第4話
安アパートの一室、電灯もついていない薄暗い部屋。煎餅布団に横たわり眠っている青年の顔を死体の少女が見下ろしていた。
「…………」
ヴェールと眼帯で隠されていてもその感情は明らかだ。
にこにこと、それがとても素晴らしいことのように、少女は青年をずっと見下ろしている。
ついさっきまで少女の身体で己が性欲を青年が発散していたことすらも嬉しいかのように少女は笑っている。
ふと、その視線は宙に向いた。彼女にしか――特殊な魔法を修めた者にしか見えない赤い糸が青年に向かってするすると向かっていく。それをぺい、と少女は打ち払う。打ち払われた赤い糸は力なく色を失っていくとそのまま繋がりを得られずに消えていく。
これは神聖魔法が一種、縁結びの魔法である【赤糸結び】という術式である。他者と他者とのつながりを赤い糸という形で認識し、それを結ぶことで繋がりを強化し、人々の仲を取り持つもの。
ただし、これを少女は縁の破壊に使っていたが。
「残念ですが、このひとはこれからもずっと永遠にいつまでも私のものなので。くすくす」
青年の前では意思のない死体を装っているためか、青年に抱かれているとき以外はあまり出さない声で少女は楽しげに呟く。
とはいえその声音は青年を起こさないためにか密やかだ。その少女の目がまた現れた糸に向かって呆れたように言う。
「飽きずにまた別のお嬢さんまで。私、都市の守護龍が決めた性格肉体ともに相性最高の一流の男と二度と会えなくして、普通の女たちと同じように、周囲の男と恋愛できるようにしてあげただけなのに。どうして私のゲンジョウさんと繋がろうとするのか。身の程をわきまえてそのへんの二流三流の男で我慢してほしいものです。ぷんぷん」
少女は糸を打ち払う。糸を打ち払う。何度も何度もやってくる糸を打ち払う。だがそれも当然だ。これは都市の守護龍が、聖女が機能不全を起こした場合の
この少女が繋がりを切った見目麗しい女たちの数は十や二十ではきかない。
十万人都市の守護のために、数百はいる――いたのだ。
それらの女たちが無意識に持つ願望。ゲンジョウと再び出会う未来を得るために、無意識に、無自覚に縁の糸が飛ばされてくる。
とはいえ通常ならば、縁を断ち切れば天運なければ二度とは会えない。
ゆえにこれもまた、守護龍が女たちに与えた権能だろう。
バックアップの女たちが思い出せなくとも、残しているゲンジョウとの記憶を触媒に、運命をつなげることで都市の未来を守ろうと行われる
「でも、意味ないですよ。もう時間全然ないですし、ほとんど全員、純潔も失ってるでしょう? 祝福の純度が下がりきってるから今更ゲンジョウさんとつながれたところで聖女のサブプランとしては意味がないのです」
少女の呟きには呆れの意味合いも含まれている。
どのような立場、どのような状況にゲンジョウ・ミカグラが陥ってもゲンジョウの助けになるように女たちは綿密に運命を配されて設置されていたはずだった。
とはいえ、その手助けは都市法によって些細なものでしかなかったし、そもそもが少女が言うように現状ではなんの意味もなくなっている。
それは女たちが
運命より解放された女たちは九割以上がすでに都市の男たちによって、ただの美人・美少女たちとして消費されてしまっている。
もちろん人としてなら、ただの女としてならそれでも問題がなかった。
人間性と処女膜の有無は関係がない。
性格や人間性の相性は処女膜ではなく脳が作るものだからだ。
そも、そのときにフリーであるならば過去にどれだけの異性を付き合いがあろうと不貞には当たらない。浮気でもなんでもない。当然の一般常識。
だが守護龍が求めていた役割からすると、一度でも男と通じてしまえば女たちは
祈りは、特別な女がただの一人に生涯を通して捧げるからこそ、特別になるのである。
それが誰にでも与えられるのであれば祈りは平坦となり、平均化された質へと落ちていく。
女たちは処女でなければならなかった。ただ一人のために祈りを捧げる純潔の者でなければならなかった。
――ゆえに都市に滅亡を齎す、百年に一度の災害を鎮める戦士の伴侶は、この都市にはもう残っていない。
「……そういう意味ではごめんなさい、ですよね。まぁ私は別に、都市の興亡には興味なかったんですけど……」
でも、と少女は青年の顔を見下ろす。あどけない寝顔。
汚れや陰さえ取り払ってしまえば、そこにあるのは道行く女が十人中八、九人は振り返るような、端正な
「でもでもこの都市が、私が一目惚れしちゃった男をですね。謂れなきことで虐げる糞都市だったんじゃあ、滅んでもしょうがないですよねぇ?」
ふふふ、あはは、と少女は鈴を転がすような楽しげな音色の声で密やかに嗤う。
『死者忠誠度最大』アプリが与えるのはただの反逆防止の要素であって、積極的な忠節や愛情ではない。
――そもそもが、この死体は
ゆえにこそその感情は作られたものではなく、この死体が抱く、この魂が抱くそれは――
◇◆◇◆◇
「――そう、そうよ。別れるって言ってんでしょ! 何度も言わせないでよくっだらないことを!!」
夜の繁華街、スマホ片手に少女が怒鳴り声を上げた。
その少女の隣には馴れ馴れしそうに彼女の肩をつかむ男がいる。男の手が少女の上着の襟から中へと侵入していく。胸を揉もうとしているのだ。
だが、少女が男に向かって面倒そうに手を振り、邪魔しないでよと言えば男は口笛を吹いて苦笑して離れていく。少女と男は何度も付き合いがあった。このようなことも、子猫の癇癪にも似ていて微笑ましいと男には思われている。
「はいはい。わかってないわね。アンタみたいなつまんない男とはもう付き合ってられない――ちょっと、うるさい、わかってるって! ホテル代そっちもち! 3万! 避妊はしてよね! ちょっと何? アンタには言ってないわよ。売り? 知らないわよ、一晩付き合って上げたらお金くれるって話だから! 身体なんか売ってないわよ! で! 私はね! つまんないアンタとはもう別れるって言ってんのよ! わかった? もう連絡禁止! 以上! じゃあね!!」
スマホの通話終了を勢いよく押した少女が「話終わったから」と男に向かって言えば男は「何人目の男だっけ?」と男は少女に問いかける。
一般的に見ても十分以上に美少女然とした少女は「さぁ? 十人目ぐらい?」と自分でもどういう基準かわからないカウントでそれを言う。
最初の男は幼なじみの少年、ファーストキスと処女を捧げ、付き合って三ヶ月ぐらいでなんとなく違うな、という感触から別れた。
次が学校の先輩、次が近所の青年、次がアルバイト先の後輩――様々な男と遊び歩いてきた。
――恋って、もっと楽しいものだと思ってたけど。
楽しいけど楽しくないし、付き合ってるときはドキドキするけど時間が経つとたいしたものでもなくなる。セックスはまぁそこそこ、クスリキメながらはちょっとだけサイコーなんて思いながら少女はふと、顔も思い出せない男との付き合いを思い出す。
恋人ではなかった。少女の母親がやっている下宿にいた闇属性のお兄さんだ。
――おにーさん。おにーさん。おにーさん。
思い出す。淡い恋心だった。まるでそれは飴玉のように甘い恋心だった。彼が周囲に虐げられてても、少女には関係がなかった。話しててずっと飽きなかった。一緒にいて嬉しかった。彼の周囲に女の人は自分ぐらいしかいなかったから、きっと恋人になれると思ってた。黒いフードから覗く、彼の優しい視線が好きだった。
――もはや顔も名前も思い出せないけれど。
少女がふと会いたいなと思えば、彼女にうっすらと残っていた、この都市を守護する神域の存在より授けられた微かな力が弱々しくも力を発揮した。
彼と縁を結ぶべく天命を配そうとする。するすると、ただびとには見えない赤い糸が都市の上空へと昇り、他にもこの都市で彼の記憶を残し、彼の名残を惜しむ女たちの願いを乗せて、糸は彼へと向かっていく。
遠方にいたならば糸は届かず、想いも届かなかっただろう。
だが、この都市にまだいるならば――きっと彼と少女は再び出会うことができた
――そこに
ぺい、と銀色の髪の少女が、女たちの願いを無情に払い除けた幻視が見えた気がした。しかしそれを少女は認識できない。ゆえにスマホを片手に持っていた繁華街の少女は「終わったんならホテル行こうぜ」と男に誘われ「はーい」とつまらなそうについて行く。
彼との縁がつながっていたならば、けしてなびかなかった男にすらなびいてしまう現状を彼女は嘆かない。
それは別に不幸でもなんでもない。少女ぐらいの年齢の美少女の性が消費されるのは、珍しいことではないからだ。
それに少女の友人もやっていることだった。
美しい少女に、男たちが群がるのは当たり前のこと。
男だけが女を貪って、女が男を貪って悪いわけがない。
とはいえ、以前はなんとなくピンとこなくて誰とも付き合わなかったけれど、いつしか別になんとなくでいいからと男たちと付き合うようになって――
夜に少女は消えていく。一夜の快楽を味わうために。
――都市の守り、そのバックアップは破壊されていく。
◇◆◇◆◇
TIPS:復縁を求める欲求
主人公と縁が途切れたために女たちは悪い男に捕まった――というわけではない。
主人公以外の男と結ばれないように運命によって保護されていた最高の女たちから保護がなくなっただけの話。
無数の男たちに群がられ、今まではなんとなく彼らを気に食わないと思っていた彼女たちが、なんとなく付き合ってもいいかなぐらいの感覚になったことで男たちを選別せずに付き合った結果、女たちの中の何割かが悪い男に引っかかったというだけの話。
別に珍しい話でもなんでもない。
主人公の担任の女教師のように、きちんと相手を選別し、交際し、結婚にまでたどり着いた女もいる。
ただ、そういう人間でも違和感は残っている。
自分はもっと素晴らしい男と結ばれるはずだったのでは――という違和感が。
それは神の視座より選ばれた、人間としての相性が最高の相手と縁が結ばれていた名残だ。
それもやがては消えていくけれど。
ただし、滅びゆく都市に残った彼女たちの命が、名残が完全に消え去るまで残るかはどうかは、神のみぞ知る。
◇◆◇◆◇
・開拓都市オウギガヤツ第二アプリ研究所、主任研究員■■■■博士の会話ログ ■■■■年/■■月/■■日/15:03:11
■■■■博士:やぁ、アプリの開発状況はどうだい?
■■■■社派遣社員:現状アプリ容量もマテリアル消費も度外視してランクⅡまでです。だいたい他の属性ならともかく、暗黒属性異界はそもそもの出現数が少なくて、資料となるデータがほぼないので暗黒汚染耐性Ⅲ以上は現状どうやっても無理ですよ。
■■■■博士:そうか。だが都市長からは半年以内までにランクⅤをと言われている。
■■■■社派遣社員:いやいや、無理ですって。王都の本社からもデータを送って貰っていますが、時間も予算もサンプルも足りません。通常の瘴気汚染ならばいざしらず、属性汚染に関しては人間が持つ生来の属性耐性をですねって、あー、主任もわかってるでしょう!! こんなの異界学の初歩も初歩ですよ! 高ランク暗黒属性異界に光属性なんて向かわせたら
■■■■博士:もちろん。もちろんだともさ。だが都市長から莫大な研究費を貰っている以上は相応の仕事をしなければね。
■■■■社派遣社員:あー、もう。半年以内にこの都市近郊にランクⅤの暗黒属性異界が出現するっていうのに呑気なものですね。
■■■■博士:呑気なものか! 妻と娘はとっくに王都に逃しているぐらいだぞ、私は。
■■■■社派遣社員:うわぁ……自分は情報持ってるからって、ドン引きですよ。
■■■■博士:家族を永遠の暗闇に引きずり込まれたくない私の愛だよ。愛。
■■■■社派遣社員:そうですか。まぁ私も逃げますけどね。
■■■■博士:それで、だ。アプリの開発状況はどうだい? 希望は持てそうかな?
■■■■社派遣社員:無理です。不可能ですよ不可能。それより博士、さっさと守護龍が決めた本来の英雄とやらを探し出して、その彼ないし彼女の能力補助のためのアプリを作らないと! 都市が滅んでからじゃ遅いんですよ!
■■■■博士:(無視)。アプリの開発状況はどうだい? で、これは独り言だが光属性絶対主義のこの都市では、闇属性の英雄など必要はないと都市長は仰せだ。そして君が以前に王都に送ったこの都市の報告は都市のエージェントが握りつぶしている。
■■■■社派遣社員:(罵倒)(罵倒)(罵倒)。ご自慢の光使いの息子が暗黒汚染で無駄死にしてから後悔しやがれ。クソ都市長が。
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