第一章 竜王子の捜し物①



 ゲードフェンはくしやく家のむすめ、十六歳となるコルネにはとにかくお金が必要だ。人生で一番せつまっている。過去、こんなにもお金を求めたことはない。

 コルネの父にしてゲードフェン家の現当主は、とにもかくにもおひとしで困っている人がいると手もお金も貸してしまう。いや、お金は貸すのではなく、もはやあげていると表現する方が正しいだろう。いつだって返済してもらうことなど欠片も考えていない。

 大なり小なりお人好しの家系であるゲードフェン家にとって、常に台所事情が火の車なのも、びんぼうなのも借金だらけなのも、もはや標準装備だ。それでもどうにかこうにかこれまで生活してこられた。が、父のある言葉によってつつましやかな日々に危機がおとずれる。

「まずいぞ、コルネ。このままだとしきと周辺の土地がていとうに入りそうだ。とうとう貧乏で借金まみれの田舎いなか伯爵に、家なしという文言が付け加えられそうだな」

 はははと原因の父はあっけらかんとした様子で笑っていた。良く言えばのんきで大らか、悪く言えば危機感のない能天気な父に、このときばかりはコルネもめまいを覚えた。

 そして、きんきゆうで行われた家族会議の結果、早急にお金を稼ぐことに決まった。

 まだ幼い弟と妹のためにも、とにかく家なしになることだけはけたい。そのためには一にも二にもお金が必要となる。しばらくお金は貸さず、いや、お金をあげることはせず、内職でも何でも構わないので働くように父には強く言い聞かせておいた。

 そして、コルネは高い給金にられて、折良くしゆうの手紙が来た王宮での仕事にもろを挙げて飛びついた。くわしい仕事内容がいつさい書かれていないことなど気にせずに。



「そういうことで、君にはこのきゆうでひきこもり生活を続ける私の弟、メルヴィンの世話係として働いてもらうことになるね」

 まえれもなく告げられた内容に、コルネは「は?」と調子の外れた声を出してしまった。そういうことで、につながるような説明が一切行われていない。意味が全然わからない。

 まゆを寄せてこんわくするコルネに対して、目の前にいる人物、トラヴィス・ドロテリアはゆうぜんとした態度をくずさず先を続ける。

「コルネじようは私の弟のことは知っているかな?」

「え? ええと、はい。トラヴィス様の弟君、メルヴィン第二王子ですよね。確かメルヴィン様は生まれつき病弱で、王宮内で人前に出ずりようよう中と聞いていますが」

 メルヴィンの名前はコルネも知ってはいる。だが、その姿を見たことは一度もない。彼は幼いころから体が弱くて表に出ることはできない、と現国王が昔国民に向けて宣言したはずだ。ねんれいはコルネよりも一つ上、十七歳だっただろうか。

「あ、それは建前でね、昔はともかく今は病弱とかではないから安心して。まあ、病弱ではないものの、色々問題点はあるんだけどね。その辺はおいおい説明するよ」

 そんなのはさいなことだと、トラヴィスは大量の情報を処理しきれていないコルネを置いて話を進めていく。

「基本的に勤務時間はこの離宮で働いてもらうことになる。手が空いているときは、申し訳ないが王宮での仕事も手伝ってもらうことになるかもしれないね。中は後から案内するけれど、一通りすべてのもの、客室やすい、浴室、あと書庫もある。空いている客室は自由に使ってもらって構わないよ。ここにまってももちろん構わないけど、まあ、それだと問題があるか。後で宿舎にも連れて行くよ」

 息つくひまもなくどんどんあたえられる情報に、目をぱちぱちさせてしばしの間放心してしまっていたが、慌てて「ちょ、ちょっと待ってください!」と声を上げる。

「ここで働くって、ええと、ここって一体どんな場所ですか?」

 コルネが面接のために王宮に来たのが三十分ほど前。部屋に通され、かこの国の第一王子、トラヴィスと対面し、開口一番「合格」と言われてから二十分。わけもわからず王宮の裏手にある森の中に引きずり込まれてから十分。そして、現在に至る。

「だから、ここは私の弟が生活している場所だよ」

 トラヴィスはにこりとみをかべ、首をわずかにかたむける。その動きに合わせて、一つにまとめられた銀色のかみが流れるようにれた。

 ゆるやかに曲がる細い眉、切れ長の青いひとみ、鼻筋の通った顔立ちは一見するとれいたんな印象を与えるが、おだやかな表情が温かみをもたらしている。白いシャツにベスト、その上に羽織った青の上着がとてもよく似合っている。文句の付けようのないかんぺきじようだ。

 だが、混乱真っただなかのコルネには、トラヴィスのぼうれているゆうなどまったくない。情報過多で頭がばくはつ寸前だったコルネに救いの手を差しべてくれたのは、この場にいるもう一人の人物、エーリクだった。

「トラヴィス様、もう少しゆっくりとがいようをお伝えになった方がよろしいかと」

「遅かろうと早かろうと、伝える内容は変わらないさ。だったら、情報はできるだけすみやかに、かつたんてきに伝えた方が親切だろう?」

「みながみなあなたのように頭の回転が速いわけではありません。その程度のことわかっていらっしゃるでしょうに、メルヴィン様のことになると本当にせんりよになられますね」

 落ち着いたこわおくすることなく的確なてきをぶつける。トラヴィスが「そうかな?」と言うと、「そうですよ」とエーリク・フレッカーと名乗ったが答える。

 エーリクはコルネが王宮に着いてから、面接の部屋まで案内してくれた人物だ。騎士の制服に身を包んだたいは、一目でかなりきたえられていることがわかる。年齢はトラヴィスと同じ、二十半ばぐらいだろう。短く切りそろえたくろかみせいかんな顔立ちに浮かぶ緑の瞳はじりがやや下がっており、穏やかでやさしい雰囲気をまとっている。

 二人のやりとりを聞いている間に、じやつかん混乱は収まってきた。コルネは深呼吸を一度してから、意を決してトラヴィスに話しかける。

「私はじよの仕事をするために王宮に来ました。メルヴィン様の世話係、でしたでしょうか。そのようなお話はみみに水です」

「あれ、私が君の家に出した手紙には、侍女の募集をしているなんて一言も書かなかったはずだよ。王宮での仕事を募集しているから働きに来ないか、って内容だったはずだ」

 手紙の内容をよくよく思い出すと、「侍女の募集」という文言は確かになかった気がする。王宮での仕事、となれば侍女だと勝手に脳内へんかんしてしまっていたらしい。

 コルネは目の前にいるトラヴィス、そしてその背後にひかえるエーリク、最後に森の中に建つ離宮を見つめる。

 白磁のかべあわい水色の屋根が印象的な建物は一階建てで、横に伸びた長方形の形を成している。正面のちょうど真ん中に当たる場所に、三角の屋根を持つげんかんポーチがあり、それをはさむ形で左右に窓が三つずつ並んでいる。

 背後に広がるのは湖だ。太陽の光を浴びてまばゆいほどのきらめきを発している。大きさは王宮の中庭と同じくらいだろうか。底が見えるほどとうめい度が高い水は、空の青と共に木々のあざやかな緑もまたその身に映していた。

 王宮からはなれた森の中にある離宮。こんな不便な場所に第二王子が住んでいること自体、明らかにおかしい。

(……どうしよう。三食食事付きで宿舎も完備、って条件は最高だけど、いくつかに落ちない点があるのが気にかるわ。森の出入り口に騎士が二人見張りに立っていたこととか。あれは離宮のそばには人を置きたくない、ってことかしら)

 迷うコルネの後押しをするように、トラヴィスはにっこりと満面の笑みを浮かべて言う。

「ちなみに給金は侍女の二倍、いや、三倍出すよ。どうかな?」

「さん、ばい……」

 コルネの頭の中に、大切な弟と妹、ついでに父親の顔が浮かぶ。

「──わかりました。そのお仕事、喜んでお引き受けいたします」

 近いうちに家がなくなるかもしれない不安定なごくひん生活。それを改善するためには、高給金の安定した仕事にくことが第一だ。

(迷ってこうかいするよりもそく行動、が我が家の家訓でもあるし、何事もちようせんあるのみよね)

 そもそも今のコルネには、仕事内容をえり好みできる余裕はない。

「よかった、これで少しの間はだいじようかな。いや、もう、本当に困っていてね。一応王子という立場上、それなりの身分のある人間じゃないと世話係は任せられないし、かといって身分があればだれでもいい、というわけにもいかない。一目見て君はあのゲードフェンはくしやく家の人間、なおな正直者だとわかったからね。できるだけ長く続けてくれると助かるよ」

 断られることなど最初から想定していなかった、というようにトラヴィスはにこにこと笑っている。きっとあらかじめコルネの内情は調べくされており、先立ってお金が必要なことも当然わかっていたはずだ。

 それにしても、王都からかなり離れた田舎に住むコルネにまで声がかかるほど人材不足、という点も気に掛かる。引き受ける人間がいないのか、あるいはすぐにめているのか。

「あの、世話係の仕事ってもしかしてすごく大変なんですか? 何か専門的な知識や技術が必要だったりするんでしょうか?」

「いやいや、そんなに難しい仕事じゃないよ。ざっと七年間ほど、あの離宮から一歩も出ない弟のために食事を運んでもらったり、部屋のそうをしてもらったりするだけだ。基本的な仕事内容は侍女とそれほど変わらないんじゃないかな」

 非の打ち所のない微笑ほほえみを作るトラヴィスをいちべつした。直感的に、目の前の相手が見た目通りの人間じゃないと察してしまう。口調はしんだが、どこかたんぱくひびきがある。

「……参考までにお聞きしたいのですが、これまでの世話係の方々はどのくらいの期間従事されていたんでしょうか?」

 おそる恐るたずねるコルネに対して、トラヴィスは淡い微笑みを口元に刻んだ。

「ここ数年だと、長くて三ヶ月ぐらいかな」

「長くて三ヶ月……。では、短くてどのくらいですか?」

「最短記録は三日だね」

 は? ととんきような声が出る。想像していたよりもさらに短い期間に、コルネの口はあんぐりと開いてしまう。

「大丈夫、大丈夫。心配しなくても私やエーリクもできるはんで手助けするよ。仕事のしようさいや注意こうは後で説明するとして、まずはかんじんのメルヴィンにしようかいしないとね」

 こげ茶色のげんかんとびらの前に立ったトラヴィスは、手のこうで三回ほど軽くノックする。

「メルヴィン、私だ。少し話がしたい、開けてくれないかな」

 待つこと数十秒。反応はいつさいない。物音もせず、人の気配もない。

 その後何度ノックして声をかけても、一向に返答はもどってこない。もしかしてねむっているのか、あるいはどこかに出かけているのか。そんなことを考え始めていたコルネの耳に、「仕方がないな」とあきれと愛情の混じったトラヴィスのつぶやきが届く。

「この間お前にたのまれていた歴史書のこうぼん、ようやく見つかったから持ってきたよ」

 直後、がたっと扉の向こう側で物音が響く。そして、ゆっくりとした足音が聞こえてくる。少しの間を置いて、固くざされていた扉が開かれた。

 現れた人物を目にしたしゆんかん、コルネは思わず「うわ」と声を出してしまった。

 銀色の髪に長身、ねこきやしやな体躯にかざり気のないシャツとズボン、まえがみからのぞんだ青い瞳。とても目鼻立ちの整った顔立ちをしている。だが。

(──ものすごく不健康そう)

 とにかく顔色が青白い。良く言えばみ一つない澄んだはだ、と言えるのだろうが、もはや良く言うことは難しい。不健康きわまりない顔色、ひょろひょろで風に飛ばされそうなそうしん、目の下にはうっすらとだがくまもある。

「やっと出てきたか。もう少し早く扉を開けてくれるといいんだけどね」

「申し訳ございません、トラヴィス兄上」

「また読書に夢中になって、自分の都合のいこと以外聞こえていなかったんだろう?」

 かすかにうなずく姿は、猫背のせいで実際よりも大分小さく見える。

「兄上、先ほど話していた本は?」

「ああ、すまない。あれはお前を呼び出すためのうそでね」

「……毎回毎回、そうやって嘘をいて呼び出すのはやめてくれませんか?」

「私も好きでやっているわけではない。最愛の弟をだますのは心苦しいが、そうしないとお前が扉を開けてくれないから泣く泣く騙しているだけだろう。必要悪というやつだ」

 ほがらかに笑う兄に対して、弟の顔には苦々しい表情が浮かんでいる。

「本は今度必ず持ってくるよ。今日はお前の新しい世話係を紹介しにきたんだ」

 半開きの扉から外を見ている相手、メルヴィンの目がコルネへと向けられた。

「こちらが新しくお前の世話をしてくれるコルネじよう、ゲードフェン伯爵家のご息女だ」

 右目に泣きぼくろが見える。メルヴィンのり目が観察するようにすがめられた。そこにはけいかいと共に敵意がにじんでいる。

「コルネ嬢、こちらが私の弟のメルヴィン。まあ、見ての通り、メルヴィンはきゆうにひきこもり中でね。見た目の不健康さは、病気からではなく年がら年中部屋にひきこもっているせいだから安心して欲しい」

「ゲードフェン伯爵家……ああ、あの田舎いなかの伯爵家か。確か、田舎伯爵とか、びんぼう借金伯爵とか、そんな風に言われている家だろう。そんな家の人間が俺の世話係になるのか」

「メルヴィン様、そのような言い方はよくないと思います」

「俺は事実を言っているだけだ、エーリク」

 メルヴィンの言うとおり、ゲードフェン家は一応伯爵のしやくあたえられており、この国、ドロテリア王国の土地のいつたんを任されている領主でもある。とはいえ、その与えられた土地は王都からはかけ離れた場所、いわゆる田舎としようされる小さな村だ。

 ほかの貴族からは田舎伯爵とかげぐちいな、表立ってされている。貧乏で借金まみれの田舎伯爵、なんてとてもらしい呼ばれ方もしているぐらいだ。

「どうせそいつもこれまでの世話係と同じ、口では国のためにと言いながら、俺の世話係を通して王族や強勢な貴族連中に上手うまく取り入る算段を考えているだけだ」

 吐き捨てるような物言いをするメルヴィンに、コルネは努めてがおで話しかける。

「改めまして、コルネ・ゲードフェンと申します。私は一にも二にも給金のために、メルヴィン様の世話係としていつしようけんめい働かせていただきますので、どうぞこれからよろしくお願いいたします」

「……金の、ため?」

「はい。何せ私は借金令嬢と呼ばれていますので。最初に断っておきますが、王族や有力貴族とのつながりなどこれっぽっちも求めておりません。借金返済が第一です」

 思いもよらない返答だったのだろう。ぽかんとしたメルヴィンの表情は、どこか幼さを感じさせるものだった。

「よし、これで丸く収まったね。あ、ちなみにメルヴィンの世話係をしていることは公言しても問題ないんだけど、メルヴィン個人については一切話さないように注意して欲しい。あくまでも病弱で表に出られない、って設定を守ってね」

 設定、とコルネは口中で呟く。ひきこもっている理由は不明だが、第二王子が王族としての役目も果たさず離宮に閉じこもっている、というのはけんていがよろしくないのだろう。

「それと、メルヴィンに害をなすことがあれば、たとえ伯爵家の人間であろうとも私はようしやしない。だから、くれぐれも注意して欲しい」

 トラヴィスはさわやかに笑っている。だが、明らかにその目は笑っていなかった。

「そんなに過保護にしてもらわなくても、俺は大丈夫です」

「何を言っているんだ。兄が弟を可愛かわいがるのは当然だろう」

 あ、やっぱり失敗したかも。目の前に吊るされたお金のために、早まった判断をしたかも。コルネの頭の中で様々な後悔の念がき上がってくるが、すぐに全部打ち消す。

がんるって決めたんだから、文句を言わずにやりげないと。とりあえず、まずは最短記録を乗りえて、三ヶ月を目標に頑張ろう。いや、三ヶ月は厳しいかも……うん、一月頑張ってその後のことを考えよう、そうしよう)

 前向きなようでいて、後ろ向きなことを考えつつ、コルネは自身を𠮟しつげきれいする。

 そんなこんなで、コルネはメルヴィンの世話係として王宮で働くことになったのだった。

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