第二話 絲縁の瞳(中)

 緋真たちは和室にいた。三ヵ月前まで久子が寝室として使っていたが、空気が悪いという理由で今は一階の別室を使用しているらしい。

 確実にこの部屋に何かある。

 縁は部屋の中央に立つ。

「僕が神隠しされかかったら、みんなで引っ張ってね?」

 即座に狛獅が縁の手首をパシッと掴んだ。縁はそれに安堵したように微笑めば、長い長い睫毛に縁取られた紫水晶アメシストの瞳がキラリと瞬く。そして目を閉じ一呼吸———開眼。

 瞳がわずかに光を放っていた。

(来た……)

 八雲家。八雲財閥の長にして侯爵家。日本でも著名な一族であろう。

 しかし神の血を引く『現人神あらひとがみの一族』だと知るのはほんの一握りだ。

 根拠なく崇められてるわけではない。八雲の血にはとある異能ちからがある。

「……

 縁は紫水晶アメシストの瞳で寝室をぐるりと見渡し、抽斗ひきだし付きの文机を指した。どうやら普段遣いらしく、抽斗の中には文房具や封筒が雑多に詰められている。縁は迷いなく小箱を手に取り開ければ……中には指輪が入っていた。

「うん。これが一番、手形がびっしりついてるよ。部屋の空気が重いのはこれが原因」

 八雲の魔眼。それこそが彼らの神秘、その真髄。八雲一族には未来視や千里眼、霊視と言った特殊な瞳を持つ者が数多く生まれる。特に縁は一族の中でも風変りな魔眼を持っていた。

「さて……もう少し深く、指輪のえんを辿ってみようか」

 『絲縁しえんの瞳』。

 えにしは人や物、場所の繋がりを見、そこから情報を読み取る―――端的に言えば過去の記憶を読む者サイコメトラーである。

「相変わらず凄いですねぇ……んふふふふ……」

「そんなことないよ。普段は封印してるから何も見えないし、緋真の写真や楓の知識みたいな媒介がないと情報が拾えないんだ」

「謙遜しなくていい。縁は制限付きサイコメトリに使うのが一番良いだけで、本当は何でもできるだろう」

「でもあまり使いすぎると神隠しに遭っちゃうからなぁ。使い勝手悪いよ」

 そして縁は空中で糸を手繰るような仕草をする。

「指輪の絲縁しえん。捕まえた。

 僕と緋真 僕と大鏡 僕と狛獅 僕と楓 今まで結んだ縁を伝って―――」

 縁絲の瞳がさらに輝きを増す。

「視界共有。これが指輪にまつわる記憶だよ」

 一瞬。緋真は脳震盪のようにぐらりと視界が揺れた。思わず目を瞑ってしまう。しかし次、目を開ければ……いつの間にか豪奢な高級レストランの中にいた。

 目の前では真っ白なテーブルを挟み、久子と眼鏡の青年が食事している。

「あ。やっぱりしんだ」

 縁が青年を見、ニコニコ微笑んだ。

「しん?」

「あだ名だよ。中学時代の一学年上の先輩。今でも仲良しなんだ」

「ふうん。どんな人?」

「天才。でも火事でお姉さんを亡くしたせいかなあ。ちょっとこう、執着が強いというか、一途で感情が重たいかな」

「絶対縁には言われたくないと思うよ」

 緋真たちが至近距離でそんな会話していても、新も久子も気に留める様子がない。

 当然だ。これは指輪に残った在りし日の記憶残留思念なのだから。

 新はテーブルの上に指輪を置いた。

「結婚しよう」

 しかし久子は戸惑いと後ろめたさを顔いっぱいに浮かべ目を逸らす。

「ウチには…お金が……」

「それで?」

「私……頭が悪いし……」

「それで?」

「…………顔も、豊子さんより」

「それで?」

 新は端正な顔に微笑みを作る。

「言い訳はそれだけ?」

「あっ……」

 新は久子の左手を掴んで、指輪をするりと嵌めた。きらり、指輪が光る。

「これで夫婦だね」


 場面転換。

 風景はこの和室に戻った。指輪は抽斗の中にある。まだ冬なのだろう、火鉢の中で炭がパチリと爆ぜた。

 そこで久子が琴の練習をしていた。母親は傍について指導している。

 しかし、久子が音を間違えた。途端に母親の眉間に皺が寄る。久子はすぐに頭を下げた。

「ご―――ごめんなさい、お母様」

「こんな不調法、あらた様が失望なさるでしょう!!」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「新様がめかけなぞ作らぬようお前が努力せねばならないのです!!」

「ごめんなさい」

「正当なる男児、世継ぎを産むのがお前の役目!!わかってるのですか!!」

 その時。襖越しにキヨの声が響いた。

「失礼いたします、奥様。桐谷様のご親戚の方がお越しになりました」

「久子。萩原家はお前にかかっているのです。もっと自覚するように」

 母親はそのままいなくなる。キヨが入室し、久子に深々と頭を下げた。

「お邪魔をしてしまい、誠に申し訳ございません」

 久子は首を振る。キヨはほぼ無表情であった。

「ご婚約おめでとうございます。久子お嬢様」

「………」

 久子はその言葉に俯いた。

「お嬢様。どうなされましたか」

「いいえ……。なんでも、ないわ……」

 首を振って、弱弱しい笑み。

 キヨは懐から包みを取り出す。

「不躾とは存じますがお祝いの品を用意させていただきました」

 包みを開ければ赤い硝子ガラスが嵌められた美しい小瓶が顔を出す。たぷり、赤い液体が揺れた。爪紅マニキュアだ。

「これ、舶来の品ね?高かったでしょう」

「お祝いですから」

 キヨは爪紅を手に取る。

「差し支えなければお手を」

 キヨは丁寧に筆を滑らせ、久子の爪を赤く彩っていった。まずは右の親指から。

「綺麗……」

「指輪をいただいたと聞き、それに映えるよう選びました」

 次に右の人差し指。

「キヨ……私、良いお嫁さんになれると思う……?」

「はい。お嬢様はそのために片時も弛まぬ努力しておいででした。私が保証致します」

 中指。薬指。

「……キヨは、好きな人はいないの?」

 ぴたり。キヨの手が一瞬止まった。

「何故、そのようなことを」

「………なんとなく」

「左様ですか。―――私にそのような方はおりません」

 再開。また、塗り始める。次は左手。

「お嬢様」

「なあに……」

「拾ってくださったご恩は生涯忘れません。ですから―――私は、貴女の幸福のためなら全てをお捧げする所存です」

 キヨは左の薬指をサッと綺麗に飾り立てる。

「本当に……良い婿を貰われましたね」

「あの……新様は……キヨも大事にしてくれるって約束してくださったの。本当に……とても優しい方で……」

「知ってる」

「え……?」

「…お嬢様を迎えに行く度に、新様は私にも優しくしてくださるので」

 そうして全ての爪を塗り切って、深々と頭を下げた。

「重ね重ねお祝い申し上げます。……貴女が幸せになれて良かったです」

 静かに退室したキヨ。

 場面が変わる。

 部屋は夜になった。爪紅が乾き切り、艶やかな紅を放つ。久子は立ち上がって箪笥の深く深く奥深くに手を入れれば…珊瑚とルビーが嵌った煌びやかな宝石箱が現れた。

 中身は玩具の指輪や小さな石といった他愛ないガラクタだ。どう見ても箱とは釣り合わない。

 しかし、爪紅を宝石箱の中に加えた。

 加えて……嗚咽と涙が溢れ出す。

「ごめんね、キヨ……ごめんなさい……」


 場面転換。

 新がピンクのライラックの花束を抱えて古い洋室にいる。向かいには着飾った豊子が艶やかな微笑みを浮かべていた。おそらく萩原邸だろう。

「久子さんのお見舞いに来たんだ」

 新はライラックの花束を見せれば、豊子は顔をしかめた。

 しかしそれは一瞬のこと。瞬きの間にはふわりとした笑顔で、『とってもお綺麗ですね』などと褒めちぎる。

「こえー女……」

「役者だね……豊子さんは……」

 狛獅と緋真は気圧されるしかない。

「ごめんなさい。久子さんは新様に会えないほどのご病気なんです」

「それ、一週間前も聞い「どうしても久子さんじゃないと駄目なんですか?」

 豊子は―――新の隣に座り頬寄せる。

「お相手なら……私の方がずぅっと上手くできますよ?」

 新は 拒まなかった。

 そんな二人の様子を、隣の部屋から胎の大きな久子が呆然と立ち尽くし見ていた。

 爪紅マニキュアが塗られたその手には小箱。指輪がピカピカに磨かれて収まっていた。

 ちらり、楓は縁を一瞥。

「所長、桐谷さんのお友達として一言」

しんらしい花束だね!」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。―――全部把握致しました。視界共有、切ってくださいまし」

「わかった。それじゃ―――」

 空間に亀裂が入った。

 風景ががらりと和室に戻る。

 びたん、と。

 真っ赤な赤子の手形が襖に、ひとつ。

「所長!!」

 狛獅は即座に縁の腕を引き自分の後ろに下がらせる。

 すると、さらに手形は叩きつけられた。びたん。びたん。びたんびたんびたん―――床も壁も真っ赤な子供の手形で埋め尽くされて

「僕の魔眼覗き見を嫌った人がいるみたい。……仕掛けてきた」

 そんな中、緋真は訝しむ。

(―――甘い、香り?)

 血のような赤に反しその香りは馨しい。

(この香りは……)

 果物の、ような―――

「楓。まだ怪異の特定できないのかい」

「赤い怪異なんて百はいますわぁ。そういう美録みろくさんこそ、お得意の魂喰い撮影はなさらないんです?」

「あれは顔が全部映ってないとできないんだ。顔が無ければ目か全身。

 顔があっても名前を正しく把握した上で撮影しないと、呪詛返しで私の魂が大鏡に取られるんだよ。失敗したら詰みだ」

『拙はそれでも一向に構わんのじゃがな。さぁて。此度の事件、当てられるかの?』

 縁は首を傾げる。

「そういう大鏡は事件の真相全部わかってるの?」

『無論よ。くふふ。踊れ踊れ。失敗しても成功しても面白い』

「写真屋、やっぱカメラ今すぐ捨てろ!!」

 びた、ん!!

 一際大きな音で襖が叩かれた後……しん、と部屋は静まり返る。

(終わった…?)

『緋真』

(―――ッ?!)

 大鏡の声にバッと後ろを振り向けば―――和室の窓に、首が長い赤子が覗いていた。

「おい……ここは二階だぞ…!?」

 赤子の首が傾き―――ぱくり、と。半分捥げた。

 その断面図から見えるのは、柘榴の実。

「―――おやぁ?おやおやおんやぁ?これは珍しいですねぇ」

 楓は薄く笑う。

笑般若わらいはんにゃ、ですわぁ」







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