足りないだけだよ。最近、ちょっと王宮内がゴタゴタしていてね。そのためいとまを取る者も増えているんだ」

「そうですか。ええと、明日は一日、メルヴィン様のお世話は必要ない、ということでだいじようでしたか?」

「食事だけは運んでやってくれるかな。あとは自分でどうにかする、というか、恐らくずっと読書しているだけだと思うから、一日ぐらい放って置いても平気だよ」

 確かにだんのメルヴィンの様子から察するに、コルネが来なくても気にしなそうだ。

「色々頼んで申し訳ない。代わりと言っては何だが、君が少しでも過ごしやすいようにできる限り手を貸すつもりだよ。何かあればえんりよなく言って欲しい」

 ありがとうございます、とコルネがお礼を言うと、トラヴィスはひらひらと手を振って王宮の方向へと戻っていく。常にねこのメルヴィンとは対照的な背中が見えなくなってから、コルネは離宮へと戻った。

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