第3話


「……ゲンジョウ、久しぶり……」

「ヒジリ、か?」

 校門にいたのはヒジリだった。ヒジリ・ミヤガワ。

(いや、今はヒジリ・ナガオだったか)

 高位の貴族の養子になった、んだったか?

「久しぶりだな」

 ヒジリは黒い髪の美しい少女だった。かつての幼いときの記憶。結婚しようね、という甘い約束を思い出す。

(過去のこと、だな。お互い、もう気軽に会えるような関係でもない)

 ほんの少しの郷愁とかつての恋心の混じった奇妙な苦い味が舌に昇るも、俺の感想はそれだけだ。

 誰の邪魔もなく、正面に立って、実感する。


 ――かつてのような、恋い焦がれるような、全てを欲するような感覚がない。


 まぁ引き離されてから八年も経っている。日々の積み重ねも、鮮烈な記憶もないのだ。

 当然の感慨。そんな俺の感傷を知ってか知らずかヒジリが言う。

「ああ、久しぶり。会えて……会えてよかった。お前に会うために、お前が来たら私に連絡が――あれ?」

 そう言って、ヒジリは俺に向けて奇妙な顔をした。

「ゲンジョウ……何かあったか?」

「いや、何かと言っても」


 ――何もない・・・・


 本当に、何も。

 愛おしいとか。懐かしいとか。会いたかったとか話したかったとかそういう感情が全くない。


 ――銀色の髪の少女が嗤っている。あははは。ははははは。ほぐして、ほどいて、引き抜いてやった! 引き抜いてやった!! あはははは!! お前ヒジリはそれを認識できない!! させてやらない!!


 雑音ノイズ認識不能わからない。いや、目の前、だな。美しいヒジリ。かつて俺が恋した女。あれだけ恋い焦がれ、いじめ抜かれてもこの学園にいたかった俺が……もはやヒジリには何も感じていないのは笑えることか? 笑っていいのか?

(本当に、脳がどうにかしちまったのか?)

 自分の変化の凄まじさにちょっとした動揺を抱きながらも、俺は言う。

「何も、ない、な」

「そ、そうか……私は、お前に言いたかったことが」

 あれ? とヒジリは俺を見て「おかしいな。お前に会ったら言わなくちゃいけない言葉があったはずなんだが」と首をしきりにひねっている。

「とても重要な……言わなくちゃいけないことが」

「思い出せないってことは大して重要じゃないんじゃないのか?」

「そんなはずは……ッ――!」

 俺の言い方に怒りを顔に浮かべたヒジリが何かを言おうとして「そうかも? あれ?」なんて戸惑っていたが「ヒジリ!!」と誰かの言葉にその怒りを遮られる。

「ヒジリ! ようやく見つけた……って、お前は」

 睨みつけるようにして俺を見てくる男――ええと、と俺は思い出すようにして彼が『光使い』で都市長の一族の嫡男で、ヒジリの婚約者であることを思い出す。

 俺をいじめ抜いていた男は俺を見て「誰だ? 黒ローブ? 闇属性か。ヒジリ、知り合いかい?」と問いかけている。その手がヒジリの肩に周り、抱き寄せるような形になっている。だが俺の心は傷どころか、動揺一つなかった。


 ――ああ、本当に、俺はもうヒジリのことをなんとも思っていないのか。


 ヒジリは「い、いや、私は、あ、あの、ゲンジョウと」抱き寄せられている姿を俺に見られたくないのか、少し彼に抗おうとして「おいおい、昨日の夜はあれだけ激しく抱いてやっただろ? 抵抗すんなよヒジリ」なんて言葉に顔を赤く――というより青くして俺を見る。なぜ俺を? ヒジリ、やましいのか? なんで? 婚約者だろお前ら。

 なんだか馬鹿らしくなって、俺は黒のローブについているフードを深く被った。

「……いや、邪魔したな。俺、帰るわ」

 どこかでぷつり、と俺とヒジリの間を繋いでいた最後の糸が切れたような感触を覚え――首の後ろを撫でながら俺は去っていく。

 去ろうとする俺に何かを言おうとしたヒジリだったが、瞬間、どこかきょとんとしたような顔で俺を見ていた。

「あれ? ゲンジョウ? あれ? 感覚、が。え? なんで?」

 戸惑ったように何か言っていたが、俺が校門を出て、しばらく歩いていれば、彼女はもはや彼方だった。


 ――くすくすくす。ヒジリさん、ざーんねん。ゲンジョウさんは私が貰っちゃいましたよー。


 どこかで聞いたような言葉が耳に届くも、全ては風に流れていく。

 途中で見つけたバスに乗り込みながら、どこか他人が住む街のようにしか見えない都市を、バスの窓から俺は見る。

「なんだか学園辞めたらすっきりしたな。心残りもなくなった、っていうか。長期探索やりつつ、どこか別の都市に行こうかな」

 闇属性でも優遇してくれる街だってあると聞くし、というか王都なんかじゃ闇属性の貴族だっているらしいというのに。この街は闇属性をずっと迫害し続けている。

 どうして、なぜ俺はこの都市にずっといたんだろうな。

 闇属性を異常に排斥して、光属性を異常に優遇する。開拓都市オウギガヤツ。

 こんな住みにくく、何ひとつ良い思い出のない街に、どうして、どうして八年も俺はいたんだ……?


                ◇◆◇◆◇


 どこかであはは、あははと少女が笑っていた。くるくると回って、大願の成就を祝っていた。

 少女は、銀色の長い髪をした、瞳に十字の聖痕が刻まれた金銀妖瞳の娘だった。

 手には二年かけて都市の全ての人々から引き抜いた赤い糸えにしがある。

 ゲンジョウ・ミカグラを都市に縛り付けていた縁の糸。彼と結ばれる恐れがあった、本命と予備の女たちが保有していた赤い糸。

 そして、彼女は笑いながら、手繰るようにしてそれを自分に繋げていく。

 ああ、これで彼は私のものだ。その感慨を少女は抱く。

 ずっとゲンジョウの心をこの地に縛りつけていたものを、今日このときにようやく全て解いてやったのだ。

 都市の守護龍が用意した、運命の女たちが持っていた、ゲンジョウと結ばれるための縁の糸を全て引き抜いてやった。

 政治的な、人間の事情で引き離されようとも、これがあったために彼女たちは彼とどうやっても再会することができた。

 銀色の少女が二年をかけて作り出した綻びさえなければヒジリは光使いの男に唇も身体も許さなかっただろう。

 だが、彼女は他の男に身体を許した。他の有象無象の女たちならば傷にならないそれも、聖女の彼女はやったならば別だ。祝福は淀み、本命のゲンジョウに与えるはずの恩恵は一等低くなる。それは隔たりとなって、彼と彼女の距離を開けた。開けた距離の分だけ、えにしはもろくなった。複雑に絡み合った縁の糸はそうやってどんどん細く、脆くされた。そして、こうして最後の糸さえも少女は引き抜くことができた

 もはや二度とゲンジョウとヒジリの運命は交わらない。

 そのことに少女は歓喜の声をあげる。

「ゲンジョウさん! ようやくですね! ようやくですよ!! このホワイトヴェールが! 貴方のホワイトヴェールがやってやりました!!」

 楽しげに少女は笑っている。そして全てを嘲笑っている。

「貴方を縛り付けていたこの都市から! やっと出られますよ!! 私と! 貴方で!! ふふ、はは、あははははははは!!」

 嗚呼!! と少女は感極まったように叫び、天に向かって祈りを捧げる。どこともしれぬ地で、どこともしれぬ空に、彼女は祈る。

「女神よ! この喜びを貴女に! 私の歓喜は! 歓呼は! 天に! 空に!!」

 とろけるような笑みを浮かべ、彼女は歌うのだ。


 こうして十万人都市である第二十五開拓都市オウギガヤツの滅びの訪れが、誰に認識されることなく決まったが、唯一それを知る少女は喜びとともにそれを無用と気にかけることすらなかった。


                ◇◆◇◆◇


 家に帰ってくる。都市の下層に位置するアパートメントの一室だ。

「ああ、何も盗まれてないっていうか……盗むものないしな」

 押し入れから唯一の家具である布団を取り出し、ふと思う・・・・

「そういや最近ご無沙汰だったしな。久しぶりに抱くか」

 黒のローブを床に放り投げるとホルダーからスマホを取り出して、『死霊魔術Ⅱ』のアプリを起動、同時にアプリ『冒涜の墓穴Ⅰ』から設計図・・・となる死体情報も取り出す。

「召喚、ホワイトヴェール」

 腰にぶら下げているマテリアル回収装置から【10】のマテリアルを消費し、空間に投影された魔法陣の上にそれが生成された。


 ――銀色の髪の、少女の死体。


 俺の脳に刻まれた固有能力ユニークである『死霊魔術』は死体を、生きているように動かせる。

 そういうアプリだ。

 禁忌だの、邪悪だの、穢らわしいだのと俺が都市の市民から強力に排斥された理由の一つだ。

 といっても、俺が持っている人間の死体はホワイトヴェールだけだ。

 都市民の墓を荒らしたり、人を殺したりなんてしたこともない。下手な冒険者よりも法律だって守ってる。

(闇属性ってだけで、この都市は俺を虐げた)

 人間の死体を蘇生してみたのも、抱いてみたのも、そういう鬱憤が理由だったのかもしれない。

 ただ、ホワイトヴェールの死体を持っているということは、俺は都市や都市の住民には秘匿している。

 死体を持っているとか、知られて嬉しいことが何もないためだ。

(第一、都市民の死体じゃないしな。こいつは)

 ホワイトヴェール。そう名付けた少女の死体は、長期探索の際に訪れた、古いだけが特徴の安全な異界でたまたま拾ったものだ。

 経年劣化でボロくなってたから捨てたものの、いい仕立ての服を着ていたから、たぶん金持ちの令嬢が旅行中にでも遭難して死んだんだろう。

(だからバレても怒られることはないと……思う)

 異界に落ちているものは死体でもなんでも利用していいと冒険者法で決まっている。あんまり冒とく的なことをすると邪教扱いで指名手配されるが、固有能力で死体を利用するものは闇属性以外にも存在するから、蘇生して動かすだけなら問題ない、はず。

(問題ない、よな?)

 そんな俺の考えを知ってか知らずか、召喚された銀の髪をした、少女の死体はとててと俺に向かって歩いてくると、俺の身体をぎゅっと抱きしめてくる。

 抱きしめろとか命令していないが、こいつはよくこういうことをやってくる。

 たぶん『死霊魔術』の補助アプリである『死者忠誠度最大』アプリの効果だと思われる。

 これがないとゴブリンの死体とかを利用したときに、死体の反乱に悩むことになるため、『死者忠誠度最大』は全ての死体に自動適用していた。

「まぁ美少女の死体だからな。抱きつかれて悪い気はしない」

 呟けば、喜んだのかホワイトヴェールがぎゅうぎゅうと俺を強く抱きしめる。

 ホワイトヴェール――長い銀色の髪をした少女の死体。

 ただし顔は剥がせない眼帯で覆われ、取れない白いヴェールで顔を隠している。

 といっても俺はその素顔を知っている。ヒジリ以上の絶世の美少女だった。生きてたらきっと歴史に名を残したかもしれない。オウギガヤツ三大美女とかそんな感じで。

 で、なんで隠されている素顔を知っているかと言えば、異界でほぼミイラのようになっていたこの少女の死体を、『肉体改造Ⅱ』のアプリで死体情報から推測される生前の姿に戻したのは俺だからだ。

 ちなみに通常、人間の死体は異界の怪物に食われるか、瘴気に飲まれてゾンビやスケルトンなどの怪物に変化するために異界で発見できることはそうない。

 ホワイトヴェールは例外だ。強い神聖魔法の固有能力を持っていたために無事に残っていたのだ。

 閑話休題それはそれとして

「さて、ホワイトヴェール」

 俺の前に佇んでいるホワイトヴェールをどうして召喚したかと言えば、戦闘に使うわけではない。ここは都市の中だからな。どこかに討ち入りするわけでもない。

「まずは俺の身体を綺麗にしてくれ」

 ホワイトヴェールの脳には抽出してアプリ化した『神聖魔法Ⅱ』アプリが刻印してある。

 それゆえに彼女は体内にあるマテリアルを利用して神聖魔法を使えるのだ。便利な死体である。

「『清浄』」

 指示を聞いたホワイトヴェールが、鈴のなるような美しい声で聖句を唱えれば俺の身体に『清浄』の魔法が作用した。

 浄化の光が俺に当たり、今日の異界探索で身体にまとわりついていた埃だの汚れだのが消えていく。おおぉ、気持ちいい。落ち着くなぁ。俺は闇属性だからこれ、かなりの大金積んでもこの都市の教会じゃやってくれないし。これだけでもホワイトヴェールを蘇生した甲斐があるというものだった。

「あんがと。あとは飯だな。そのあとはお前、今晩俺の相手しろよ」

 こくこくと頷き、どうしてかウキウキした様子で狭いアパートの一室に設置してある調理スペースに向かうホワイトヴェール。

(死体だから感情なんてないはずだが、楽しそうだなあいつ。まぁいいか)

 俺はあんまりにも虐げられているから、脳みそが壊れてしまっているのかもしれなかった。

 それでもなんの問題も感じなかった俺は次の探索予定でもと、スマホのカレンダーアプリを調べたり、メモアプリに長期探索用の予定物資に何を用意するかなんて書き込みつつ、ふと頭に引っかかることがあった。

(ヒジリに興味を失ったのって……ホワイトヴェールのせいか?)

 闇属性持ちだと娼婦相手にも馬鹿にされるせいか、俺はこの都市で一度だけ娼婦を使って以来、娼婦を買う気にはなれなかった。

 じゃあ一人でシコシコ性欲解消をやっていたのかと言えばそんなことはない。

 今もキッチンスペースでぴょこぴょこと楽しそうに動く少女の死体が理由だ。あれを俺は性欲の解消に使っていた。可愛かったからな。

 もちろんいくらかの努力をした。

 死霊魔術といってもただ蘇生しただけでは動く死体でしかないが、ホワイトヴェールに関しては肉体改造Ⅱアプリでかなり丹念に肉体を修復した。マテリアルも相応に使った。だからあの少女の脳は正常で、心臓も動いてるし、体温もある。

 魂がなく、死んでいるが、生体の反応を返すようになっているのだ。

 当然、少女の脳もきちんと生前と同じように再構成しているから、ホワイトヴェールは命令すれば自分で考えて料理だの洗濯だってできる。

 ないのは、魂が持つとされる自由意志だけだった。

(自分で考えても、やっぱり死体を性欲処理に使うのはなんかおかしい・・・・……おかしいか? うぅ……わからない……死霊魔術使いが迫害される理由ってこういうところなのかな? 倫理観? 倫理観が行方不明か?)

 ただヒジリ……ヒジリと恋愛関係でなくてよかった、というのは理解できた。

 前のように恋情を維持したままで死体相手に腰を振る俺の姿をヒジリに見られたらたぶん首を吊ってただろうから。さすがに初恋の女に死体と性行為をしている場面を見られたくない。

(そう考えると、ホワイトヴェールを初めて使ったときか? 俺のヒジリに対する恋情がなくなった瞬間は?)

「ご飯」

「おッ!? お、おう」

 びっくりした。考え込みすぎてて周囲へ注意がなくなっていた。

 とはいえ、ホワイトヴェールがなぜか強く俺の手を握り、ぐいぐいと食卓に向けて背中を押してくる。

「お? なんだ? 強引だな?」

 ホワイトヴェールがむんと胸を張って見せてくる食卓に並ぶのは質素だが、それなりに見栄えの良い食事だった。

 マテリアルを使って作られた食事とはいえ、料理の腕は関係ないとはいえない。俺だとマテリアル食材生成・調理器の動かし方が雑だから、ペースト状のナニカしか作れない。

 でもホワイトヴェールは生前に料理人か何かやっていたかのように料理がうまいのだ。やはり良い拾いものをしたなと思いながら、俺はうまいうまいと彼女の作った料理を食べていく。

 そして食後は、どうしてかニコニコとした雰囲気を出しているホワイトヴェールに誘われるままに、俺は彼女の肉体で性欲を処理した。


                ◇◆◇◆◇


 TIPS:魔法

 アプリを使用し、マテリアルを消費することで起きる現象。

 それは何もない場所に超高温の火の塊を生み出したり、何もない場所に氷の矢を生み出したり、損傷した肉体を一瞬で治癒したり、昼日中に暗闇を生み出したり、木もないのに木を生やしたりすることができる。

 『マテリアルを利用し、空間に作用させる異常法則』、略してマ法。

 これが長い年月を経て魔法と呼ばれるようになった。


 なおアプリを利用し、とはあるが、異界に出現する怪物たちや、魔法系の固有能力を授かった人間などは脳に刻まれている異常法則をマテリアルを消費して使うことができる(アプリよりも効率は悪いし、修練も必要だが)。


 冒険者の仕事には企業や都市に依頼され、マテリアルを消費して異常法則を現実に適用できる固有能力を持つ怪物を倒し、その固有能力が刻まれた部位や設計図を回収することも含まれる。

 また依頼がなくともこれらの素材は高く売ることができ、冒険者の主な収入源となっている。

 冒険者に自衛以上の戦闘力が求められる所以である。



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