第6話 裏組織の蠢き。
タランテールとの戦闘の後、そのまま賭試合の会場を後にしたハジメが人気のない路地の出ると、声を掛ける人物がいた。
「申し訳ありません。少々お時間をいただいても宜しいでしょうか?」
ハジメが目を向けると、そこには柔和な笑みを浮かべ、黒いスーツをきちん身につけた男が立っていた。
髪は癖毛だが、上品な印象で秘書か高級ホテルのウェイターのように見える。
細目の男で、どこか腹の底が読めない雰囲気があった。
ハジメが無言で頷くと、癖毛の男は恭しく頭下げてから、賭試合の会場が見下ろせる位置にある廃ビルへとハジメを案内した。
電気を通してあるらしく、エレベーターで三階まで上がる。
そこには、数人の先客が待っていた。
二人が壁際に立ち、二人が椅子に座っている。
壁際に立つ一人は、陰気な顔をした中年の男。
黒い司祭服のようなものを着ているが、神聖な雰囲気はまるでない。
顔色が青白く、丸めた背中に落ち窪んだ眼窩は不健康そうだ。
もう一人壁際の人物は闘技場を見下ろせる窓辺におり、ひっそりと立ち尽くす黒ドレス姿の女性だ。
黒いレースで頭と顔を覆っており、表情は伺えない。
ドレスはハイネックの、体にぴったりと張り付くような素材で出来た裾広がりのワンピースタイプのもの。
肘よりも上まであるレースをあしらったグローブはドレスに合っているが、足元のブーツはよく見ればジャングルブーツのような硬いものだった。
ドレスには腰までスリットが入っており、黒タイツに覆われた足は引き締まっている。
そのままでも戦闘に支障のない装いに見えた。
椅子に座る一人は、大柄な男。
目は退廃的だが獰猛な光を宿していて、腕を組んだ姿勢でどっしりと腰を下ろし、こちらを値踏みするように見ている。
身だしなみは整っていて姿勢も良いが、張り付いたような負の気配が暴力的な雰囲気を匂わせている。
最後の一人は、大柄な男と対称的に子どものように小柄で、金色の太い三つ編みを背中に垂らした少女。
オーバーサイズの白衣を、カジュアルな服装の上に着ている。
異様なのは、その顔を覆う真っ白な仮面で、黒ドレスの女性同様に表情は伺えない。
そして、影のように控える先程の黒スーツの男とハジメの合計六人が、この場にいる全員だった。
『わざわざ足を運んで貰った事に礼を言おう』
不意に、何処かから声が聞こえた。
無機質な響きの声だ。
スピーカーが部屋の何処かに備えられているのだろう。
反響して位置が掴めないが、この場にはいない人物のものだった。
『私は下のイベントを主催している者だ。危険の多い身でね。このような形で済まないとは思うが、ご理解頂きたい』
スピーカーの声に、ハジメは無言のまま僅かに首を傾げた。
そんなハジメの態度に気分を害した様子もなく、スピーカーの声は続ける。
『先程の戦いを見て、君と話をしたくなった。少々お付き合いいただけると嬉しいのだが』
ハジメは、やはり無言で頷いて肯定を示した。
別にこちらから口を開いてやる必要はない、とハジメは考えていた。
用があるのは相手もハジメも同じだが、呼び出したのは相手の方だ。
『クモはこの辺りでもそこそこ名の知れた装殻者だ。しかも彼の装殻は最新型で、君の装殻は逆にかなり古いものだと見受けられるのに、動きが良かった。何か秘密があるのかな?』
質問を受け、ハジメはこの場で初めて口を開いた。
「別に大した事じゃない。俺はレトロが好きで、外観をカスタムしている。中身は別物だ」
それも、どうしても人前で装殻状態を晒す必要がある時に口にする言い訳だった。
『なるほど。珍しい事じゃない。……と、言いたいが』
どうやら相手は、言い訳に納得しなかったようだ。
『第一世代型の装殻に外観を変化している者は奇特だ。理由は君も知っていると思うがね。特に、初期型に関しては』
含む所のある物の言い方に、ハジメは黙秘した。
第一世代型、特に初期型と呼ばれる装殻は、黒の一號であるハジメと、ほぼ同一の外見をしている。
かつて壊滅させたラボでは、ハジメの離反後に人体改造型の量産研究が行われており、その資料やデータを基に開発したのが第一世代型の装殻だからだ。
故に、初期型の外見をわざわざ模倣するというのは現在では黒の一號との……ひいては『
丁度、今のように。
『どうかね?』
「関係ないな。別に探られて痛い腹がある訳でもない。この外見が気に入っているだけだ』
ハジメの返答に、スピーカーの声は低く嗤った。
『良いだろう。まあ、問い掛けに深い意味がある訳じゃない。気にしないでくれ。それと、最後に一つだけ教えて欲しいんだが』
スピーカーの声の問いかけに、ハジメは無言で先を促した。
『君の装殻の原型は? 良い性能だから、買い求めてみたい』
「悪いが、姿も見せない方に自分の手の内を明かしたくはない」
それは挑発だった。
ざわり、と部屋の空気が変わるのを、ハジメは冷静に観察した。
一番剥き出しの殺気を放ったのは陰気な司祭服の男で、逆に全てを覆い隠したのが背後の癖毛の男。
他の三人は似たり寄ったりで、戦意を僅かに漏らした程度だ。
全員の様子から、一番厄介なのは背後の癖毛で、その実力次第ではこの場で全員を相手にしても問題ない、とハジメは結論付けた。
「どうも、気に障ったようだ」
ぼそりとハジメが挑発を重ねるが、スピーカーの声はハジメの態度に鷹揚な所を見せた。
『大した落ち着きだ。どうかな。君もこの場にいる者たち同様、私の仲間に加わらないか?』
「遠慮しておく。一人の方が気楽だ」
『そうかね。それは残念だ』
それで話は終わりのようだった。
どうやら、逃しはしない、という事にはならないらしい。
こちらから仕掛けるか、と思案したハジメは、即座にその考えを捨てた。
スピーカーの声を逃してしまえば何も得がない。
ハジメは癖毛の男にビルの外まで案内され、再び頭を下げて見送られた。
去り際にビルを見上げると、黒レースの女がこちらを見下ろしていた。
視線が合ったような気がしたが、ハジメは先に女から目を逸らし、振り向かないまま姿を消した。
※※※
「気に食わん奴だ」
ハジメが去った後、陰気な男は吐き捨てた。
彼はチームの主催者であるスピーカーの声の主の信奉者だ。
神にも等しい方の誘いをあの程度の奴が断るなど、万死に値すると思っていた。
「落ち着きなさいよ、ドラクル。別にミスター・サイクロンは、本気で誘っていた訳じゃないでしょ?」
白衣の少女が、また始まった、と言わんばかりにおおげさに口を曲げる。
「断る事自体が問題なんだ、ラムダ」
「どうでもいい事で気を立てるな。煩わしい」
椅子に座ったまま目を閉じている大男が唸るように言うと、ドラクルは黙った。
彼らは周囲から『サイクロン』と呼ばれている。
主催者であるミスター・サイクロンの名前から周囲が勝手に呼び始めたもので、賭試合だけではなく様々な違法行為に手を出している集団だった。
自らそう名乗った事はない。
彼らはチームではなく、それぞれの理由でミスター・サイクロンに従うだけの個別の集まりだからだ。
その内に、癖毛の男が戻ってきた。
「シープ。お前は奴をどう見る?」
「気になりますか? ベアー」
同格の相手に対しても、丁寧な口調でシープが言う。
「奴は臭い。違うか?」
ベアーが目を開いてシープを見ると、シープは微笑んだ。
「同行の求めにもすぐに応じて頂けました。普通は、もう少し躊躇うものなのですがね」
「最近うちの周囲を嗅ぎ回ってるのは、やっぱり彼なのかしらね? 最近、色々と騒がしいわね」
ラムダが頬に手を当てて、ため息を吐く。
「引き時ですかね、そろそろ」
「あら、相手の実力を確かめもせずに引くの? まだまだ力を隠し持ってそうよ、彼」
シープの呟きに、ラムダは小首を傾げた。
「その、隠された実力をどう見るか、だな。お前はどう思う、アヌビス」
ハジメを見送ったまま、窓の外をずっと見下ろしていた黒レースの女性は、コン、とジャングルブーツの底を鳴らした。
「アヌビスの足は疼くみたいね。なら、相当な実力者じゃない?」
「ふん。潰してしまえばいいんだ、あんな奴は」
ドラクルが吐き捨てるのを最後に、五人は部屋の入り口へ目を向けた。
「どうされますか?」
代表して、シープが問い掛ける。
ミスター・サイクロンと呼ばれる男が、いつの間にかそこに立っていた。
「潰せるならそれに越したことはないがな。奴がネズミであろうとなかろうと、危険の芽は摘み取っておくに越した事はない」
ミスター・サイクロンは、若いがどこか違和感のある男だった。
声同様、無機質な雰囲気、とでもいうべき、人ではではないかのような不気味さを漂わせている。
「でしたらそのお役目は私にお任せを。我が主に、望み通りの結果を示してご覧にいれます」
嬉々として名乗りを上げたのは、ドラクルだった。
ミスター・サイクロンは少し考えて頷いた。
「良いだろう。これを持って行け」
彼がドラクルに手渡したのは、薬物の入った無針注射器だった。
「これは?」
「Egの改良型だ。より適合率を高めるように調整してある。ただし、効果時間は短い。使うなら奴を襲う直前に使用しろ」
「承りました」
ドラクルは嬉しそうに注射器を仕舞った。
彼はEgの中毒者だった。
他の面々よりも一歩劣る実力だが、力への渇望とEgとの相性の良さをミスター・サイクロンに買われてスカウトされた男である。
「襲撃は慎重にやれ。目撃者を残すな」
「ははっ!」
その場を後にするドラクルの背中に、残った面々は冷めた目を向けていた。
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