第6話
コタロウ・フウマ。
ギルド併設の酒場のテーブルにいる黒いローブとフードで全身を隠した老人は、氷と酒の入ったグラスを揺らしてみせた。
「ゲンジョウ、なんだてめぇ、最近俺に顔も見せねぇでよぉ」
「いや、そんなに会ってなかったっけか?」
「半月前の講習会のときが最後だぜ? お前、もっと俺に会いに来いよぉ。若ぇのによぉ。寂しいじゃねぇか? なぁ」
酔っ払った爺さんにそんなことを言われても楽しくはない。隣に座った俺に皺だらけの顔と酒臭い息を吹きかけてくる老冒険者に俺は嫌そうな顔をすることしかできない。
「ケケケ、まー、これが最後かもわからんがな」
「ん? 最後って?」
俺の耳元に顔を寄せてきた爺さんが周囲を見る振りをしながら――振り? ああ、黒いカーテンのような結界が張られている。これのせいで俺たちの話には誰も注目していないようだった。
これは爺さんが持つ『闇属性魔法』アプリで使える魔法の一つで、遮音と人払い、隠蔽の効果のある魔法だ。
もちろん都市法違反の代物で、ギルドの酒場で軽々に使うようなものではない。俺の困惑を見て爺さんがにやりと歯抜けの顔で嗤う。
「ゲンジョウ、俺に内緒話させてくれよぉ、なぁ?」
「いいですけど……危険じゃないんですか?」
「ギルドのボンクラにはわかりゃしねーよぉ。ヒヒヒ」
爺さん自体は都市の規制やらなにやらでDランク冒険者でしかないが、その実力はBランクぐらいある、らしい。
(俺と爺さんの間に実力差がありすぎて、俺には爺さんの正確な強さがわからないんだよな)
そんな強者たる爺さんの言葉に俺は閉口するしかない。
(てか、結界て、そんなリスク踏むような話するのかよ。
そんな爺さんは俺の困惑を無視して要件を告げてくる。
「出てくんだよ。俺も、このくそったれた都市を」
「……え?」
フウマの爺さんは俺が冒険者になった頃からもいた老冒険者だ。他の闇属性冒険者の先輩が子供の頃からいたともされるこの都市の闇属性冒険者にとって、先生とも言えるベテラン冒険者だ。
どうしても都市から一定以上は出てくる、闇属性冒険者の少年少女と一緒にこの爺さんに鍛えられたのは懐かしい思い出である。
(あと俺のアパートの保証人でもある)
俺みたいな闇属性冒険者の若造にアパートを貸してくれる酔狂な人間なんかいない。下宿を追い出され、途方にくれていた俺に大家に紹介して、保証人もしてくれたのはフウマの爺さんだった。
本当の肉親みたいな感覚をこの爺さんに対して俺は持っていた。
――うぅ、ぐぐぐ、強固すぎて……縁が引き抜けない。確固たる目的があってゲンジョウさんと接触してるから。ゲンジョウさん。そのお爺さん変ですッ! 貴方はそれを認識できない。ぐぬぬぬ、ぐぬー!
闇の帳の内側で、爺さんは真面目くさった顔をして、俺に対してもう一度言った。
「俺はな、出てくんだよ。この都市をな。で、お前はどうする?」
「どうするって」
「ずっといんのか? この都市に」
「あ、いや、俺も出ていこうとは思ってたけど」
「じゃあ出ようぜ。
すぐに、と俺は急すぎると思った。だが、そうか? 八年もこんな都市で腐ってた。俺と一緒に冒険者になった連中はとっくにフウマの爺さんの手引で都市から抜け出していた。この都市に残ってる闇属性持ちなんてのは、まだ冒険者になりたてのガキか、仕事でヘマして手足を失って、物乞いをするか、下水掃除やゴミ拾いみたいな仕事をするしかできねぇような連中だけだ。
「まぁ聞けや、久しぶりに異界についてレクチャーしてやるよ」
「異界って、まぁ聞くけど。初歩の初歩じゃないのか?」
いいから、と言われて俺は黙る。手持ち無沙汰になって爺さんがテーブルに出していた皿に盛られたアーモンドに手を伸ばせば、マテリアル製品特有の味の素直さがない、雑味の混じったものだった。
(しかし異界か。高度瘴気汚染地帯のことを今更俺に教えてなんだってんだ?)
「異界ってのはな。邪神の干渉だ、妖精の悪戯だの言われてるが、だいたい地脈が定期的にずれて、溜まってた瘴気が溢れて土地が汚染されて生成されるってのが定説だ。だからそのずれる周期さえ把握できてりゃ異界の発生、属性の種類なんてのは突き止められる。偉い学者さんの言葉だな。あとは異界発生がわかる予言や神託持ちの固有能力者なんてのもいる」
「……異界の発生がわかるってのはわかったけど、それで、それがなんなんだよ?」
「暗黒属性異界が近く、この都市で生まれる」
「属性異界か。珍しいなぁ」
「そうだよ。珍しいんだよ。いや、有り得ないと言ってもいいか。この都市は都市の守護龍である『
「問題なのは?」
「生まれる暗黒属性異界がランクⅤだってことだよ」
「……それは、すごいな」
ランクⅤ。冒険者のトップであるSランク冒険者や、都市の防衛軍が全軍で相手をするような異界だ。
攻略に成功すれば破格のマテリアルと属性素材が手に入るものの、失敗すれば異界の反撃で都市は滅ぶだろう。
「ちッ、ゲンジョウ、てめぇわかってねぇな。暗黒属性のランクⅤだぞ? この都市に闇属性の冒険者は何人いる?」
「……俺と、チビどもと、ええと、爺さんか?」
「ああ、そうだよ。若手も一人でやれるようになったら俺が別の都市まで逃してやってたからな。てめぇぐらいに育った奴なんててめぇしか残ってねぇ。それが何を意味してるか、わかるか?」
「……ええと、あー、荷物持ちで参加要請とか?」
属性ダンジョンはその属性持ち以外だと深刻な属性による汚染を受ける。
神聖属性の探索に光属性が、灼熱属性に火属性が適任なように、暗黒属性なら、闇属性の俺たちが適任だ。
もちろん俺の防具アプリに瘴気耐性がついているように、汚染対策用のアプリなんかは出回ってるから、闇属性嫌いのこの都市がわざわざ俺たちを連れて行くとは思えないが……。
(だが、本当にそうなのか?)
爺さんの言葉で考えてみる。汚染対策があると言っても、この都市が用意できるのはメジャーな他属性じゃないのか? 暗黒属性異界がほとんど生まれてないこの都市で暗黒汚染に対する耐性アプリ、それも他属性冒険者を侵入するだけでも絶殺するほどの汚染濃度であるランクⅤの耐性があるとは思えない。
そもそもランクⅤ耐性ってなんだよ。最高ランクの耐性アプリ? そんな便利な神アプリあんのかよ。あったらどこの異界でも攻略し放題じゃないか。
(他の都市にはある、かもしれない? 輸入してくる、とか?)
そんな呑気なことを考える俺に対して爺さんが「甘い。甘いぞゲンジョウ。俺たちが突っ込まされるに決まってんだろうが」と俺に告げてくる。
「属性異界の経験の少ないてめぇにはわかんねぇだろうがな。汚染ランクⅤってのはな。他属性が深層にいきゃ死に絶える汚染ランクなんだよ。特に暗黒に弱い、この都市自慢の光属性どもなんか中層にも届かねぇよ。てか、入り口で即死する。必然この都市じゃあ俺たちしか攻略できる人間はいねぇってことだ、わかるか?」
「即死、するのか?」
「するんだよ。ランクⅤってのはそういうランクだ」
俺の知識にはあまりない知識だった。
属性汚染もⅠやⅡランク程度なら汚染治療用の医療系異常物質を使うことで治療できるってのは知ってる。
とはいえ医療系異常物質は高価だから使いすぎると収支に合わず、探索がどれだけうまくいっても赤字になる。
俺が属性異界に挑まないのもそれが理由だ。この辺は闇属性が挑めるような暗黒属性異界はないしな。
「……ええと、じゃあ」
「わかれよ。いまのうちに逃げるんだよ。っていうか俺は逃げる。チビどもも逃がす」
歯抜けの老爺に睨まれて、俺はうー、だのあー、だのと呻くしかない。
「……あー」
頭を抱えるしかない。
囁かれる。
「出るならギルドが依頼主のマテリアル回収依頼を受けろ。これは他の都市の冒険者ギルドで決済できるタイプの依頼だ。長期探索に行くと思わせてそのままとんずらしろよ。あとアパートは解約するな。役所にも行くな。誰にも知らせるな。闇属性冒険者なんてたいていが勝手に死んだと思われてるがな、闇属性異界発生前だからな。あからさまに逃げると思われたら捕まって拘束されて首輪をつけられるぞ。それと、だ。聖女の幼なじみのお前は逃げないと思われてるからマークは薄いが、俺とチビどもはマークがきついからな。別行動だ」
一息に言われる。頭に入ってくる情報が濃くて呻くしかない。
「なんで、闇属性が少ないのに、俺らを迫害してたんだ?」
「人間ってのは
「聞いた、ことはある。あんまり興味なかったから詳しくないけど」
他の都市でどう生きるかよりもこの都市で生きるにはどうすればいいのか考えていた時期に勉強して知った歴史だ。
そんな俺にも丁寧にフウマの爺さんは説明してくれる。
「そんな時代にランクⅤ暗黒属性異界が生まれてよ。だーれも対処できずに都市四つが陥落。異界が次々と地脈を飲み込んで巨大な暗黒異界が生成されちまった。こりゃまずいってんで闇属性を優遇して、貴族にもするようにしたけど手遅れ。それまでの人類ってのは愚かでな。闇属性異界で使える闇属性アプリとかも破壊しまくっててよ。で、装備が貧弱な闇属性の貴族たちは攻略できずに死にまくって、都市がまたいくつか陥落して、都市国家自体が崩壊するってところで神の介入があって異界から闇属性の勇者様を招いてなんとかできたって歴史があんだわ」
フウマの爺さんは俺を見ながら言う。
「だから闇属性でも活躍すれば他の属性みたいに貴族になれる。ってか、ここが異常なだけで他の都市ならちゃんとしたランクの冒険者評価を受けられるんだよ。闇属性専用の特別重税とかもないしな」
ここが異常なのはこの都市の都市長家系が光属性絶対主義者だからなのは知っているが、ここまで言われれば流石にこの都市に留まるだけ俺の人生にとっては損失なのだということぐらいは理解できてしまう。
なぁ、とフウマの爺さんは俺に問う。
「もう、幼なじみの聖女とやらのことはいいんじゃねぇか? おめぇは十分がんばったよ」
「……ああ、うん。それは、そうだよ」
「じゃあ逃げろ。さっさと逃げろ。
「プレゼント?」
「いいもんだよ。へへ、地図データと合言葉を教えてやるよ」
言いながらデータの詰まったチップを渡され、爺さんは立ち上がると「行くならさっさと行けよ。どうせ別れを告げる相手もいねぇだろ?」と言って去っていく。
「別れを告げる相手って……」
――爺さんぐらいなんだが。
俺の心中の呟きは、誰にも届かず消えていった。
◇◆◇◆◇
コタロウ・フウマ。ギルドを出た闇属性の老冒険者は背筋を曲げて、開拓都市オウギガヤツ内をゆっくりと歩いていた。
黒いローブで小さな老躯を覆ったその姿は、人々の目には惨めな闇属性にしか見えず、その存在を記憶に止めようという者は少ない。
「ああ、そうだ。学園を辞めたタイミングの直後に仕掛けて正解だったな。守護龍が決めた英雄の卵たるゲンジョウ・ミカグラに対する工作は終了できた。奴の脱出を見届けたら俺もすぐに都市を出る」
フウマの老人はぼそぼそと口元を動かしていた。その言葉は通常の言葉のようにも聞こえるが、傍で聞いたところで頭には入らず素通りするだけだろう。この老人の言葉には、そういった欺瞞を脳に発生させる魔法術式が込められている。
「ああ、わかってる。最後まで油断はしない。都市龍の楔がどうしてか全部外れてたのは誰かの意図があってのものだろう。その誰かさんもゲンジョウを都市から出したいのは同じ。奴が都市を出るまでは俺たちと協調するだろうさ。そしてもちろんだが、そのあとの勧誘はてめぇらの仕事だ。お膳立てはしてやったんだ。うまくやれよ」
ローブ姿の老躯のフウマ老人がふらふらと路地裏に入っていく。そして出てきたときは若々しい青年の姿になっていた。
マテリアルを利用した肉体操作の術式はいくつかある。高ランクの【肉体改造】や【自己改造】などだ。
また自分を老人に見せかける術式などもある。【闇魔法】もそうだが【幻術】【光魔法】などもその候補に入った。
(……しかし、馬鹿な都市だ。都市龍が加護を与えないと生まれない聖女、その幼なじみが闇属性で、発生する異界も闇属性なのにだ。都市龍が決めた英雄はゲンジョウでしか有り得ないだろう。なぜ迫害するのか。そこまで光属性絶対主義が大事なのか)
老爺だった青年の内心に疑念が溢れる。特にゲンジョウの固有能力は他の都市からしてみれば脅威すぎた。
死体を蘇生できる死霊魔術。つまりかつての英雄たちを蘇生して戦わせることができるというもの。
そしてランクⅤの異界に挑めるのがゲンジョウ単独であっても、死霊魔術であれば問題がない。
異界の中で殺した怪物を手駒にし続ければ、マテリアル収支による規模の大小はあれど、個人で軍団の作成ができる。
ゲンジョウ・ミカグラは最強クラスの英雄の卵――だった。
そんなゲンジョウだって聖女をうまく使えば手懐けることは容易かっただろう。
そうなれば異界攻略後の他の都市との戦争でも優位に動けたはずだった。
(そういう意味ではゲンジョウを迫害してくれてありがとうとしか言えないんだが……)
もはや全ては過去のことだった。
「わからん。ほんっとうにこの都市はわからん」
都市長の血族が過去に闇属性迫害を決めた宗教の枢機卿であったとしても、為政者ならば時代に沿った考えをしないのはコタロウ・フウマの視点からすれば不合理にすぎた。
ゆえに開拓都市オウギガヤツと対立する守護都市ホウジョウの潜入エージェントである、【忍術】の固有能力持ちであるコタロウ・フウマは理解できん理解できんとしきりに呟きながらも所属都市からの指示に従い、工作を終了する準備を始めるのだった。
彼は知っている。
――ランクⅤ異界の解決手段を失うこの都市は滅ぶ。
守護都市ホウジョウはそう判断した。貴重なエージェントであるコタロウに撤収指示を出すのはそのためだった。
なお余談であるが、コタロウ・フウマとゲンジョウ・ミカグラの縁の糸がつながっていた理由は単純なものだ。
縁結びの魔法たる赤糸結びは本来、補助呪文という分類に入るそこまで強くない魔法術式だ。
神に等しい都市守護龍が用いていたものならともかく、
銀色の少女が強力につながっていた、ゲンジョウと聖女の繋がりを破壊できたのは都市の闇属性迫害政策という強力な力添えもあったためだ。
だからこそ淡い思い出や曖昧な恋心など関係なく、強力な個人が強い意思を持ってゲンジョウと繋がろうとするならば、死体の少女の妨害はほとんど役にたたない。
強い意思でゲンジョウに接触してきたがゆえに、コタロウとゲンジョウの縁の糸はがっちりと繋がり、結びついていた。
それはコタロウがこの都市に潜入していた目的がゲンジョウだったからだ。
闇属性異界ランクⅤが生まれるであろう土地に、守護龍に守られた都市にそれに対抗する英雄が生まれないわけがない。
そして開拓都市オウギガヤツであるならば、闇属性の英雄はろくな扱いを受けず、うまくすれば引き抜きができるだろうとコタロウの上司は考えた。
だからこそコタロウはゲンジョウをしっかりとマークし、彼の生活をサポートし続けた。
そのつながりは強固だった。聖女であるヒジリ・ナガオや他の少女たちのように、ちょっと突けばほどけるようなものではなかった。
それだけの話であった。
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