第5話 被害者の弟から、事情聴取。

 

「装殻に関する話?」

 コウの言葉に、アイリが首を傾げた。

「黒の一號が?」

「そう」

 コウにも、アイリの言いたい事は分かっていた。

 黒の一號は、最初の人体改造型であると同時に、 日本に普及した装殻そのものの開発者でもある。

 装殻に関する知識について、民間の人間に何かを訊ねる事など普通はあり得ないだろう。

「黒の一號は、民間の調整士でないと分からない事を聞きに来たんだ」

「例えば?」

「民間の技術で、自分の考える事が再現出来るかどうか」

「……なるほど」

 バイクや車同様に、メーカーと工房ではその間に技術差がある。

 また、メーカーではやらないような事を請け負うのも、民間の技術者だ。

 その齟齬を、メーカー側が把握する事はあまり簡単な事ではない。

「彼の相談の内容は?」

「これだよ」

 コウは、テーブルの上に置いた簡易調整機から二種類の映像を呼び出した。

 どちらも装殻性能と仮想装殻者の適合率を示したもので、企業サンプルレベルの詳細データが記されている。

「こちらは企業の性能評価試験データ。もう一つは、黒の一號が出会ったという使用者の実際の性能だ」

 二つの画像を見比べたアイリは、最終的に首を横に振った。

「僕にはこのデータの内容からしてさっぱりわかんないよ。どっちもタランテール99の装殻者データだって事くらいしか。これが何か問題なの?」

「大いに問題だよ。実際の装殻者だという方のデータが明らかにおかしい。俺は最初、誤表記の訂正かと思ったくらいだ」

 コウは企業側のデータ内にある、一つの数字を指差した。

「これが装殻の発揮出来る性能の振れ幅を数値化したものだ。体調や適合率、装殻の調整状態によっても左右される数値だから、範囲で示されてるんだけど。この上限を超える事はあり得ない」

 上限値は、言うなれば装殻自体の限界性能だ。

 だが、もう一つの実際の装殻者だという相手の数値はこの上限値を超えていた。

「どう見ても、データの食い違いが誤差以上のレベルだ。使用者データは、装殻が限界を超えた性能を発揮している事を示している。はっきり言って、装殻者自身の技術でどうにかなるレベルじゃないんだ」

 コウの強い口調に、いまいちアイリは反応が悪かった。

「つまりどういう事?」

「これは、絶対に対人格闘用に設計されたタランテールの性能じゃないって事。もしこの性能を発揮出来る可能性がある装殻が存在するなら、それは軍事目的で設計・生産されたものだ」

「だけど、タランテール99は軍事仕様は発売されてないよね? 米国のトライアルに提出されたって話は聞いたけど」

「トライアル用の装殻が、今の段階で日本にあるのはおかしいだろ?」

「……密輸とか」

「誰が得するんだ? トライアルに受かれば国の軍用指定装殻になって、安定して顧客が確保出来るだろ」

「だよね。なんかこれ、ヤバい匂いがぷんぷんする。大体、こんな装殻を所持している事が発覚したら、即逮捕だしね」

 コウはうなずいた。

 この装殻が日本に存在しているとすれば、それは立派な違法装殻所持・使用法違反である。

 最低でも装殻没収の上、執行猶予なしで三年以上はぶち込まれる。

 禁固刑の可能性すらあった。

「黒の一號が俺にこんなものを見せた理由が分からなかったから、何でかと訊いてみた」

「そしたら?」

 黒の一號は、コウにこう言った。


『仮定の話だが―――君が装殻を調整して、この性能を引き出す事は可能か?』


 彼は、民間調整士レベルの調整で、このタランテールになり得るかどうかを知りたがっていた。

「で、コウはそれにどう答えたの?」

 アイリの質問に、コウは肩を竦めた。

「その場では時間を貰った。すぐに答えの出る問題じゃなかったし」

「じゃ、答え自体は出したの?」

「出したよ。あれを答えって言って良いならね」

「教えてよ」

 興味があるようで、アイリがわくわくした顔で先を促す。

 真正面から美人に見つめられると落ち着かないコウは、そんな目で見ないで欲しいと思った。

 視線を逸らし、心なし早口で答えを言う。

「装殻を改造して装殻者なかみを入れ変えれば良い。あるいは、この装殻を基礎に人体改造型装殻者にしてしまえば、問題は解決する」

 それが、黒の一號に対してコウの示した答えだった。

 アイリはぽかんとした。

「何その、前提無視のチートみたいな答え」

「前提なんて示されてない。ただデータを見せられて、民間の調整士でもデータの性能が引き出せるか聞かれただけだ。引き出すために、それ以外の方法は思いつかなかった」

 そもそも人体改造型を作れる技術を持つのは黒の一號率いる『黒殻』だけだ。

 その技術の秘匿も、彼が指名手配される理由の一つなのだから。

 コウはデータを再度アイリに示しながら答える。

「問題は二つ。装殻ハードの性能限界と装殻者ソフトの適合率だ。まずは、適合率の高い装殻者に中身を入れ換えれば、装殻の性能を限界まで引き出せるだろ?」

「それは、そうだけどさ」

 アイリはまだ納得いかない様子だったが、コウは無視して続けた。

「でも、次に性能限界の壁がある。だから装殻を改造して適合率の高い装殻者にしか扱えないようなピーキーな改造を施す。万人に扱えるものじゃなくていいなら、民間でも似たような性能には出来る。違法だけど、改造資金と環境さえあれば」

「なるほど……そういう話なら、人体改造型装殻者は両方の条件を満たしてるね」

 アイリは感心したように言ったが、はたと気付いたようだ。

「待って。じゃあ実際に居たっていうこの装殻者は、他人の装殻を奪って改造して使ってたって事?」

 登録された情報と実際の適合率が大きく違う、という事は中身の人間が登録者ではないという事だ。

 そして装殻適合率というのは調整する事で多少は変動するが、そうそう大きく動くものではない。

「俺が見た訳じゃないし、それは分からない」

「もしそうなら、人の装殻を奪うことに何の意味があるのかな……?」

 アイリの疑問は分からないでもなかった。

 他人の装殻を奪って調整する手間を考えれば、同じものを買って調整する方が遥かに手間がない。

 そんなややこしい方法は、政府に身元を明かせない犯罪者で、かつ、そんな後ろ暗い事に協力してくれる装殻調整士がいる、という条件を満たす者だけが考え付くような話だろう。

「可能だけど、現実的じゃないね。黒の一號は、それで納得したの?」

 現実に存在する筈の、あり得ない確率の装殻者。

 そんな不気味な存在は確かに現実的じゃない。

 コウも、現実であって欲しくはなかったが……おそらくこの装殻者は現実に存在するだろう事を同時に知ってもいた。

 だからアイリに、彼は自分の持つ情報を伝える。

「俺は、そのあり得ない確率を現実にする答えを、知ってる」

「そうなの?」

「アイリも知ってるんじゃないのか? 今、フラスコルシティで流行ってるドラッグがある。Egという名前のドラッグだ」

「名前だけは聞いた事あるけど。それがどうしたの?」

 コウは特に様子の変わらないアイリに呆れた。

「……司法局って、あれについてその程度の認識なのか」

「そんな事言われても、僕、薬対課じゃないし。そのEgがどうしたのさ」

「あのドラッグに適合率を上げる効果があるっていう話、聞いた事は?」

「ああ、それ、眉唾じゃないの?」

「……」

「なんかよく分からないけど、また失礼な事考えてない?」

「別に考えてない。ハッキリ言うと、あの薬物に関する話は事実だ。実際に適合率を上げる作用がある」

「それって、本当なら結構凄い事だと思うんだけど」

 アイリは信じていないようだった。

 適合率を上げるなどというのは、幻想だと誰もが思っている常識だ。

 それが本当に可能なら、確かに凄い事だ。

「あのEgというドラッグは、人体細胞と装殻細胞を融和させる触媒だ」

「人と……? え?」

 疑問をおうむ返しにしようとして、アイリはコウの言葉の持つ重みに思い至ったようだった。

「つまり、Egは意図的に人体改造型装殻者を作り出すクスリって事?」

「もっと悪い。Egは……」

 コウはそこで一度言葉を切り、奥歯を噛み締めて湧き上がる想いを押さえつけてから、低く答えた。


寄生殻パラベラムを、生み出すクスリなんだ」


 コウの言葉に、アイリは大きく目を見開いた。

「そんな馬鹿な。それが事実なら……とんでもない事だよ!?」

 アイリの言葉に、コウは頷いた。

 寄生殻は、黒の一號が離反した後にラボが生み出した化物だ。

 まだ装殻が作られる以前ではあるが、政府軍ですら倒すのに多大な被害を出した、理性なく暴れ回る存在。

 誰が、いつどこで寄生殻になるか分からないような状況を生み出す薬物が存在している事実は、たった一人のテロリストがシティに潜伏している事など比較にならないくらい重大な話だった。

「だから黒の一號はこの街に現れたんだ。彼はEgを追っている」

 コウは、真剣にアイリを見据えた。

アイリは何かを考えるように顎に指を当てて、軽く目を伏せた。

「そっか……そういう事だったんだ……」

ぽつりと呟いたアイリの独り言にはどこか安堵した響きが含まれているような気がしたが、コウにはその理由が分からなかった。

「彼は、このドラッグを撒いている組織を潰す気だ。だから、司法局が彼を見つけたいなら」

「その組織を調べろ、って事だね」

 アイリは立ち上がり、コウに手を差し出した。

「ありがとう、教えてくれて。一応、黒の一號から預かったっていうデータを貰っても良い?」

「どうぞ」

 コウはアイリの装殻にデータを送信し、彼女の背中に声を掛けた。

「俺の話、役に立った?」

「助かったよ。でも、急がなくちゃいけないから、お礼はまた会いに来た時にね」

 アイリはひらひらと手を振ってから工房を出ると、そのまま走り去って行った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る