第2話


(俺が学園にいかなくなった理由?)

 それを思い出そうとして、どん、と背中に人がぶつかってくる。

「きゃッ……気をつけなさいよ!! 黒のローブって、闇属性ぇ。うわぁ、穢れるわ」

 振り返れば女の子の冒険者だ。若い。顔を見たような……誰、だったか。


 ――赤い糸が散らばっている空間がある。銀色の髪の少女が笑っている。繋がり。記憶。印象。貴方はそれを認識できない。


 相手を俺を見て不思議そうな顔を一瞬だけ浮かべて「あー、先輩じゃないですか」と言ってくる。

「誰? 知り合い?」

 女の子の隣に立っていた男の冒険者が問う。その手が女の子の肩に回っている。

「知り合い……ってほどじゃないけど。一時期ちょっと世話になったぐらいで」

「へぇ、あ、闇属性のおにーさん。こいつ、俺のコレなんで、手ェ出さないでくださいっすね。ぶち殺しますよ」

「もー。恥ずかしいなぁ。じゃあね。先輩」

 ひゃはははは、と笑って二人は去っていく。馬車に突っ込まれた追突事故みたいな遭遇に俺は目を丸くするしかない。

 今去って言った女の子には先輩と呼ばれて纏わりつかれていた記憶がある。俺の方は当時、ギルドの人間に対して人間不信になって彼女を邪険にしていたが、その彼女はいつのまにか俺の周囲から消えて、彼氏を作っていたようだった。

 美少女だったので、顔面偏差値的に、順当に彼氏ができたのだろうと納得しながら俺はギルドを去っていく。

「で、結局今の子の名前、なんだったんだか……」


 ――去っていった冒険者の少女に向けて銀色の髪の少女が嗤っている。ありがとう。お疲れ様。そんなふうに嗤っていた。貴方はそれを認識できない。


                ◇◆◇◆◇


 町中を歩いてく。都市の中でも俺は誰にも気にされない。黒のローブを深く被って、顔を隠す。闇属性保持者は顔を無闇に見せてはいけないという都市法があるからだ。

 そんな闇属性で、人に言いにくい固有能力アプリを持つ俺は、昔は歩くだけで誰かが突っかかってきたり、嫌そうな顔をして水をぶっかけてきたものだが、今はそんなこともなかった。

(みんな、飽きたんだろうな)

 嫌がらせだってエネルギーを使う。そんなことを考えながら俺は歩いて学園に向かう。呼び出しか。なんだろうな。

 少し距離はあったが考え事もしたかったために、歩くことにした。どうせ俺のことなど誰も気にしない。

「しっかし俺、なんで学園のこと忘れてたんだろう」

 闇属性に対する税金がいくら高くたって、高い学費だって払ってたのにな。

「つか……なんで、学費払ってたんだ?」

 都市の住民の義務としては、冒険者ギルドに所属してマテリアルを上納してれば最低限果たしたことになる。

 俺が闇属性ゆえに最下級の市民レベルの待遇しか受けられないとしても、だ。

 もちろん待遇に不満はあるが、安全な壁のうちで暮らせて、たまにマテリアル製じゃない食料を食えるだけで十分、まともな生活ができている。

 もちろんいつか、まともな生活を……せめて奥さんぐらい欲しいなと俺は考えて――そんな俺の傍で誰かが立ち止まる。

「あ、あの! ゲンジョウくん! ゲンジョウ・ミカグラくんよね」

 問いかけに、顔をほんの少し上げた。

 ゲンジョウ・ミカグラ。それは俺の名前だ。

 久しぶりに呼ばれたな、なんて思って振り返れば記憶にかすかに引っかかっている人間の顔だった。

「ああ、大家さん」

 何年か前に住んでいた家の大家さんだった。確か、破格の値段で闇属性の俺を住まわせてくれて、たまに手料理もくれた人だった……ような。旦那さんを亡くしていて、娘さんが一人いるけど未亡人だったんだっけ?

(人間の記憶が曖昧すぎる。なんだ? 脳の病気か?)

 病院行った方がいいかな、なんて思いながらもこんな症状は都市内ぐらいだ。都市の外で活動する分には記憶も意識もはっきりするだけにどうにも行く気にはなれない。

 第一、闇属性はギルドの医療保険が効かないしな。最悪、診察だけで借金漬けにされてしまう。

「久しぶり、よね? ええと……あら? 私、なんで声かけたのかしら?」

「さ、さぁ? それを俺に言われても。ああ、いえ、知り合いだったら話ぐらい……するんじゃないかと」

 俺の助け舟に「そ、そうよね!」と顔になぜか喜びを浮かべ、大家さんは「ええと、そう、確か、娘と付き合ってたのよね? ゲンジョウくんは」と言って「いえ、付き合ってませんが」と俺が言えば「そう、かしら……そんなはずが」とぶつぶつと呟く。

 俺の記憶はこの都市の人間に関しては曖昧だが、流石に恋人がいたら忘れない。というか思い出した。そうだ。俺が彼女の家を出たのはこの人の娘さんに彼氏ができたからだった。

「大家さんの娘さんの彼氏は、彼女の幼なじみだった、はずですよ。というか確かそのことで彼に誤解されたくないからって娘さんに言われて俺が家を出たはずです」

「……そう、だったかしら。でもそれは、有り得ない・・・・・はず。だって私の娘は――ゲンジョウくんのことが好きだったはずなのよ?」

 意外な言葉に、びっくりする。大家さんが俺に好意的なのはそれが理由だったのか。

「そうだったんですか? それにしては……」

 思い出そうとするも、そもそもその娘さんの顔が俺の中では曖昧だった。記憶が曖昧というよりも印象がぼやけている。今、通りすがった人間並に記憶というか、印象が薄い。


 ――どこかで銀色の髪の少女が何か赤い糸のようなものを抜き出している。まーた繋がろう・・・・とする。私がいるから無駄ですけど。それを貴方は認識できない。


 でも、かすかに記憶はある。それを思い出せば俺は娘さんとやらと何度かデートじみたことをしたり、弁当を貰ったりしたような記憶があった。

 だが、最後に俺に出ていくように言ったときの、あの無関心に染まった顔を思い出すとどうにも好意的な印象を生み出すことは難しく、ゆえに俺も積極的に記憶を掘り出そうとは考えなかった。

(第一、大家さん含めて、彼女の名前すら俺には思い出せない)

 気まずそうな顔の大家さんと、どうにもいたたまれない気持ちの俺の顔がぶつかり合う。

「というか俺もちょっと行くところがあって、また話しましょう。今日は久しぶりに話せてよかったです」

「え、ええ。お願いするわね」

 なんて言いながら、ちらちらと振り返っていた大家さんも、俺の身体が人の波に飲み込まれて消える頃には全てを忘れたような顔をして、日常に戻っていく――もちろんそんなものは俺には確認できなかったし、彼女とは二度と話すこともなかったのだが。


 ――銀色の少女がくすくすと嗤っている。青年と分かれた大家の女に向けて、赤い糸を掴んだままの手を、ふるふると振っていた。さようなら。


                ◇◆◇◆◇


 学園にたどり着き、職員室を探して紙を渡せば担任教師らしき女教師が奇妙な顔をして俺を見てきた。

「ゲンジョウ・ミカグラ……私の担当生徒、なんだよな?」

 呟いてから「あ、いや、そう、そうだ。お前は私の生徒……生徒だったはず」と言いながら奇妙な顔をして俺を見る。

「なんでこんな記憶が曖昧なんだアタシは?」

「俺も、さっきここの学園生だったことを思い出しましたよ」

「なんかの精神的な攻撃を受けてるとか? ミカグラは冒険者だよな? お前、異界で怪物どもに変な攻撃食らってないか?」

「……たぶん、ないと思いますよ? そんな高難易度の異界には挑戦もしたことないですし」

「そう、だよな。そもそもそんな攻撃、アタシも知らないし」

 ただ、そういう意味でなら何か影響を受けたなら、たぶん俺にとっては攻撃というよりも救い・・なのかもしれない。

 俺にとって学園は良い場所ではなかった。他の学園生にいじめられたり、殴られたり、無視されたり、私物を壊されたり――あとは。

(……そう、そうだった。俺がこの学園にいた理由があったな)


 ――ヒジリ・ミヤガワ。


 俺の幼なじみ、『聖女』の固有能力アプリを持った少女。

 結婚の約束すらした黒髪の少女の姿を思い出し、俺は同時に苦い記憶をも思い出す。


 ――十歳のときの能力裁定のことだ。


 都市の市民は十歳のときに、頭の中にある固有の能力を取り出してアプリにする作業を行う義務がある。

 能力をわざわざアプリにするのは、そうすることで制御を容易にできるためだ。それに修行だのなんだので体内魔力を活性化させて呪文を詠唱して云々よりもアプリを通じてマテリアルを適量消費して使用した方が能力の効率も良くなるからだ。

 で、だ。その裁定で幼なじみのヒジリは光属性を持ち、『聖女』の能力を持っていたことが判明した。

 幼なじみでお隣さんだった彼女は家族とともに都市の上層へと招かれることになった。

 栄光の道だな。稀にあるエリート都市民になる夢のルートだ。

 反面、俺は最低の道を歩むことになった。

 固有能力が『死霊魔術ネクロマンシー』の能力であることと、闇属性であることが判明して、生家から絶縁されて都市の底辺をさまようことになったからだ。

 そんな底辺の道をさまよい、なんとか冒険者見習いを卒業したあたりで俺は学園に入学することになった。

 わざわざ高い入学金に学費を用意して、学生たちにいじめられる危険を犯してまでここに来た理由。

 それは、ヒジリがいるとわかったからだ。

 彼女と再会するために俺はここに来て――ああ、そうだ。思い出した。酷く最低な目に遭ったんだよな。

(ヒジリに婚約者ができていたなんてな)

 婚約者は都市長の長男だかなんだかの『光使い』の固有能力を持つ男だった。

 顔はいいが性格はよくなく、ヒジリに幼なじみだという俺がヒジリと再会して親しげに話したことを知った奴によって、俺はこの学園でいじめ抜かれることになった――のだが。ふと先生の机にあるものに注意が向く。男と写っている先生の写真に、結婚式場のパンフレット、か?


 ――くすくすと銀色の髪の少女が嗤っている。彼女は手に持った赤い糸を地面に放り投げてまた一人脱落ですね、と言う。貴方はそれを認識できない。


「ん……あれ? 先生、結婚するんですか?」

「ん? ああ! そうなんだよ。今度結婚式をあげるんだ」

 にっこりとした顔の先生に対し、俺はおめでとうございます、と言ってから、そうだ、と思い出すように言った。

「なんかずっと学園に通ってなかったし、俺、学園辞めたいんですけど」

「え、今言うのかよ。話題の転換が唐突すぎる……ああ、いや、そうだな。闇属性のお前が高額の学費収めるのは辛いだろうしな。わかった。処理しとくよ。書類はギルドに送ればいいか?」

「いえ、ここで書いちゃいます。てか、知ってます? 学園に来いって通知、受付で半年してから渡されたんですよ。まったく、すぐ渡して貰ったら俺だって、もっと早く学園辞めれたのに。つか俺、なんで学費ずっと払ってたんだ? 行きもしない学園に」

 首をひねるものの、そのあとは先生と一緒に事務室に行っていくつかの処理をして、俺は学園を辞めることになる。


 ――そして校門で、彼女に再会した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る