第7話 姉とのやり取り。


 アイリが去った後。

 コウは仕事をする気になれず、水を手に調整器のメインスクリーンにタランテール99のデータを映し出して、ぼんやりと眺めていた。

 これがコウにとって、全ての始まりだったのだ。


 黒の一號と出会った、あの日が。


※※※


「……何してるの?」

「うわ!」

 不意に背後から覗きこまれて、コウは思わず声を上げてしまった。

 画面の情報に集中し過ぎて、全く周りが見えていなかったのだ。

「コウは夢中になるとすぐに没頭するわね。危ないわよ?」

「……姉さん」

 悪戯っぽい笑みを浮かべる相手の正体を知って、コウは内心ほっとしながら言った。

「趣味が悪いよ」

「声を掛けても返事もしないのが悪いんじゃない」

 シュリは快活に笑う。

 タンクトップにショートパンツという相変わらず開放的で目のやり場に困る格好で、日に焼けた肌を惜しげもなく晒していた。

 シュリは足が長く、引き締まった体をしていてスレンダーだ。

 顔立ちも大型犬のように精悍だが美しく整っていて、熱狂的なファンもいる。

 しかし彼女にしつこく言いよるような男はいない。

 シュリは競技装殻格闘大会で名を馳せる、メディアによって『ジャッカルの美姫』などという異名を付けられるような猛者だからだ。

「で、何を悩んでいたの?」

「それがさ」

 コウはハジメから与えられた課題と解決案の事を、シュリに話した。

 後にアイリに伝えたのと同じ内容だが、あまりの現実味のなさに他に何かないか、と考えていたところだった。

 シュリはコウの話を聞くと、心配そうな顔を見せた。

「これさ、なんかあまりいい感じがしない話ね」

「姉さんもそう思う?」

 まぁ、どう考えたって法に抵触しない方法では実現不可能な装殻性能に関する話だ。

 シュリの心配も分からないでもなかったが、コウは話を持ってきたハジメと名乗る青年に悪い印象は覚えていなかった。

 むしろ、彼はぶっきらぼうではあったが、コウのような人間に対しても誠実なくらいだったのだ。

「まぁ、考えるだけなら捕まる事もないし。解決策だけ伝えて終わりだよ」

「なら良いけど……最近、良くない噂を聞くから」

「噂?」

 シュリはうなずき、真剣な顔で話し始めた。

「違法な賭け試合が、最近シティのあまり良くないところで増えてるみたいなのよね。そこで、妙なクスリの噂があるって、友達が話してたの」

「……何でそんな奴と友達やってるの」

「その子が直接聞いたんじゃなくて、又聞きだよ。そのクスリがさ、装殻適合率を上げる効果があるって」

「いや、嘘でしょ」

 コウは即座に否定した。

「そんなクスリがあるなら、俺も使ってみたいよ」

「……コウ?」

 シュリの目が危険な色を宿して冷たく細まった。

 怒っているサインだ。

 コウは慌てて付け加えた。

「冗談だよ。別に今の生活に不満がある訳じゃないし。姉さん達が、俺が装殻なしでもちゃんと働けるように、色々助けてくれたんだろ」

 調整士資格は、コウの持つ二級の資格でもそう易々と取れるようなものではなかった。

 彼が資格試験に受かれたのは、中学生の頃からメキメキと頭角を現していたシュリが自分が懇意にしている調整士に頼んで、コウに実地練習と試験勉強の教員を兼ねた修行をさせてくれたお陰だ。

「受かったのはコウ自身が頑張ったからでしょ。コウはもう少し自信を持ったら?」

 上手くシュリの怒りを逸らせたようで、コウはホッとしながら答えを返す。

「……自信が持てるほどの技術が身に付いたら考えるよ」

「もう、それが後ろ向きだって言ってるのに。ハラさんもコウの技術は褒めてたじゃない。私とアヤの装殻も、調子が良いのはコウに調整を頼み始めてからよ?」

 シュリは腰に手を当てて、不満そうに言う。

 ハラさん、というのが、シュリが頼んでくれた工房の親方だ。

 コウは電話をかけるたびに、ハラさんが『デカい仕事を取られた』と冗談まじりにコウに突っかかってくる事を思い出し、苦笑いした。

 コウが工房を立ち上げてから、シュリと妹のアヤは何かと理由を付けてはコウの工房に入り浸り、ついでに調整を頼んでいく。

 いらないと言ってるのに、勝手に精算機を起動させて金まで払っていくのだ。

 ありがたいと思いながらも、同時に申し訳なかった。

「で、今日は何の用?」

「近々試合があるかも知れないから、メンテナンスして。磨耗があったら交換してね」

 にっこりと笑ってシュリは自分の装殻具である腕輪を差し出した。

「了解。気合い入れて、やるよ」

「安くしてね!」

「いっつも、タダで良いって言ってるのに」

 コウはケチなのか気前がいいのか分からない姉にまた苦笑して、調整器に向かった。



 ……あの時、もっと真剣に話を聞いていれば、とコウは後悔していた。

 ハジメと関わらなければ、姉は死なずに済んだかも知れなかったのに。

「……姉さん」

 ぽつりと漏らした声に、答える相手はもういない。

 コウは表示していた調整器のメインスクリーンを切ると、closedの看板を入口にかけて、壁で仕切って作った風呂などがある自室スペースのドアを開けた。

 コウは部屋を片付ける方で、乱雑に散らかっているという事もない。

 なので、すぐにテーブルの上に置いてある、可愛らしい桃色の、ウサギが端にプリントされたメモ書きに気づいた。


『取り込み中みたいだから帰るね!』


 丸文字の走り書きは、見覚えがあった。

 多分、アイリと話している時に来たのだろう。

「アヤか。声くらい掛ければ良いのに」

 コウはメモ書きを見て、ツインテールの、姉に似ているがキツさはない小動物のような妹の顔を思い出していた。


※※※


『アイリ』

 司法局へ向かうために電車に乗ったアイリに、彼女にだけ聞こえる声が呼び掛けた。

 いつも通り、不自然じゃないよう通信で話しているふりをしながら、電車のドアにもたれたアイリは答える。

「どうしたの? マサト」

『あの北野コウという少年はあやしい。まだ何かを隠してる気がする』

 マサトは、アイリと同じ声をしていた。

 違うのはアイリよりも感情に乏しく、冷たい感じがする事だ、と、以前おやっさんは言っていた。

「コウが? 何を隠してると思うの?」

『黒の一號に関する事だ。嘘はついてないけど、全部を話した訳じゃない……そういう感じがした』

「どうして?」

『姉が殺されてるのに、あいつは黒の一號に対してさほどの悪意を持っていないように見えた。おかしいと思わないか?』

「でも、彼の居場所に関するヒントはくれたじゃない。彼を庇うつもりなら、それすら教えないと思うよ?」

『何か目的があるんじゃないのか。あるいは、情報自体が誘導だという可能性も』

「言われてみればそうかも知れないけど。……マサトが見る限り嘘はついてなかったんでしょ? だったら、何か事情があるんだろうね」

 アイリがあまりコウを疑っていない事を不審に思ったのか、マサトは言った。

『奴の隠し事に、興味がないのか?』

「興味はあるよ。だってコウ、僕と似てるから。だからコウから彼に対する悪意がない事も、同じような事情なんだろうな、って思うだけ」

『……そうか』

「うん」

 それきり、マサトは黙った。

 アイリは電車に揺られながら、自分の過去について思い返していた。



 ……アイリはかつて、ある施設の実験体だった。

 非適合者だった彼女は、親の事を覚えていない。

 施設での実験によって、アイリには幼い頃の記憶が欠け落ちていた。

 実験が辛かった事は覚えている。

 毎日のように大量の薬を投与され、副作用に悶え苦しむ様子を観察される日々だった。

 後で知った事だが、その施設は『黒殻』から実験を禁止された科学者が離反し、人体改造型装殻者の研究を行う為に某国と協力して作ったものだった。

 次世代の人体改造型装殻者の要である、生体移植型補助頭脳インナーベイルというものについて研究していたらしい。

 そしてアイリがある日、苦しみと孤独に耐えかねて心が壊れそうになっていた時に、彼が現れた。

 後に、『相李マサト』と呼ばれる彼が生まれた事に、研究者達は狂喜していた。

 生体移植型補助頭脳と非適合者を掛け合わせる人体実験は、彼らの予想以上の成果……すなわち、真の人工知能の誕生を引き起こしたのだ。

 彼は、アイリの頭の中にいる。

 生体移植型補助頭脳を自身の脳として、アイリと肉体を共有する一人の男性として生きている。

 非適合者だったアイリは、彼がいる事によって装殻化出来るようになった。

 コウに話せなかった事情……アイリが装殻者になれたのは、実験と偶然の結果だった。

 その後、施設は研究者らを見つけ出した黒の一號によって、潰された。

 人体改造型の技術を秘匿するのは、『黒殻』にとって絶対の掟であり、同時にそれを悪用する事は黒の一號の逆鱗に触れる事と同義だった。

 彼の襲撃の時、アイリは部屋の中にいた。

 装殻具もなしで頑強な部屋の鍵を破壊できるような力はアイリにはなかったので、いつも通り部屋の隅にうずくまってジッとしていた。

 ドアを突き破って入って来たのは、黒い装殻者と、相棒らしき女性の装殻者。

『大丈夫か? 辛い想いをさせてしまって、済まない』

 彼女を抱き上げてそう謝罪した彼こそが、黒の一號だった。



 ……電車を降り、人の波に乗りながら、アイリはマサトに問いかけた。

「マサトはさ。まだ彼を恨んでる?」

 アイリが実験台にされたそもそもの原因は彼だ、とかつてマサトはアイリに告げた事があった。

『いいや。アイリが納得しているなら、別に俺が恨む筋合いはない。彼のお陰で俺が生まれたのは事実だ』

「だよね。僕も、結果的にはマサトが居てくれて良かったと思ってる」

 辛い記憶は、遠い過去だ。

 アイリは、黒の一號を恨んではいない。

 技術を悪用したのはあくまでも彼から離反した研究者達であり、黒の一號は彼女を救ってくれたのだ。

 黒の一號が、安堵から気絶したアイリを何らかの方法でフラスコルシティまで運び込んで治療まで受けさせてくれたからこそ、今がある。

「今は、おやっさんも室長もいるし。僕は、凄く恵まれてる。司法局試験にも受かったしさ。大変だったけど」

 目覚めた時に出会ったのが、おやっさんと花立だ。

 最初は事情聴取に来ただけだった彼らは、後々、親身になってアイリの生活に不自由がないよう面倒を見てくれた。

 だから一人で生活出来るようになった時、何をして働くかと聞かれて司法局を志望したのだ。

 おやっさんや花立と一緒に働きたいと思い、必死で勉強して試験に受かった。

『……半分以上俺に答えさせといて、何を言ってるんだ?』

「うぐ! で、でも、マサトは僕自身の中にいるわけで、カンニングとかじゃないし!」

 実は、その後司法局での事件解決の成果も八割くらいはマサトのお陰だがズルでは無いはずである。

 ……花立とおやっさんにはバレバレで、だからこそアイリは花立にしょっちゅう怒られるのだが。

『俺に頼るそのクセをなんとかしないと、その内痛い目見るぞ、と何回言わせるんだ?』

「その内が来てから考えるよ」

 アイリの返事に、マサトは頭の中で深い溜息を聞かせてくれたが、彼女はめげなかった。

「マサト」

『何だ』

「痛い目見る『その内』が来ないように、今は協力してよ。……僕は、彼を助けたいんだ」

 黒の一號が、北野シュリを殺した証拠写真と共に報道されたニュース。

 あれはただその写真を眺めれば、一目瞭然な事実かも知れないが。

 そこに、彼の心は映っていない。

「僕は今回の件には、何か見えていない事情があると思ってるんだ。コウの隠し事の内容は、きっとそこに由来してる」

『どうやって暴く? そしてアイリは今、司法局員だ。黒の一號が逃げる手助けをすれば、下手するとクビだぞ』

「暴く為に出来る事は、黒の一號の足取りを調べる事だけでしょう? 手助けに関しても、まず見つけて話を聞かない事にはどうしようもないし。その為には?」

『コウがヒントをくれたEgについて調べる事、か』

「そう。まずは薬対課にアポを取らなくちゃね」

 アイリは、マサトと話している内に司法局へとたどり着いていた。

 

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