序章 竜王子のお世話係



 コルネの世話係としての仕事は、分厚いカーテンを開け放つことから始まる。

 南と東、二しよにある窓のカーテンを開けるだけの非常に簡単な仕事だが、最も神経を使う作業でもある。理由は単純明快。目的の窓へとたどり着くまでに、ゆかに建てられたいくつもの本のとうえていく必要があるからだ。

「おはようございます、メルヴィン様」

 部屋の主に声をかける。だが、毎度のごとく返事はない。かすかにひびいてくる紙のこすれる音を聞きつつ、コルネは部屋への一歩をみ出す。

 低いもので五冊、高いものだと二十冊近く本を重ねて作られた塔は、ほんの少しのしようげきでもくずれてしまうほど不安定な状態でそびえ立っている。ときには塔の上をおおまたでまたぎ、ときには塔と塔のすきをぎりぎりすりける。

 どうにか塔を崩さずに東側の窓へとたどり着いたコルネは、のうこん色のカーテンを勢いよく開ける。うすぐらかった室内に、力強い朝日のかがやきが届けられる。

まぶしい」

 げんそのものといった低い声が室内をらす。声の主は、南側の窓に背を向ける形で椅子いすに座っている。コルネが昨夜この場を辞したときからほとんど変化がなかった。

 ゆいいつ変わった点があるとすれば、その手に持った本が別のものになっていることぐらいだろう。どうやらまたてつをしたらしい。

 コルネが働き始めて本日で五日。その五日間、毎日徹夜をしている。多少昼間にみんを取っているのだろうが、それでも明らかにすいみん不足で、不健康きわまりない生活だった。

「おはようございます。もうとっくに太陽がのぼっているんですから、ランプを消してカーテンを開けた方が明るくなりますよ」

 やはり返答はない。代わりに紙をめくる音がいくぶん大きくなる。閉めろ、という無言の圧力に気付いたコルネはため息を飲み干し、レースのカーテンだけもう一度閉め直した。

 再度本の塔をしんちようけて南側の窓に向かう。カーテンといつしよに窓も開け放った。湖面をすべり抜けてきたさわやかな風がき込み、夜の間にこもった空気をいつそうしてくれる。

「風で本のページがめくれる。うつとうしい、じやだ。すぐに窓を閉めろ」

 ぎ早に文句が放たれる。最初はするどこわしゆくしていたものの、五日間同じやりとりをしていればさすがに慣れてしまう。

「申し訳ございません。ですが、かんは必要なものですから。十分ほどで閉めますので、少しだけごしんぼういただけますか」

 コルネはランプを消す。特有の鼻をにおいが発せられるが、先ほど開けた窓から入り込む風がすぐに吹き飛ばしてくれた。すがすがしい風はコルネの気分も上げてくれる。

「まずは顔を洗って、それからえをしましょう。すぐにお湯を用意しますね」

「うるさい。俺は今本を読んでいるんだ。必要ない」

「ですが、私はメルヴィン様の兄君、トラヴィス様からちくいちメルヴィン様のじようきようを報告するようにと厳命されております。メルヴィン様が着替えもしなかった、と報告したら、きっとトラヴィス様はとても心配して心を痛めると思いますよ」

 ちんもくが部屋を包む。持論やいやを言うときはじようぜつになるのに、自分に都合が悪くなると口を固く閉じて無言をつらぬく。それが彼、メルヴィン・ドロテリア第二王子の習性らしい。

(うーん、メルヴィン様は私の弟や妹よりも、もっとずっと手のかかる子どもだわ)

 コルネは椅子の前に回り込み、部屋に入ったときからいつさい顔を上げずに本を読み続けている相手を見つめる。

 メルヴィンは、ごうせいそうしよくはないものの一目で高価だとわかる椅子に座っている。床に向かってゆるやかな曲線をえがく四つあしやわらかな座面にはこうたくを放つ赤色の布が張られ、ゆったりと手を置けるひじけが備えられている。

 あざやかな木目が美しいサイドテーブル、細やかな銀装飾がほどこされたオイルランプ、つややかで上品なざわりのカーテン、落ち着いた風合いの机。家具や調度品は最低限のものしかないが、そのすべてがコルネでは一生手に入れられないだろう高級品だ。

 だが、いくら品のい調度品が並ぼうとも、床に所せましと並べられた本の塔、そして何よりも部屋の主がすべて台無しにしてしまっている。

 座面に左足を立てたぎようの悪い状態で座り、ひざの部分に背表紙を置いて一心に本を読んでいる人物。白いシャツに黒のパンツを身に付けている。規則正しくページをめくる姿はものげな様子で、欠片かけらも感じられなかった。

 椅子は小さいわけではない。だが、きやしやな反面手足の長いメルヴィンにはいささかきゆうくつそうに見える。常に背を丸めて座っているせいだろう、彼は歩くときも基本ねこだった。

 王族特有のぎんぱつこしの辺りまで無造作にばされており、まえがみは目にかかるほど長い。顔は小作りだがせんさいで、高いりよううすくちびるすずしげな細いあごで形作られている。はだは白くきめ細やかで、遠目からだとせいこうな人形が椅子に座っているように見えた。

 吹き込む風によって、艶やかな銀のかみが揺れ動く。外で過ごす時間が多く、直射日光で焼かれてぱさぱさになったコルネの髪とは似ても似つかない。高価な銀糸のようだ。

 たんれいな容姿が多い王族の中でも、おそらくメルヴィンは一、二を争うほどれいだろう。全体的に色素が薄く、れればけてしまいそうなはかなげなぼうを持っている。が、その美しさをかき消してしまうほど内面に問題があった。

(元はすごくたんせいなんだから、伸ばしっぱなしの髪を切って、服装を整えれば……。いえ、中身がやっぱり問題ね。トラヴィス様いわく、あちこち複雑骨折しているらしいし)

 弟は内面が複雑骨折している部分がたくさんあってね、と彼の兄のトラヴィスは清々しいがおで語っていた。

「こちらの本はもう読み終えたものですよね。片付けてもよろしいでしょうか?」

 サイドテーブルに置かれた本は読み終えたものなので、片付けても問題ない。ここ数日で学んだことだ。ちなみに床に建設された本の塔は、読んでいない本、もう一度読み返す本が積み上げられているため、片付けることはもちろん動かすことも禁止されている。

 メルヴィンのひとみがちらっとサイドテーブルを見やる。十冊ほど無造作に置かれた本をばやいちべつし、再び手元へと視線はもどっていく。

「好きにしろ。だが、どれも非常に価値のあるものだ。お前の給金一月分ではとうていべんしようできないほどな」

「え!? 私の給金一月分以上、ですか? この本たちが?」

「当然だろう。もう手に入らない本、絶版になった本も多いんだ」

 何気なく持ち上げた本の重みが増した気がする。元の位置にそっと戻してみる。今度からもっと注意して本をあつかおう、と内心で考えていたコルネへと、部屋に入ってから初めてメルヴィンの視線が向けられる。

「さらに借金を背負いたくなければ、扱いにはくれぐれも注意しろ」

 もし傷一つでも付けたらすぐにかいする、と低い声がこくはくそうな唇からき出される。前髪の間からねめつけてくる瞳はねこ科の動物をほう彿ふつとさせるり目で、右のじりには泣きぼくろがある。

 東の窓から差し込む太陽に照らされた顔は、白を通り越してもはや青い。体型は華奢をえてせ細っており、手足もかなり細い。非常に不健康そうで弱々しかった。

「上に置いたそこの二冊は王宮図書室から借りたものだ。返すついでに、次はこの紙に書かれている本を借りてこい」

 ぽい、と二つ折りにされた紙がコルネに向かってほうり投げられる。あわてて受け取ったコルネは、開いて中身を確認する。そこには読みやすいりゆうれいな筆勢で、本の題名がいくつかさいされていた。このやりとりもすでに日課になりつつある。

(山間地域における気候変動対策、道路きようりよう建設の補修管理、流域治水のへんせん、利水技術の調査研究……うっ、相変わらずながめているだけで、不思議と頭痛がしてくるわ)

 メルヴィンが読む本は雑多だ。良く言えばはばひろい、悪く言えば統一性がない。一ページに字がみっちりと書かれた学術書を読んでいるかと思えば、ときには大衆向けのらく小説や画集、絵本のような内容にまで目を通している。ありとあらゆるものを幅広く、けれど決して浅くはなく、かなり踏み込んだ内容の本までてつてい的に読んでいる。

 興味のはんが広すぎる。とにかく多種多様な本、活字ならば何でも読むらしい。

(また司書の方に聞いてみよう。一人で探しても時間がかかるだけ、見つけられない可能性が高いし、それにおそくなるとメルヴィン様に嫌味を言われるだけだもの)

 コルネは投げわたされた紙をスカートのポケットに入れる。初日は自力で見つけ出そうとして、結局に時間と気力をけずることになった。

「この仕事がいやになったのならば、好きにめればいい」

 初日から何度も耳にし、もはや聞ききてしまった言葉にコルネは表情を引きめる。そして、感情の色のない、無機的な瞳で見上げてくる相手へと真っぐに視線を返す。

「──辞めません。私はまだ、メルヴィン様の世話係を辞めるわけにはいきませんから」

「ああ、そうか。借金れいじようのお前は金が必要なんだったな」

 だるふんの中にどこか色気がにじんだ視線は、再び本へと戻っていく。

「俺はお前がこのまま続けようがすぐに辞めようが、心底どうでもいい」

 吐き出された声は冷たい。そこにはコルネへの関心などじんもない。

「……ひとまず朝食をお持ちしますね。あちらの机に置いておきますので、よければし上がってください。できるだけ食べやすいものを用意しました。一口だけでもどうぞ」

 沈黙が続く。それが意味する答えは一つだ。十中八九、朝食を食べることはないだろう。

「では、私は一度王宮の方へ行ってきます。本のたいしやくと昼食を準備してきますので。何か昼食のご要望はありますか? メルヴィン様が食べたいものを用意してきますよ」

 こちらにも予想通り返答はない。さすがのコルネも、ちょっとだけむっとしてしまった。でも、すぐに首をぶんぶんと左右にって、き上がったいかりを頭から追い出す。

(この程度でおこっている場合じゃないわ。弟と妹のためにがんってお金をかせがないと)

 わざわざ故郷から遠い王宮まで来て、気難しい相手の世話をしているのはほかでもない家族のためだ。可愛かわいい弟と妹の顔を思い出しながら部屋を後にしたコルネは、もはや何度目になるかわからない気合いの声を上げる。

「すべては借金返済と家族のために!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る