第二話 絲縁の瞳(上)


 知恵の父親が急死した。


「僕の目の前で爆発したんだよね」

 三月下旬。ヒダル神異変から二週間ほど経った頃。縁は緋真たちを探偵社に集めて端的にそう説明した。爆発。ホウセンカの実も爆発するんだから人間も爆発くらいするでしょ。しない?じゃあこれは事件なのだ。

 事は縁が昨日、留置所内の知恵の父親に面会しに行ったのに端を発する。

「例の札の男がどうしても気になってね」

 そもそもヒダル神が解き放たれたのは、父親に悪霊封印の札を買い取ると持ち掛けた男がいるからだ。

「またお前は勝手に危ねえ真似して」

「? うん。だから狛獅は置いてきたんだよ」

「危ない場所だから護衛を連れてくんだよ!!」

 縁は檻越しに尋ねた。

『札を買い取ってくれたのは誰ですか?』

『へえ。火傷みてえな赤痣あかあざの―――』

「その瞬間、頭がパーンッ!って爆発してしまったんだ」

 途端、署内は大パニック。看守たちは卒倒、失神、目覚めてまた気絶。そんなこんなで縁は留置所から締め出された。

「君の仕業かな」

 ちらり、縁が緋真のカメラを見遣れば、紫煙と共に大鏡が現れる。

「断じてせつではない」

「うーん。カメラに無礼を働かれたから怒って祟ったのかと思ったんだけど」

「ならば真っ先に楓を祟らねばなるまいよ」

 当の楓は『わたくしに大鏡さんを預けてみません?一晩だけで結構ですので。ええ。一晩だけ。一晩だけですので。すぐ返しますわぁ』と緋真の顔を覗き込んでいるが、残念ながらカメラを全力で捥ぎ取ろうとする腕が全てを物語っている。

 くすくす。大鏡は鷹揚おうようだ。

「ただあの男、精螻蛄しょうけらを飼ってたのう」

「しょうけら?」

「虫の式神使い魔ぞ。赤痣あかあざの男に仕込まれておったのであろうな」

 狛獅は渋い顔。

「そういうことは早く言え」

「聞かれなかったからの」

「写真屋……。なんでこんな腐れ野郎と手ぇ組んでんだよ……」

「どうしてもやらなきゃいけないことがあってね」

 それはさておき。考え込む緋真。

「何故悪霊を解放するんだろう。邪教崇拝者なら相当危ないぞ」

「あらぁ純粋な探究のかもしれませんよ?わたくしのような」

「だとしたらかなりとても相当危ないな」

 縁も狛獅も深く深く頷く。

「とにかく怪異を解放して回られたら帝都が滅ぶ。捕まえるのに協力してほしいんだ」

 そう言った瞬間、呼び鈴が鳴った。依頼客の合図だ。


 応接室にて。縁は来客に対応していた(ちなみに残り全員は隣室の飾り窓から聞き耳を立てていた。『邪魔だ縮め大鏡』『大鏡さん、わたくしの横空いてましてよ』『ほほ。拙はまだ攫われたくないのう』『このクズさっさと捨てろ写真屋。ブン屋も死に急ぐんじゃねえ』『狛獅は良い子じゃな。飴をやろうぞ』『うるせぇ馬鹿死ね』『あのね君たち。仮にも私の使い魔なんだけどな』などと微笑ましき醜い争いがあったのだが、別の話である)。

 依頼客は黒髪を高く括った長身の女だった。

萩原はぎわら家が使用人、キヨと申し上げます。至急、御内密に調査していただきたいことがございます」

 縁は紅茶とクッキーを勧めるが、キヨは手を付けず、深刻な顔。

「我が主人あるじ久子ひさこ様のはらいるのです」

 萩原はぎわら家。元士族。かつては藩内でも勇名高く栄えたが、じわじわと斜陽を迎え、先代の死を契機に完全没落した。今現在は一人娘・久子ひさこが後を継ぎ、母親と、母方の従姉妹いとこ黒川豊子くろかわとよこ、唯一の使用人キヨと暮らしているのだという。

「奥様と豊子お嬢様は普段京都の良家子女に華道を教えてらっしゃいますので、正確には久子お嬢様と私の二人暮らしです」

 そんな萩原家に救いの手を差し伸べたのが、名門・桐谷きりや家である。三ヵ月前、桐谷家の次男坊・あらたは社交パーティーで久子を見染め、婿入りを申し出たのだ。これで貧困から抜け出し家名に恥じぬ暮らしができる。母親は涙を浮かべ先祖代々の墓に報告したほどだ。

 その矢先、事件が起きた。

「久子お嬢様の―――はらが―――」

 奇妙に膨らんだ。

 最初はキヨも幸せ太りだと思っていたが、三ヵ月もすれば妊婦と見紛うほどとなった。

「お嬢様は不義浮気なぞなさらない!!」

 キヨは唇を噛みしめた。

してや三ヵ月だぞ、ご懐妊のはずがない!!」

 しかし赤子ややこがいるとどの医者も口を揃えて言う。そのせいで普段別居している母親と豊子は胎が三ヵ月で膨らんだなどと信じない。キヨと久子が結託し男遊びを隠していると疑っている。

「違う…本当にいるんだ……!」

 だって最近、誰もいない部屋から子供の笑い声と足音が聞こえるのだ。

 まるで、胎の子が勝手に抜け出してるかのような……。



***



 萩原邸は明治を思わせる和洋混合建築だった。掃除は行き届いてるが、木の扉も庭の石畳も褪せりが目立ち、凋落を感じさせる。

 その屋敷の寝室。古ぼけた天蓋付きベッドの中、久子はやつれ俯く。化粧気はなく、真っ赤な爪紅マニキュアが塗られているだけ。

 そしてその胎はやはり、膨れあがっていた。

 それを見るのは日本髪をきっちり結い上げた母親と、巻き毛の従姉妹・豊子。西洋の血が混じってるのか、色素が薄い華やかな美女である。

 母親は戦慄わななく。

「この―――親不孝者―――!!」

「ごめんなさい…ごめんなさいお母様…」

「お前には萩原家の世継ぎを産むという大事な役目があると!!何度も何度もあれほど言い聞かせたのに、どうして!?相手は誰だ!?吐け!!吐けェッ!!」

「わ…わかりま、せん……」

「こんなふしだらな娘に育てた覚えはない!!こんな…こんなっ…この恥知らず!!」

「ごめんなさい……ごめんなさい、お母さま……ごめんなさい……」

「叔母様、その辺りで。久子さんの体に障るわ」

 半狂乱の母親とは対照的に豊子がわずかに微笑む。

「久子さん、大変ね」

「豊子さん……」

 豊子はそのまま久子の腹を見下ろす。

「いいのよ、いいのよ。私はちゃぁんとわかってるから」

「あ……ありがとう……」

「大丈夫。任せて。後で新様がお見舞いに来るけど、私が上手いこと対応してあげる。いつものようにね」

「え……?で、でも」

「いいのいいの。遠慮しないで。私たち従姉妹じゃない」

 その時、キヨが緋真たちを連れてきた。豊子は穏やかな顔で激昂する母親の肩を抱く。

「叔母様。もう下がりましょう」

「あああああ、新様が何て思うか…!!新様は桐谷家で東大生、ご親戚も皆成功されてる方ばかりでっ、提灯ちょうちんを提げても見つからぬ良縁だというのに、あああああッ……!」

「お客様、何のお構いもなくてごめんなさいね。ゆっくりなさってって」

 二人が遠ざかれば、部屋には気まずい沈黙が落ちる。しかしキヨは打ち払うように久子の傍に立ち、縁たちを示した。

「お嬢様。八雲様でございます。これで治りますよ」

「ありがとう、キヨ。どうかお願いします皆様……このままでは母が……」

 久子の憔悴しょうすいに、緋真は強く頷きカメラを構え

「失礼します」

 ぱしゃり。撮れば即座にカメラの基底部から写真が

『くふ―――面白いなぁ』

 念話テレパシー。大鏡の声が脳裏に響く。写真を捲って―――緋真は短く息を呑んだ。

「キヨ…ごめんなさい……。私のせいで、貴女まで…」

「構いません。私の主はお嬢様 ただお一人です」

 久子はやつれてこそいるが、別段異常は見当たらない。部屋も埃一つ落ちておらず綺麗なものだ。

 なのに———写真に写る久子の部屋は赤かった。

 まるで真っ赤な洋墨インクを手当たり次第に撒き散らしたよう。

 しかしよく見れば

 びっしり びっしり 赤子の手形で埋め尽くされていた。

 真っ赤な手形がカーテンにもベッドにも、久子の顔にすら。肝心の胎は―――

『喜べ。不義の子ではなさそうじゃ』

 真っ赤に濁った羊水が満ち満ちていた。

 その中―――たぷん、と巨大な眼球が一つだけ浮いており

「…………」

 カメラ越しの緋真をじぃっと見つめていた。



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